「叫ぶ詩人の会」だった頃、ボクらは暇さえあれば叫んでいました。
のどが乾けば酒を飲みました。
そうしたら十年が過ぎていました。
あの頃、ボクはドリアンでした。

CD ALBUMS(1994 〜 2002)
「虹喰い」(1994)
 埋立地で叫び続けて二年。スターリンの遠藤ミチロウさんの前座で「カンボジア!」と叫んでいたら、デビューすることになってしまった。わけもわからずに出した一枚。
(ポニーキャニオン/おそらく廃盤)
「Love&Peace」(1994)
 宮沢賢治の好きな親分が、ボクの朗読を気にいってくれました。親分は短銃自殺をする前、ボクとガッパに御馳走をしてくれました。発熱しながらオン・エア・イーストでライブをした夜、親分ズドン。
(ポニーキャニオン/おそらく廃盤)
「マスコミ用宣伝アルバム」(1995/非売品)
 ラーメン博物館で初めてのプロモーションビデオを撮ったついでにジャケ写真もゲット。レコード会社が買ってくれた服を着ています。ヒロキはいつも念入りに頭を立てていました。
「恋歌」(1995)
 大反対されながら出したラブソング集。タクジ以外はメンバーも大反対。でもボクはこのアルバムが一番好きです。今もクミズバーで時々流れています。
そして「恋歌」、ボクはいまだに歌います。
(ポニーキャニオン/おそらく廃盤)
「花束」(1996)
 デビューさせてくれたメディアレモラスの倒産劇から一転、ポニーキャニオンへ移籍ということで、挨拶代わりのベスト盤。ただ叫ぶことに倦怠を感じ、でも歌もまともに歌えなかった頃。
(ポニーキャニオン/おそらく廃盤)
「青」(1997)
 アラスカからカリフォルニア砂漠、さらにはメキシコまで旅してのビデオ撮影。誰もいない砂漠でロケをしていたら、保安官がライフル付きでやってきて無許可撮影の罰金を取っていきました。
(ポニーキャニオン/おそらく廃盤)
「ベルリン発プラハ」(1998)
  デンマーク、ドイツ、チェコを旅して作り上げたアルバム。そう言えばボクはチェコマニアで、これまでに11回も行っています。しかしチェコ語は話せません。
(ポニーキャニオン/おそらく廃盤)
「Goku」(1998)
 レコーディング中にポニーキャニオンから契約を切られ、突然インディーズになったアルバム。しかしけっこう質は高いです。ヒロキの才能爆発。画家の西山さんも才能爆発。ボクは負債で人生爆発。
(自主製作/まだ在庫あると思うよ)
「ライブ・イン・シドニー」(1999)
 解散を念頭に置きながらの捨て身のシドニーライブ。盛り上がった。ボクはこの一ヶ月前に札幌で肋骨を四本折った。
(自主製作/まだ在庫あると思うよ)
「HOPE」(1997)
 久石譲さんのパラリンピック支援アルバムに作詞と朗読で二曲参加。テーマ曲の作詞は炎熱のカリフォルニア砂漠で行いました。BOOMの宮沢君には内緒です。
(うーん、廃盤かな)
「涙は馬のたてがみに」(1995)
 寺山修司さんの競走馬の詩を朗読。ボクは大井のトィンクルレースが好きです。
(メディアレモラス/絶対廃盤)
「ベスト盤」(2002)
 なんかこういうのが出たらしいです。
(ポニーキャニオン/在庫あるよ、きっと)
CD SINGLES(1995 〜 1999)
(左より)
 フジオ・アカツカ大先生に挿し絵を描いていただいた「ハタ坊のおでん」、ライブで音程をはずしてしまい東北に家出をした「はきだめの鶴」、全国のよしえさんに好かれるきっかけになった「始まりと終わりの物語」、ドイツのデザイン本でジャケットが紹介された「ラジオ」。全部廃盤です。
(左より)
 学校の卒業式で歌われるためいまだに印税が入ってくる「旅立ちの歌」、アニメのテーマソング「バビブベビンビン」、岩崎宏美さんに差し上げた「許さない」、国会議事堂前ですっぽんぽんになり警官に追われた「夜汽車」。全裸になったレピッシュ・マグミえらし。もちろん全部廃盤。
AND SUN SUI CHIE (2001〜2005)

 ニューヨークで結成したバンドです。ギタリストのミツ君。ベーシストのジェフ。ドラムは大ちゃんでしたが、東京に戻ってきてからは高円寺ネブラスカ裏在住のヒデちゃん。所属事務所の楽工房より自主製作盤としてアルバム「SUN」を2003年にリリース。遠藤ミチロウさんとの白熱のライブを終えてしばし休息しておりましたが、2004年11月6日、新宿ライブフリークス「ネブラ座の怪人」より、新しい名前のバンドとして再登場しました。なお、アルバム「SUN」は楽工房のHPにて購入可能です。またこのバンドは2005年3月をもって活動を終了しました。ボクもこれにてバンドからは引退。

声の仕事  
「クワガタムシを食べてのどを鍛えよう」
(写真はクワガタの空揚げを食べてナレーション入れに備えているドリアン氏29歳/「もともと黒い虫なので揚げ過ぎに注意してねん」)
CMナレーター:
ネスカフェ・ゴールドブレンド/ツーカーセルラーズ/ホンダワゴン/トヨタ・カリブ/FIFAサッカーゲーム/ハウスクリームシチュー/モスバーガー/公共広告機構など
番組ナレーター:
ソリトン銀の斧金の斧(NHK教育)/ニュースステーション特集企画(テレビ朝日)/働くとは?(札幌テレビ)など
声優:
おかあさんといっしょ(NHK)挿入アニメ「ぼくのともだち」全キャラクターボイス(のぶみ作)
スーパー:
福島県郡山市のスーパーマーケットの社長になぜか好かれて‘特売品’の連呼。こやし臭い畑の真ん中のマーケット。
「安いよ、安いよ、トマトが安いよ」
 
  ラジオ (たくさんの番組を構成してきましたが、出る方で記憶に残っているのは下記の二つです)

  AM 「ジャンベルジャン」
  
ニッポン放送をキー局に全国41局で生放送。1995年10月〜2000年3月の5年間、 土曜の夜はいつも気が
  重たかったです。酒も飲めないし、降り掛かってくるのは人の悩みばっかだし。少しノイローゼになって
  しまったのもこの 番組で作ってしまったイメージのせい。でも、今はもうすっかり大丈夫です。何でも来
  いやって感じ。いい意味でも悪い意味でも図太い人間になってしまいました。

  FM 「フルーツが好きっ!」
  
FM山形をキー局に東北6県でオンエアー。1997年のオンエアってことは、バンドが事件を起こし てしまっ
  た年。すなわち番組は打ち切り。でも、拘留されているメンバーにプロデューサーの野坂さんが会いに行き、
  何も言わずに一緒に泣いてくれた。野坂さんはそういう人でした。今はラジオ局をやめられて、おしゃれ雑
  貨屋さん「くらしのくら」を営なまれています。

 
  テレビ (これまたたくさんの番組を構成してきましたが、出る方で忘れられないのはこれです)

  テレビ朝日「金髪先生」(1996〜1998)
  当初3ヶ月の予定が2年も続いてしまった深夜の長寿番組。夜中の2時50分スタートだというのに、視聴率
  2.5%を突破したことも。番組で紹介したアーティストは全部で97組。生徒役としても、カルメン・マキさ
  ん、世良正則さん、高木ブーさん、ローリー寺西さんなどに出ていただき、むちゃくちゃ有意義な時間を過
  ごせたと思っております。

  

 
  書籍  
ゲームブック類
ゲーム作家がクレタ島の迷路のような設計図を持ってきます。気が遠くなりそうになりながら朝から晩まで書き続けること二週間。この手の本はほとんど買い取りでした。一冊書いて三十万円ぐらい。でも後で聞くと、根強い人気があって一冊につき二十万部ぐらい売れたみたい。う〜ん、どっちの方が得だったのだろうと、居酒屋で切れの悪いぬる燗を飲むのでした。「およげたいやきくん」のB面を買い取りで歌ったなぎらさんの心境やいかに。

「食べる〜七通の手紙」三修社、文春文庫)
開高健賞の主催者側から「他薦で入れたい」と有り難い言葉。三修社の担当も「確実ですよ〜」と嬉しそうにおっしゃるので世の中そんなふうに甘いものだろうかと思っていたら、賞の発表当日、首都高速のトンネルに入る直前に電話が! 「今回は残念ですが・・・」と来たところでぴーっと切れる携帯電話。その後のトンネルの長かったことって、ほとんど「雪国」級でした。やっぱり世の中って甘くなかったのねん。荻野アンナさん以外の選考委員会からはボコボコにけなされるし。けれどもこの本は一部で高い評価を受け、その後、文春文庫から再発売。現在も良心的な書店なら手に入ります。

「湾岸線に陽は昇る」講談社)
「叫ぶ詩人の会」ができあがるまでの物語あれこれ。できあがって、色々あって、つぶれちゃって、まあ今があるわけですが(何もえばる材料はないのですが)、なんかこういうのはホント、振り返ると恥ずかしいっすよ。ちなみに文庫本の方は、散歩のエッセイとか、地球の田舎の探検記とかどうでもいいような付録が付いています。職業は旅人って感じです。

「ゆっくり行こうぜ」(扶桑社)
夕刊フジで始まった地獄の連載の前半戦をまとめたもの。なんたって夕刊フジですから、毎日書かなければいけません。しかも当時のボクは連載をたくさん抱えており、何と月産39本。ネタかぶりが許されない上、締め切りは毎朝11時。二日酔いの朝とか非常にきついわけです。ああ、しかし、あの頃の忙しさが懐かしいなあ。今は月産4本ですから、どちらも切ない環境です。

「ゆっくり行こうぜ2」(扶桑社)
夕刊フジの連載の後半戦。バンドが事件で干されて、ボクが破産寸前に追い込まれるところまで。今も破産寸前なので全然進歩していないことになりますが、逆に言えば安定感バツグンです。事件で落ち込んだヒロキとゲンゾーを連れてインドに旅立ち、二人がもっと落ち込むところなんてかなり笑えます。一生懸命生きていても、星巡りというやつはありますねえ。うまく行かない時は行かないもの。それこそ、「ゆっくり行こうぜ」と自分に向かって言いたい心境だすって、急にいなかっぺ大将。

「もう君はひとりじゃない」(扶桑社)
これ、もめたんですよ。ボクの知らない内に本のタイトルとカバーイラストが決まっていて。いきなり完成品を見せられて、おいおいマジかよって。だってボクの持論は「人間は基本的にひとりだ。いつも裏切らない仲間は孤独ってやつだ。だから会えた奴は大事にしなきゃいけない」って方向。それなのにこのタイトルじゃねえ。でも、この本売れました。一ヶ月もたたない内に5万部行ったはずです。まったく羨ましいっちゅうの。

「言葉ノート」(マガジンハウス)
ダカーポでずっと連載していたエッセイをまとめたものです。面白いのもあるけれど、そうじゃないのもあるよ。なんかちょっと病んでいるなあという精神的凹凸が行間に見え隠れしています。ちなみにこの「病み病み感」丸出しの素敵な表紙は、ベルリンの廃虚アートビル「タヘレス」の階段の壁で見つけた落書き。イイヨ。タヘレス。廃虚の中庭に描かれたMORE ARTの文字に心が踊りました。

「青春放浪」(毎日新聞社)
これは毎日中学生新聞の連載をまとめたもの。だから担当者からタイトルを聞かされた時はどうしようかと思いました。だって、中学生って青春と呼ぶには早すぎるような気がしませんか。青春ってやっぱり酒とか煙草とかトルエンとか、一、二度捕まって指全部指紋取られるとか、汚い大人にボコボコにされるとか、淋病でぱんぱんに痛いとか、ある程度の修羅場をくぐって初めて青春という感じがするのです。内容とタイトルが違う本です。これ。あ、でも、中崎タツヤさんは大好き。

 

「ベルリン発プラハ」(幻冬舎)
幻冬舎とポニーキャニオンにお金いっぱい出してもらってこの本書き上げたのに、発売前日にバンドメンバーの事件発覚でいきなりお蔵入り。なんかねえー、事件起こした方も起こされた方も痛いですよ。このブルーの表紙を見る度に、人生というやつはいきなり落ちて行く日があるのだなあとつくづく思うわけです。しかし考えようによっちゃ、落ちて行くのもまた良しで、落ちた人間にしかわからない醍醐味というのもけっこう味わい深かったりします。渋い中年になりそうな予感。

「げろりん」(集英社)
小説すばるの連載をまとめたもの。げろとかうんちとかちんぽことか、そういうものだけを題材にして短編小説を書こうと思ったのは、アンジーの水戸華之介と東欧を旅行した時。「オレ、今度ちんげとかうんこだけをテーマにした本にエッセイ書くかもしれん」と飛行機の中で言われ、なんちゅう羨ましい仕事だろうと思ったのでした。そういうわけでこの本はお下劣の塊です。でも単なるお下劣ではないので、俵万智さんがカバーの言葉を書いてくれました。「愛がある」んだって。担当の萱島さんは現在、ノンノの副編集長です。

「ドリアン魂」(小学館文庫)
この本はどう表現したらいいのか。書き下ろした部分はありますが、詩編の中から選択を行ったのは編集部の方ですし。タイトルも何だか強引に決められてしまった経緯があり、今思えばちょっと恥ずかしいわね、この魂系タイトルは。でも、表紙以外の写真は全部自分が撮っているし、思い入れがないわけではない。しかし有り過ぎるわけでもない。つくづく消化しにくい本です。顔も性格も好きじゃないのに、体が魅力的な女の子みたいな。わかりませんね、この喩え。

「駅弁ファナティック」(学陽書房)
日本を離れる前に、全都道府県の駅弁を食べて歩きました。一緒に旅をしてくれたのは担当の根津さん。カメラマンの石黒さん。前マネージャーの前坂さん。女性三人との旅とあって、これはもう大変に愉快でした。愉快過ぎて太ったほどです。そりゃまあ、一日各駅停車に揺られて駅弁7つも喰ってりゃ太りますよね。この本のお陰で、ボクは駅弁評論家になってしまいました。次号のアエラでも駅弁に対するコメントを載せています。でも、ボク、駅弁以上に好きな食い物いっぱいあるんですよ。そこんところ勘違いされると困るんですが。
金髪先生

「金髪先生」(テレビ朝日出版)
残念なことにボクも手持ちがありません。一番売れた本です。興味がある人は図書館で探してみて下さい。

そしてアメリカ三部作へ
もう飽きたので目次に戻ります。