ドーランが目にしみる 2008.9.24 〜 10.31

 10月31日(金曜日)

    一昨日、昨日とかろうじて映画で引っ張ってきたが、どうも砂に埋まってしまったようで、
    映画が終わると、ただのでくの坊。何に対しても心が動かない。
    少し疲れたのかなとも思う。
    今週の疲れとか、今月の疲れじゃなくて。

    ここ十年ぐらいの疲れ。

    酒に解決を託す気も起きず、ただうつらうつらとしている。
    老いた猫のようだ。
    しんどいながらもさぼらないのは腹筋や腕立て伏せぐらいで、
    あとは小指一本動かすのも嫌になってくる。

    うつ?
    とうとうやられちゃったかな。

    「砂の女」(安部公房・新潮社)をアマゾンで取り寄せ、砂に埋まったところで事務所の隅に沈んでいく。
    文字は進まない。タイトルだけが点滅している。


 10月30日(木曜日)

    今日は「Hair」を拝見。
    大学に入って初めて入った劇団でこの映画(舞台)のトップ・ナンバーである「アクエリアス」を覚えさせられた。
    一年後に公演をやろうということになっていたからで・・・今でも歌えます。

    ぼくはその劇団を途中で抜けてしまい、同じように抜け出た者たちと新たな劇団を作り上げたので
    実際の舞台で「Hair」に参加することはなかった。
    でも、うらやましかったことがあって、それらは彼等が公演に向けて一年間髪を切らないという
    アッパーな連帯的日々に入り込んでいったことだ。

    一年間、いっさい髪に触れないとね、やはり一種独特の凄みが出てくるんですね。
    それを四十人ぐらいでやっているという、髪の暴走族みたいな雰囲気がステキで。

    しかし・・・「Hair」も最終的に暗い設定だよなあ。
    友だち思いのバーガーは、本当に最後、ああなる必然性があったんだろうか。
    それともあれは、アーリントンの十字架のすべては、誰かにとってのバーガーだったということなのだろうか。

    墓碑名のところに、1945〜1968と刻まれていた。
    せっかく太平洋戦争が終わった年に生まれたのに、ヴェトナムで逝ってしまった。
    あの時、ホワイトハウスの周囲を埋め尽くした何十万人ものHairたちは、イラク戦争が始まった時、
    なぜ声をあげようとしなかったのだろう。

    それともこんな考えはこちらこそが無責任で、時代が変われば人はすべてまたゼロだと、
    そう考え直すべきなのだろうか。

 
 10月29日(水曜日)

    CS朝日放送でまた映画の解説番組の当番が回ってきた。
    今回はちょっと好みを通させてもらい、70年代のアメリカ・ミュージカル映画を取り上げてもらった。
    ぼくのお願いで、「The Wiz」「Hair」、それから局の選定で「Saturday Night Fever」が決まった。
    (トラボルタのはミュージカル映画じゃないけれどね。あれはけっこう暗い青春ドキュメントです)

    で、今日久々に「The Wiz」を拝見。
    いやー、何度見てもいいです。
    見る年令によって、語りかけられていることの意味が違ったふうに感じ取れることも名作の条件。
    そういう意味では、HOMEの意味が、単なる「家」という言葉を飛び出して、心のよすがのように響くのは
    こちらも方々を歩いてきたせいか。

    ドロシー役、ダイアナ・ロス。案山子、整形前のマイケル・ジャクソン。
    ライオン、テッド・ロス。

    とにかく、このライオンに痺れます。
    今でもぼくの座右の歌は「Be a Lion」です。

    20才の頃かな。上京してしばらく経った頃、新宿の映画館でオールナイトミュージカル4本立てというのを
    やっていて、この「The Wiz」を初めて見てぶっ飛んだまま昼間も眠れなくなったのを覚えている。
    黄色いレンガの道がブルックリン・ブリッジにばーっと光のように走るシーンが忘れられなくて
    向こうで住んだ時に、同じ位置から橋を見に行った。

    歌う道化師としてのミツ君とのユニット、アンド・サン・スーチー。
    ぼくがお尻にしっぽをつけたがるのを、ミツ君は止めに入っている。
    「何ものになりんたいんだ?」と。
    
    いやいや、答えは簡単なことです。
    テッド・ロスだよ。

    
    

 10月28日(火曜日)

    人の悩みばかりを2000人近くも聞いてくると、苦悩は言語対言語の図式から抜けて抽象化し、
    ベクトルのようなエネルギーをもった図形として現れるようになる。
    言語を通り越えた芯はつまりそのようなもので、
    かつての王貞治選手で言えば、「ボールが止まって見える」状態だろうか。

    では、そのような状態になれば、自分の悩みからは解放されるのかというと、
    決してそうではない。
    他人の悩みにあれこれと心を砕きながら、自分の悩みは木質化した梨のように方々の枝から垂れ下がっている。

    まあ、医者も病気にかかりますし。

    で、その言語対言語から抜け出したことをもって一冊の本を上梓させていただく予定なのだが(来年4月)、
    目下の悩みは、そのイメージを機械的に書けないことである。

    職人がどこかに機械を作り上げるものなら、ぼくはいつまでたってもその域には達せられない。

    苦悩の解決を記すためにキーボードに向かい、苦悩が高まり、今日も文字が進まない。

    


   

 10月27日(月曜日)

    大島幹雄先生の労作「サーカスと革命」(平凡社)を讀んだ。
    副題に「道化師ラザレンコの生涯」と記してある。

    どういう本かというと・・・帯コピーをそのまま載せた方がいいかもしれない。

    20世紀初頭、ロシアは革命という大きな激動の中にあった。この時期に、「赤い道化師」と呼ばれ、扇動者として
    革命の先頭に立ち、民衆の絶大な支持を受けたサーカス芸人ヴィターリイ・ラザレンコ。<行為に於ける詩人>と
    して生きた道化師の生涯を丹念に追い、メイエルホリド、マヤコフスキイら同時代芸術家たちとの実験的・挑発的
    ないとなみと、革命期の見世物小屋にこだました歓声と呵々大笑を、臨場感に富む筆致で描き切る。当時ロシアを
    巡業した日本人曲芸師「タカシマ」や「カマキチ」らの謎につつまれた足跡も追う。

    なんつーか、こう・・・ラフマニノフのピアノが聞こえてきそうな世界観である。
    そして同時にそれは、ぼくのような人間にとってはすっぽりと身を隠してしまいたい空間であり、
    もうこの世この時代には戻ってきたくないと思わせる可能性を秘めているだけに、
    妖しい誘い手が何百と構えている、それがページというページから飛び出してくる禁断の本でもあるのだ。

    もっとも、讀み終えて浮かび上がってくるのは、人間社会というものの、時代やイデオロギーを越えた原理だ。
    アジテートする側に回り、一世を風靡した者は必ず梯子をはずされる時がくる。
    ラザレンコが体験した人生の頂点と・・・そして時代から突き落とされた墜落。
    ムソリーニのような最終的悲劇は訪れず、むしろラザレンコは最後には受け入れられ、名誉も回復する。
    しかし、そこまでに要した時間の長さよ。

    人生とは、最後に人を信じるためにあるのか。それとも、その反対なのか。

    ここまで広大ではないにしろ、それはぼくも体験してきたことだ。
    生きていくのは、なかなかにしんどい。



 10月26日(日曜日)

    久しぶりに少し酒を飲んだ。
    あらゆることは達観するしかないし、
    達観しながら愛するしかない。

    出会った人はもちろんのこと、去っていった人も愛するしかない。
    去っていった若き日々はもちろんのこと、そう若くはないけれど、でも決して老いてはいないこの日々も愛するしかない。
    
    幼い頃のチャーリー・チャップリン。
    アル中の父に去られ、精神障害の母と兄弟でさまよう生活。
    母が強制入院させられた後、兄は兵隊に取られ、ついに彼は十歳にして家無し子になってしまう。
    ロンドンの貧民街で、道で寝泊まりする少年が見た夜空とはどんなものだったろう。

    でも、その彼が到達した生きることの醍醐味とは、「愛するしかない」ではなかっただろうか。
    『キッド』や『街の灯』や『ライムライト』や、そして『独裁者』のあの最後の長セリフ。
    彼は家を失ったことで、人間社会そのものが家になったのではないだろうか。



 10月25日(土曜日)

    ベルチンスキーというロシアの歌手を知っている人はうんと少ないだろうけれど、
    道化を始めていろいろと興味をもって調べていった時、
    この「白塗りの道化師」と遭遇してしまった。

    出会ったのは、ロシアサーカスや道化師を研究なさっている著述家・大島幹雄先生のホームページ「デラシネ通信」で、
    (http://homepage2.nifty.com/deracine/)
    なんと言うか、つまり、ぼくはこういう生き方をしているけれど、これは持って生まれた運命だったのだなと
    大先輩の足跡を教えてもらいながら納得した次第。

    ロシア・ソビエト。
    良い印象を持たない人が多々いらっしゃるかと思うが、物心付いた頃にパルナスやモロゾフなどのロシア菓子メーカーが
    すぐ近くにあった関西人としては、また少し違った感じ方がある。
    なんたって、クレムリンと言えば、せき髄反射で甘い露菓子を思い浮かべていたのだから。

    大島先生がロシアに対して抱かれているロマンも、(個人的な判断だか)スターリンが登場するまでの、
    ロシア・アバンギャルドの興隆から崩壊をもって収束している感がある。

    何にせよ、人は人の心をもって国家や地域を(結果として)作っているのだから
    イデオロギーというものがまずあり、そこに人心をはめこもうとする制度が成功するはずがない。
    様々な問題が降り掛かってくる時、人心発の防波堤としてそれぞれのルールが生まれるのであり、
    結果的に複合体としてのぼくらの社会が現れる。

    だから、国を変えてやる、社会を変えてやると声高に叫ぶ(ぼくもかつてやっていたが)人が
    国や社会を豊かにした例はなく、
    まずは周囲の人間や対峙した人を喜ばせる何か(それが商業であれ芸術であれ制度であれ)に到達した人たちによって
    地域や時代は変わっていくのだろう。
    そして多くの場合、彼等は無名のまま消えていく。

    ベルチンスキーはロシア人なら知らない人はいないだろう。
    (わかんないな。ぼくの知っているロシアの若者は全員、ゴーリキーを知らなかったから)
    でも、ぼくにとっては無名の人であり、今頃になって出会っている。
    そして勇気を与えてもらっている。



    

 10月24日(金曜日)

    11月29日の東京都民教会でのライブは、終演後に「星の降る町 〜六甲山の奇跡〜」の即売&サイン会をやります。
    今年はおそらくこれが最後のサイン会、およびワンマンライブとなりますので、ぜひいらして下さいね。

    「道化と正岡子規」
    時が経てばやはり気が付く点があるもので、たった数行の詩を加えただけで印象ががらりと変わるものです。
    二年前の青山の居酒屋ライブで初披露、それから今年の老神温泉、東北お寺ツアー 
    そして俵万智さんとの仙台クラシックと 変化を続けてきたわけですが・・・
    そういうことだったのかと、かなり大きな発見があり、

    来る11月29日のライブはまた新たな地平に立つ「道化と正岡子規」をお届けできそうです。




 10月23日(木曜日)

    昏睡状態だったおじさんが10日ぶりに口を開いた。
    枕を変える看護師さんに「ありがとう」と言った。
    おばさんは横で感極まった。

    もって二週間と言われた重度の脳硬塞。
    そんなバカなと医師が再度CTスキャンしたところ、
    当初死んでいたはずの脳に一部回復が見られるという。

    専門家だからこそ見放したその人が、今、呼び掛けに
    「うんうん」と答えている。

    人間は諦めてはいけない。
    一日でも残っているなら、諦めてはいけない。


 
 10月22日(水曜日)

    二度精査し、「星の降る町 〜六甲山の奇跡〜」(メディアファクトリー)の最終原稿が
    編集者の手に渡った。

    旅をしておいで。日本中を駆け回っておいで。
    なんなら韓国や台湾まで行ってもいいんだよ。

    この本は、ぼくの母国語である関西弁(神戸の言葉)ですべて書き上げた。
    不思議なもので、少年を書こうとすると、自分が少年だった頃の言葉でなければ書けない。
    大人を書こうとすると、今使っている言葉、すなわち標準語でなければ書けない。

    だから今回は、過ぎ去った日々への郷愁、憧憬みたいなものから、いまだ消えてなくならない希望
    みたいなものまで、それをまとめて12才ぐらいの視点で書きまくった。
    関西以外の場所にお住まいの方には多少読みにくいところがあるかも。

    でも、きっとこの本はあなたに旅をさせます。
    今から30年以上も前の神戸・芦屋です。

    
    午後、オール讀物(文藝春秋)11月号が届く。
    今回の特集は「小説で泣く!」。

    ぼくの短編が入っています。「レディバグ」というタイトルです。
    一度、どこかの朗読会で原形にもならないものを読んだことがあります。
    あれ、覚和歌子さんとやった時だったと思うけれど。

    あの時からかなり変わって、設定も多摩川や新宿ゴールデン街になり・・・つまり
    日本人の物語になり、さらに書き直しが何度かあって、筆者自ら「おおおおっ!」という結末になりました。
    機会がある方、読んでみて下さい。

    夕方から運動したり、発声したり、いろいろと計画があったのだが
    ちょいと疲れが出てきた感じで・・・ただただ横になっている。
    アリナミンとか飲んだ方がいいかしら。
    


 10月21日(火曜日)

    事務所にこもりっきりで、動物の話と、それから「関係」の本を書いている。
    どちらも来月初旬には初稿を仕上げるつもりだ。
    このところ集中してやってきたせいか、ちょいと息切れするようになってきた。
    考えてみたら、吸入器を付けたおじさんの顔を見た日以降、酒を飲んでいない。

    ぼくは休日をとらず、酒を飲む時だけを休息としてきたので、
    これがないと、ただのでくの坊と化してしまう時がある。
    枯渇ってやつだ。

    でも、人気作家の皆さんは、朝から晩まで毎日書き続けて量産体制の人が多い。
    質もさることながら、常に出し続ける体力と集中力が必要なようで。
    根性なしのぼくは、そういう人達を単純に「凄いなあ」と感心して見てしまう。
    (根性なしっていうか、まあ、覚悟の入れ方が違うような気がする)

     「星の降る町 〜六甲山の奇跡〜」(メディアファクトリー)
の再々校原稿を預かる。
    今夜中にチェックして、明日編集者のNさんに手渡す。
    これで見納め。ぼくの手を完全に離れる。

    11月14 日の発売です。
    1970年代の神戸・芦屋を舞台にした、洋菓子屋の老職人と孤独な少年の話です。
    念願の洋菓子小説第一弾! 作家のすべては処女作にあり(開高健)ということならば、
    今後の洋菓子小説のすべてがこの作品につまっているよ。

    とりあえず、クグロフから一切れお出ししましょうか。粉砂糖をたくさんかけてあります。


 10月20日(月曜日)

    しかし・・・つくづく思うのだが、大西泰人(おおにし・ひろと)先生こそホンマモンの革命児ではないだろうか。
    前々から大西先生の書く英語本は素晴らしいと思っていたのだが、
    「ネイティブスピーカーの英文法絶対基礎力」(研究社)を読んで
    とにかく感服。幸福な気持ちにさえなった。

    中高生の頃にこの人に会っていたら、英語でこんなに苦しまなかっただろうな。

    ぼくもNY時代に発音で苦労して、その時に得たことを「オバケの英語」(宝島社)という本にしているのだが
    その時に編集者が帯カバーとして付けた「魔法のように簡単に」というコピーは、
    大西先生の本にこそふさわしい言葉である。

    仮定法、wouldやcouldの使い方が曖昧な人、大西先生の本はお薦めだよ。
    暗記の必要はなし。読みもののように読めばいい。
    目からウロコとはまさにこのこと。

    大西先生、ぼくよりひとつ歳上なだけなのに、偉大な仕事をなされた。



 10月19日(日曜日)

    日々が夢のように過ぎていく。
    寝たままのおじさんの顔を見て以来、なぜか飲む気になれず、
    逆にぐっとつかむところが欲しいなと思うようになり、
    仕事だけではなく、ちょっとした想念に対しても具体的な行動を取ろうと思うようになった。

    にんじん。
    電子レンジで熱してから酢漬けにした。
    面取りはしない。皮のところにベータ・カロチンが隠れているらしいから。

    ぽりぽりと噛む。
    ぼくの血液も相当に乱暴な日々のせいで疲れ果てていることだろう。
    せめて・・・と、噛む。クエン酸にも任せる。

    しかし・・・飲まないと、仕事がはかどりますね。



 10月18日(土曜日)

    語らないことは、語る以上に大事なことだと思う。
    書くことが、書かないことを浮き上がらせる手段であるように。

    わかって欲しい時、人は字を列ねる。言葉を列ねる。
    でもそれは、若いし、寂しい行為だ。

    本当はね、ただカウンターの隅で飲んでいるだけで、そのバーに力を与える
    そういう客がいい。

   


 10月17日(金曜日)

    買ったのに、読んでない本がずいぶんとある。
    筑摩の近代文学全集とか・・・ほこりかぶっているだけで。
    これ、読まずに逝くのは嫌だなと思った。

    ページを開いた瞬間、ああ、でも、本との付き合いはこれでいいのかもしれないと思った。

    新刊として書店に並ぶ本は、ぼくの場合、よくて二ヶ月の命である。
    でも、ぼくのそばまで来てくれた本は、出番を待ったまま、とにかくそこにい続けてくれる。
    そのくせ、挨拶はいつも新鮮だ。

    もとよりその気質はないが、新しいものを追い掛けるより、こういう「やあ、お待たせ」の方がいい。
    喜びが連なって、書棚でぼくを待っていてくれる。


 10月16日(木曜日)

    ラジオや新聞で人生相談を頼まれるようになってもう15年近くになる。
    なので、「人生」という言葉はぼくに仕事のタームとしてついてまわり、
    これは致し方ないことなのだ・・・と思いつつも、

    いやいや、「人生」なんてやっぱり使いたくないのですよ、という時代があった。

    たとえば二十歳ぐらいの若い子たちのバンドを観に行った時、
    「人生ってさあ」と語り掛けるヴォーカリストに物凄い違和感をおぼえたことがある。
    まだ人生を語るな。何だかそんなふうに思ってしまったのかもしれない。

    当然、ぼくなども、60年70年生きている人たちから見れば洟垂れ小僧なわけで、
    「人生」を語るにはふさわしくないかもしれない。

    だが、感覚としてその「人生」とやらをリアルに感じだしたのは事実。
    ゴールデン街でぼくを育ててくれたママやマスターは暴飲のせいか、ほとんど逝ってしまった。
    バンド時代のマネージャーも、横浜のプロモーターも名古屋のプロモーターももういない。
    ぼくらのレーザーディスクを作ってくれたポニキャンのディレクターも星になった。
    酔っ払いの永沢光雄も旅立った。

    これが現実である。
    だから今日を生きるのだ。懸命に生きるのだ。たとえ「人生」は語らずとも。


 10月15日(水曜日)

    人生は有限だとつくづく思う。
    作家にも道化師にも定年はないけれど、円楽師匠が高座を去った時のように、
    芸事にも必ず引き時はやってくる。

    食えるか食えないか、ということであれば人様からの視線も大きいが
    まずその前に自分で納得できるのか、という点で、今自分は人生のどのあたりを歩いているのか、
    その見極めはなければいけないと思う。

    いちいち公表することではないが、真剣にやらなければいけないと思う。
    毎日を大切に。

    そう、誰もが有限の時間の中で生きている。


 10月14日(火曜日)

    また新幹線に乗り、北へ向かう。
    昨日、ある程度の充実感をもって眺めていた路線の景色が、今日は雨の中、沈んでいる。

    おじさんのことは、またいつか書くと思う。
    目を一度だけ開いてくれた。
    だけど、まわりのことがわかっているかどうか。
    のど仏だけが動く。

    意識不明と見られていても、実は本人は音だけは聞こえていた・・・なんてことは良く聞きますよね。
    こういう時は話し掛けた方がいい。

    まじめなようでまじめになりきれない。
    いい歳こいて、つまり人生のど真ん中で道化師になってしまったのも、
    このおじさんからいただいたセンスで。たぶん。

    お礼はいっぱい言いたいのだけれど、でも、お礼を言い過ぎると
    何だか最後になってしまいそうなので、そこは控えめにした。

    こういう時は本当にどうしたらいいのかわからなくなるね。
    ぼくはおじさんとの思い出をたくさん蘇らせること。
    それしかできなかった。


 10月13日(月曜日)

    朝っぱらからミツ君とビールを飲み、仙台からほろ酔い気分で帰ると、
    小さな頃のぼくを支えてくれたおじさんが倒れる、という知らせが入っていた。
    

 10月12日(日曜日)

    580人収容の仙台青少年センターが満員。二階席までぎっしり。
    こういうホールでのコンサートは久しぶりなので、リハーサルで頑張り過ぎて、
    逆に声が安定しない、続かないという恐慌を体験する。

    このドタバタ感。懐かしいのです。
    詩人の会の頃、何度経験したことか。

    歌い方を思い出せ。広がりを思い出せ。空間を思い出せ。そして忘れろ。
    そうだった。広いからって、隅々まで届けようとすると逆に届かないのだった。
    PAを信じろ。
    囁き声だっていい。それでもきっと伝わる。

    懐かしい、とはいえ、以前はその修復が難しかったこと。
    亀の甲より年の功、今回は何とか「歌い方」を手許に引き寄せることができた。
    そして迎えた第一部「クロコダイルの恋」、第二部「道化と正岡子規」。

    ボクらの熱演に俵さんがびしっと決めて下さり、三人編成としては何とか合格点のライブとなりました。
    お客さんの拍手、やはり人数が多いと波のようです。

    ただし、個人的にはかなりの問題が。
    結局は呼吸法なのだという当たり前のところに戻ってきて、今年中にこれの訓練法を確立したい。

    できたことと、できなかったこと。
    幾つになってもその二つが目の前にある。

  

 10月11日(土曜日)

    3人で練習を行い、ボクはホテルで原稿の手直しなど。
    舞台の前日なので今日は一滴も飲みません。夕飯もとりません。



 10月10日(金曜日)

    コンサートに向けて仙台へ。
    新幹線の車内から眺める福島あたりの景色がやけに美しい。
    目の前の田圃から会津磐梯山のシルエットまで、そのつながりがすべて広大に輝いている。
    秋の東北路はいいなあと、大きなコンサートが控えている割にはのんびり旅気分。

    今夜は俵万智さんを加え、三人でライブの構成の最終確認を行う。
    いつも二人でやっているところに、俵さんが入るだけのことなのだが、これがどうして
    なかなか難しい。
    体に染み付いた語りや歌をぐいっと引き延ばし、俵さんの短歌を入れる。
    これは頭脳ばかりではなく、体にも言うことを聞いてもらわなければいけない作業なのです。

    でも、まあ・・・何とか。

    夜の国分町でミツ君とうろうろ。
    それはなぜかというと、前に仙台に来た時、バカうま、ばか安の割烹があったからで。
    たしか「魚河岸」という名前の店だったのです。
    でも、今はその時に案内してくれた友だちもいないし。

    ミツ君に似ている店を指差して、「あんな感じの店だったんだよね。ああいう入り口で、
    ああいう畳の部屋で、あんなふうにメニューの木札がかかっていて・・・あ、ここじゃん」
    と、偶然にも魚河岸と遭遇。
    今回も突き出しでいきなりマコガレイの煮付けが一匹分出てきたりして、大変嬉しいお店でした。


 10月9日(木曜日)

    ほっ。原稿、通った。良かった。



 10月8日(水曜日)

    明け方、新たな原稿を書き終える。
    この一週間のボツボツの歴史から言って、またボツかもしれない。

    もう締め切りを過ぎたので、これがボツなら本当のボツである。
    打撃は大きい。大きいが・・・ぼく、まだこんなに心に力があったのだ。
    それがわかっただけで、この一週間に得たことは大きい。

    実人生で、さあ、どれぐらいが身の丈なのだろうと、考える年令である。
    夢が大きいとか小さいとかではなく、納得できる自分の人生というものを
    ぼくらぐらいの歳になると考えだす。(遅いっちゅうの)

    ぼくに欠けているものは、ひとつの想念を追求する集中力であること。
    これは自分でよくわかっていた。
    たくさんの映像が頭に浮かび上がり、ぼくはそこを燕のように飛んでいた。

    それはそれでいいのだが、でも、そうではない生き方をする日々もなければいけない。
    そのこともわかっていた。
   
    心のチャンネルの選び方として、その具体的な方法を知り得たのは大きい。
    だからまたボツと言われても、実はそれほど響かないかも。

    まじで得たものが大きい。


 10月7日(火曜日)

    3回目の書き直しにして、新たな人物像。
    怒濤の原稿書きが始まる。

    事務所の床下の地面から力をもらっている。
    ぼくに集中力をくれるのは、このEARTHだ。

    途中、11月14日発売の「星の降る町 〜六甲山の奇跡〜」(メディアファクトリー)
    のカバーデザインが届く。

    ちょっと泣きそうになった。
    ぼくのこれまでの本の中で、エモーショナルという点では間違いなく、
    しかも突き抜けて一位の装丁である。
    もう中身なんかどうでもいいというぐらい、表紙が生きている。呼んでいる。

    画家は天才サクラヤスユキさんグループのお一人、鈴木理絵さんだ。
    思えば2年近く前、つつじが丘の名割烹「げんげ畑」にお呼びして
    こういうストーリーの本を出したいの。絵を描いてちょうだい。
    と迫ってから・・・季節の風は流れ、実際に原物となって現れたのだが、
    装丁で泣きそうになったというのは本当に初めての体験でして。

    理絵さん、ありがとう。

    さて、徹夜は続く。



 10月6日(月曜日)

    午前中に2回目の書き直しを終え・・・。今度はどうだろう。
   
    それで、今日はラジオの収録があって、午後ちょっとぶらぶらと歩いてきた。
    ラジオではホッピーの話なんかして・・・あ、FM静岡という局です。

    夕方・・・また、ボツの連絡があった。

    仙台のライブが近付いているのでそちらに気持ちを集中したいのだが。
    うん、もう一回だけ頑張ってみよう。

    書き直すのではなく、新たに設定をし直す。
    登場人物を一新させる。

    でも、有余はあと2日しかない。
    50枚を新たに書き直すとして・・・仙台クラシックのクロコダイルの歌の暗唱もあるし、
    人間、そんな精神力を持てるのだろうか。

    集中力って、どこまで高められるんだろう。


 10月5日(日曜日)

    昨日今日で書き下ろしの小説の書き直しをしたのだった。
    かつての習作、いまだ残るその余韻を糧に舞台も時代も変えて出来上がったもので・・・。
    でも、ややこしいものに手を出してしまったのか、自分自身も整合感で納得がいかず。
    やはり、ボツと言われてしまった。

    さっそく今夜から2回目の書き直しだ。
    雨が降っているね。
    事務所で夜を明かすのは好きです。


    

 10月4日(土曜日)

    腕立て伏せの記録、さらに更新。
    最近、体力がある。

    事務所を開いて三年目に突入。
    思いきって、机の位置を逆にしてみた。
    最近萎えていた集中力もこれでアップ。

    さあ、今月の怒濤の原稿量を「腰を決めて」我がものとすることができるだろうか。

    ところで、11月29日のライブチケットは10月6日月曜日より予約開始です。
    電話での予約になります。
    楽工房03-3481-3300
    前売り3000円 当日3500円。


    値上がりしたようです。できれば前売りで買って下さい。


 10月3日(金曜日)

    昨日の夜、運動部にいた頃の先輩の夜襲を受ける。
    ワインが何本かあき、本も何冊か強奪された。
    そのまま朝の4時まで飲んでいた。
    気付けば先輩は目の前で沈没していた。

    ポール・ポッツ・・・何度見ても込み上げるものがありますね。
    you tubeで見られるやつです。
    でも、いつも同じ歌ばかり歌っていて、オーチャードホールでコンサートを
    した時はどんなレパートリーだったんだろう。

    もっとも、同じ歌を歌い続けるって、凄く大事なことだと思うんだけれど。

    そのままぼくも沈没したので、気付けば昼だった。
    こんなことではいけないと、自転車に乗って八幡山の蕎麦屋まで行く。

    気候がいいね。
    みんなはともかく、ぼくまで許してくれている。


    

 10月2日(木曜日)

    MITSU君とはいつも自由が丘のスタジオに入っている。
    三時間目まではなんということはないのだが、それを越えると
    「ちょっと休もうか」とお互い口にすることが多い。

    歌もギターも、立ち仕事と言えば立ち仕事ですから。
    美容院のお姉さんなんかはつくづく大変だと思うよ。

    さて、「ちょっと休もうか」が三回ぐらい出てくると、「もう、飯にしようか」
    ということになる。
    いつも同じ蕎麦屋で、いつも同じカツ丼セットを食べる。
    ミニカツ丼とミニざるそばのセット。800円なり。

    でも今日はめためたにお腹がすいていて、電柱が歪んで見えるぐらいだったので
    単品のカツ丼と単品のかけ蕎麦を頼んだ。
    
    食べ過ぎた。

    アルレッキオは、ひとつの学説として、hellが語源ではないか
    という学者がいる。地獄から来た者という意味だ。
    夏の夜の夢のパックも、英国じゃあたり前の悪魔だし。

    それで、hellに親族や仲間を表すkinがついた。
    あの世とこの世を行き交う者。
    アルレッキオ(アルルカン=ロココな言い方です)にはその交錯のイメージが
    なければいけないというのに、カツ丼で膨らんだお腹は実にこの世過ぎる。

 
 10月1日(水曜日)

    風の匂いが変わってきて、明らかに秋がそこにある。
    気温が急に下がったせいか、長袖のシャツにみんなが着替えている。
    女の子なんかはもうブーツを穿いているし、
    柔らかい素材のマフラーを巻いている人もいるね。

    そういう時に、一人だけTシャツで腕を出しているというのはどうかと思うよ。
    しかももう10年も着ているくたびれたので、ブラチスラバの御当地シャツ。
    年齢的にはジャケットなんか着るべきなんだろうけど。
    いつまでも裸の大将放浪記みたいだ。
    
    今日はお酒が抜けて気持ちがいい。
    腕立て伏せの記録を作ったよ。
    

    


 9月30日(火曜日)

    相変わらず原稿に取りかかっている。
    何とか「了」と書けるところまで来たけれど、これはどうなのかな。
    もう少し寝かせて、俯瞰で見てみよう。

    今日、「世界でたった一冊の本」に申し込んで下さった皆さんへの
    第一陣郵便小包を発送してきました。
    メッセージに何が書かれているか、楽しみにしていて下さい。

    秋の冷たい雨が降っているね。
    こういう時は風邪をひきやすいので、熱燗なり、お湯割りなり飲んでほかほかして下さい。

    明日から、仙台クラシックの練習に入ります。
    東北の皆さん、また御会いできますね。


 
 9月29日(月曜日)

    早稲田大学の演劇博物館に行った。
    あそこで酒を飲んだらさぞかしうまいだろうなと思うのだけれど
    まだ実行に移したことはない。

    坪内逍遥さんは酒を飲んだのだろうか。

    今日は「オール讀物」に向けた読みきり小説に一日かかりっぱなしだった。
    うまく行けば掲載されるし、だめならだめなんだろうな。

    でも、ぼくの場合は今が人生のど真ん中という気がする。
    だめならだめ、なんて言ってちゃ、それこそだめだよね。

    一秒の精緻をもって三十分を生き、残りはただひたすら弛緩するという作戦はどうか。
    夜間の集中力の低下が著しい。
    深夜放送を書いていた頃は、夜間こそどしょっ骨だったのに。


 
 9月28日(日曜日)

    結局、焼津の三福旅館で朝まで飲むことになった。
    ヒカシューの巻上公一さんとは阪神大震災の義援金ライブ以来なので、
    飲めるのかなあと思っていたら、忙しいようで東京に帰ってしまわれた。

    でも、ワハハの若手の人たちや喰始さん、俳優の坂本明さんなどがいらして、
    旅館は夜更けまで大変な騒ぎとなった。

    坂本さんはまたぜひ御一緒したい。
    ものすごく温情のある方とお見受けした。

    注目株は、ワハハのノンフィクション芸人「コラアゲンはいごうまん」さんで、
    この人は全国の市役所を回っては、「面白い人いませんか」と聞いて歩き、
    その人を訪ねて貴重な体験をするというドキュメンタリー話芸に徹していられる方だ。

    この夜も明け方、「たった二人のラグビー部」というのと「帯広の高齢者ソープ」
    というのを聞かせていただいたけれど、笑いたいような泣きたいような不思議な
    気分にさせられた。
    約束したので、近いうちにAND SUN SUI CHIEのゲストに呼びますね。

    焼津はいい町だった。イベントも楽しかった。三福旅館も太っ腹だった。
    呼んでいただいた喰始さん、ありがとう。
    常に酒を注いでくれたワハハの若手の皆さん、ありがとう。

    また、いずれ。


 
 9月27日(土曜日)

    静岡県焼津市主催の「ビートルズ日舞大会」で審査員をやらせていただいた。
    もともとは「ワハハ本舗」が突発的に始めた踊り。
    ビートルズの曲をバックに創意工夫に満ちあふれた日舞を披露する。

    ワハハの皆さんを大事にしている焼津市がそれを市民参加のコンテスト形式に
    したのが四年前で、毎年恒例の市民祭りとなった。
    ぼくは学生の頃、ワハハの社長である喰始(たべ・はじめ)さんに
    いろいろな意味で可愛がっていただいた。
    その縁があって、ニューヨークにいた頃はワハハの若手が遊びに来たり
    ・・・そしてこうして審査員として呼ばれた。

    ドーランが目にしみる。
    そうです。今後人前に出る時はなるべくアルルカンの格好を
    しようと思っているので、審査員席にもこのいでたちで座った。
    背が高い上どでかいカツラをかぶっているので、身長は190センチを越える。
    「最悪の席に座ってしまった・・・」と、後ろのお母さんが嘆いていらした。
    なので、行儀の悪い高校生みたいにずり落ちそうな姿勢で座り、
    「お母さん、見えますか?」と許しを得ることになった。

    審査員の登場前、舞台のそでにいたら、トップバッターの小学生たちが
    極度の緊張で震えている。
    ドキドキするうー、と悲鳴をあげているので、近くに言ってドキドキを吸ってあげた。
    「よーし、お兄さんがドキドキを吸ってあげよう」
    すーっと、息を吸い込んで、それからやにわに「ああ、ドキドキが移ったあ!」と
    悶えていたら、小学生たち冷静な顔で、「不審者」と囁きあっていた。

    それはともかく、舞台はけっこう感動的だった。
    ぼくがちょっと泣きそうになってしまったのは、
    百人近くのお姉様(といっても戦前を知ってらっしゃる皆さんね)たちが
    ぞれぞれ大きなハート型のパネルを持って群舞するものだった。

    パネルにはまたまた大きな字で、「ときこ」とか「たね」とか、それぞれのお姉様の名前が書かれている。
    曲は「ALL YOU NEED IS LOVE」。

    誰もが愛されて名前をもらったのだ、というのがひしひしと伝わってきて、
    これは日舞を越えたパフォーマンスとして世界に紹介できると思った。
  
    あと、「オブラディ・オブラダ」で市役所の人達が踊る阿波踊りも良かった。
    リズムが絶対に合わないところが微妙にリミズカルで良かったのだ。
   
    焼津って、なんだか面白そうだよ。


 
 9月26日(金曜日)

    いろどりつき、というのは古い9月の呼び方。異名です。
    今月はその彩りの中に、とても深い藍色のような、哀しい色が真直ぐに走りました。

    叫ぶ詩人の会で、四年もの間マネージャーを勤めて下さった長野光雄さんが亡くなった。
    五十一歳。あまりに若すぎる。
    メンバーが事件を起こし、世間から糾弾され、ぼくらは人間として試される場に突き上げられ、
    負債がどっとやってきて、そして砕け、つかまりながら散っていった。

    あの時は良い別れではなかった。
    でも、御遺体を前にすると、良いこともたくさんあったのだなあと、
    それを亡くなった長野さんと確認し合いたくなった。

    ずいぶんいっしょに過ごしましたね。
    毎度のニッポン放送、テレ朝、あの四年間は一番いっしょにいた仲でした。
    それだけに喧嘩もしましたが。

    タイ、カンボジア、台湾、アラスカ、メキシコ・・・方々に出かけました。
    札幌、青森、仙台、宇都宮、熊谷、金沢、横浜、名古屋、京都、大阪、広島、福岡、徳島、大分・・・
    方々でライブもやりました。

    それと、ずいぶん酔っぱらった。
    長野さん、酒と煙草が好きだったから。
    通夜で俺とヒロキ君は、長野さんがそばにいるような気がして、けっこう飲みました。

    「なんだよ。俺の通夜なんだから飲んでくれよ」
    そんなふうに言われている気がして。

    俺もヒロキ君も道は違えましたが、まだ歌っていますよ。
    これからもきっと。
    ずっと歌いますよ。


    

 
 9月25日(木曜日)

    11月29日のライブは下北沢の東京都民教会というところでやります。
    今月は盛岡、仙台、村田町とお寺三連発のライブで始まったいろどりつきでした。
    
    それが続いて・・・教会。
    こういう胸の開き方は好きです。

    ところで今日、ぼくのラジオを「昔聴いていましたよ〜」という若者がこの道化工房を訪ねてくれた。
    編集者となって。
    
    昔のことじゃなくて、前向きに、わくわくするようなことをしたいねって、ぼくは言った。
    それしかないんだと思う。
    敢えて、恣意的に、思い出をばっさりと切り捨てる。

    そしてまた小さな命となる。


 
 2008年9月24日(水曜日)

    ドーラン、汗とともに少しずつ溶けて、目に入りだすのです。
    膜を張ったように視界がぼやけて、お客さんの輪郭がかすんでくる。
    もともと目はよくないので、お客さんと影がつながってしまう。
    
    ライブが始まって一時間もすると、水族館の大水槽を泳いでいる魚の気分。
    夕暮れの。
    ぼくとお客さんの間には分厚いガラス壁があって、それをどうしても越えられない。
    
    だからぼくにとっては、声をかけてもらったり、拍手をいただくことが必要なのです。
    そうすると、この道化鮫とお客さんの間には、現実の硬い壁なんてなかったってことに気付く。

    東北三連戦のお寺ツアーで演じた「道化と正岡子規」、圧倒的アンコールが関東からも起こり、
    急遽、下北沢でやることになりました。11月29日です。



    
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