ドーランが目にしみる 2009年11月

 

 

 


Photo by Han-chang

@Tomin-church,
in Shimokitazawa


 11月30日(月曜日)

 この15年ほど、
 自分の居場所にさせていただいたBARが
 今日をもって閉店となったらしい。

 寝耳に水で、
 まったく何ということか。

 今日で断酒88日目。
 そのせいでずっと顔を出していなかった。
 あんなにもよくしてもらいながら、
 最後の日にカウンターに座れなかった。


 

 11月29日(日曜日)

 審査員という仕事はもう昨日をもって打ち止めにしよう。
 人の作品を審査する資格もセンスもボクにはない。
 門外漢のボクになにかを言われる方もたまったものではないだろう。

 審査員。
 もうやらない。
 どこにでも出ていかない。
 


 11月28日(土曜日)

 高校生たちの映像フェスティバル。
 審査員という役どころではあったが、
 昨年に引き続き、大林宣彦監督の横で、
 大林宣彦監督の話を聞き続ける。

 監督の開会の言葉がどんどん膨らんでいって、
 映画の式典というよりは、戦争と平和の話に進展し過ぎてしまった時、
 おそらくは主催者側から監督を止めるように指示が出されたのだろう。
 司会の女子大生が監督の話を遮ろうとした。

 監督一喝。
 「人の話を遮ろうとするその態度が戦争につながるんだ!」
 女子大生、もうちょっとで卒倒だったかも。

 味わいの濃い開会式であった。
 お金とってもいいぐらい。
 どの映像作品にも増して、
 監督の印象が今年もまた突出したのであった。

 しかし・・・昼にご飯をいっしょに食べていて、
 「生活のために文章を書いていてはいかんよ」と、
 なるほどもっともなご意見をいただいた。

 わかっているんですよ。
 わかってはいるんですが・・・。


 
 


 11月27日(金曜日)

 おそらくどの作家も、
 文字を綴ることを仕事とする以上、
 文章は自ずから読者を対象にしたものとなる。

 でも、書籍にはなりにくい文章
 あるいはついつい書き始めてしまったその発端というものもあって、
 これもまた、
 作家ならば誰もが抱えているはず。

 決して不良品というわけではありません。
 (ある意味で不良品と呼んだ方が魅力的かもしれないが)

 自分が歩んでいきたいと思っている方向性を
 自身が裏切ってしまうこともあるし、
 言葉の自由度をどこまで自分に許しているのかという問題もある。
 それに最近じゃ・・・そう、このご時世です。
 経営って楽ですねえ、ほほほほっ。
 なんて笑える出版社はもうどこにもないので、
 そう簡単に本は出ません。

 それでも書いてしまうのが、
 作家です。
 お金にならなくても。
 特にボクのような寓話愛好家は。

 前にもお知らせしましたが、
 来年の1月、遅くても2月から、
 他の作家とも組んで
 ウエブ同人誌を始めます。

 サイト名は『E-Literature』。
 課金制ではありません。会員制でもありません。誰でも読めます。
 皆さん、楽しみにしていて下さい。

 
 

 


 11月26日(木曜日)

 「青い部屋」でライブ。
 夜10時からの出演にもかかわらず、
 足を運んで下さった皆さん、ありがとうございました。

 歌詞がポコンと抜けてしまったりして、
 幾つか反省点ありのライブとなってしまいましたが、
 100点満点を目指すと人間が壊れてしまうと、
 日本最高齢のパイロット(87歳、調布飛行場勤務)の方が
 テレビでおっしゃっていましたので、

 まだまだ道化師の複葉機を飛ばせるよう、
 油断大敵と肝に命じつつ、
 今年最後となる来月25日のクリスマスライブに向けて
 希望の滑走路を準備していきたいと思います。

 それにしても・・・
 調布からプロペラ機が飛び立つ度に下から見上げていた機影。
 あのうちの一機を、こんなにもご高齢の方が操縦していらしたというのは、
 本当、複雑な気持ちも含め、驚きでした。

 『80点を満点としなさい』
 この老パイロットの言葉は、
 最初からそれにすがっちゃいけませんが、
 ふいの風に吹かれて尻餅をついてしまった時などは
 大事にしたい言葉です。

 
 


 11月25日(水曜日)

 文章を書く際には、
 もちろんその彷徨の始まりに
 羅針盤なり、イメージなりがあって、
 文字をひとつずつ置いていくわけだが、
 書いているうちに新しい発見が次々と現れ、
 予期していなかった森に出くわすことがある。

 長い文にも短い文にもそれは均等な可能性としてあり、
 たとえばたった500字の「ゲーテの言葉」(月刊ゲーテ巻頭エッセイ)。
 それを今日書いていて、
 心の深いところに隠れていたきらきらとしたものに、
 ふいに触れたような気持ちになった。

 ああ、こういうものがここにあったのか、という瞠目とともに、
 これがあるなら寿命分は生きていけるのではないかという
 ある種の箱船を見つけたような気分にもなった。

 美術や音楽にも同じことが言えるのかもしれないが、
 あるいは同じことは言えないのかもしれない。
 文字で心を表す創作は、
 ひとつずつ字を置いていくところに、
 その特徴があるのだろう。

 立ち位置が少しずつ変わっていきながら、
 心の風景を覗いていく。
 流れに乗ることも大事だが、
 敢えて乗らずに一歩ずつ進めるとしたら、
 それはそれで良いのだと思う。

 そうした遅い進行だからこその発見が、
 希望の在り処をみせてくれることがある。


 
 


 11月24日(火曜日)

 さあ、26日は久々の『青い部屋』でのライブです。
 ボクらアルルカン洋菓子店の出番は10時からです。
 その時間、渋谷にいられる人はぜひいらして下さい。

 青い部屋は渋谷駅から歩いて10分強ほどです。
 道がわからないという人は、青い部屋のHPで確認して下さい。

 今回のテーマは「冬の過ごし方」です。
 お菓子はなにをお出ししましょう。

 なお、来月の『青い部屋』ワンマンライブと合わせ、
 今年はこの2本のライブでお開きです。

 来年は1、2月、アルルカン洋菓子店は曲作り、お菓子作りのためお休みとなります。
 ライブは3月27日(土曜日)秋葉原のDRESS HALLではんぺんブラザースとのジョイントから
 始まることになりそうです。

 今年はあと2本、見逃さないように!


 


 11月23日(月曜日)

 沖縄本島には、この生き物の牧場がひとつだけある。
 もちろんここを目指しました。
 そして「良かった、良かった」になりました。
 出荷目的ではないこの生き物は、
 やはり表情が違う。
 人をきちんと見ているし、恐れてもいない。

 ボクは肉を食べる人間なので、
 出荷するなんて可哀想、なんて言う気はありません。
 でも、現実として・・・
 その生き物とどう関わるか、ということで、
 その生き物の存在までが変わってきてしまう。

 こういうことがやはりテーマとしてあります。
 人間対人間も同じだよね。

 社会や企業、あるいは家族、友人、
 そういった「対するもの」がその人とどう関わるのか。
 という部分で、その人の存在が決まっていく。
 逆に言えば、我々は意外とくせのないものかもしれず、
 そこに香りや色をつけていくのは関係性だけかもしれないのです。

 いやいや、こうしたことをこれ以上ここで語るのはやめましょう。
 あとはこの小説が世に出た時に。

 出るかな。
 そのつもりで、奮闘します。
 生き物の名を明かさず、申し訳ない。
 それもお楽しみに。





 11月22日(日曜日)

 昨日とは一転。
 Yさん、Tさんご夫妻と島をぐるぐる回るうちに、
 ついに見つけました。
 まずは四頭。
 このうちの二頭は子供っぽかった。
 (生後1年でもう子供を作り出すというので、少女なのか熟女なのか、今ひとつ判断がつかないのね)

 続いてぐるぐる回るうち、仕切られた場所のなかで飼われている約50頭ほどを発見。
 これはあれですかね。出荷されてしまうのでしょうか。
 目の前でせっせと励まれている雄さんなどもいて、
 出荷される運命にありつつ励まれているという、
 その生命の頑張りにじーんと来たり、気の毒に思えたり。

 そして再びぐるぐる回るうち、
 これまでのとは体型も大きさもまったく違う、
 キング・オブ・この生き物を海岸線で発見。

 ようやく出会ったぞ。
 と一同喜び、島にきた甲斐があったと万歳をしたが、
 よくよく考えてみれば、
 この生き物に出会いたくてここにやってきたのは
 ボクの勝手、我がままというもの。

 それなのにすべて用意して下さったYさんや
 Tさんご夫妻まで「良かった、良かった」を連発されているのだから、
 もったいなくて、ありがたい話です。

 創作の基本は個人にあり。
 しかし、それが行動に移り変わっていく時というのは
 人のつながりが生まれるものですね。

 知り合った皆さんがもっと深い意味で「良かった、良かった」となるために、
 読者の記憶に残る一冊を書かなければ。
 

 この夜、那覇へ移動。



 
 11月21日(土曜日)

 宮古島で人間と深く関わってきたある生き物。
 それがどんな姿で今、島の暮らしに溶け込んでいるのか、
 という部分を見に行ったのだが、
 実際に行ってみれば宮古島の町も那覇とそう変わらず、
 繁華街は繁華街としてそこにあり、
 モダンな家やリゾートマンションもばんばん建てられている。
 こちらが勝手に頭に思い描いていた島の風景が、
 手つかずで残っているわけではなかった。

 今回の取材をすべて手配して下さったYさんや
 島に移り住まわれてすでに島民と化している
 Tさんご夫妻の案内、もてなしなどありつつ、
 肝心のその生き物がどこにも見当たらない。

 実は今取り組んでいる小説は、
 その生き物と人間との関わりのなかから
 「存在」というものをあぶり出そうとしているのだが、
 これはちょっと目算がくるったかな、という感じ。

 ただ、小説そのものの舞台は宮古島ではないので、
 島の風景や風俗に忠実ななにかを書こうとしているわけではない。
 島は島でいいのだ。
 どこにいっちゃったのだろう。あの生き物。
 もしかしてもう、宮古島にはいないのかな。
 と、頭にもやもやを抱えつつの宮古島ナイトライフへと傾れ込んだのであった。
 セブンアップで。
 



 11月20日(金曜日)

 ジャンベルジャン、
 目次ページの下段から入れば
 アクセス方法がわかるようにしておきましたので、
 興味がある方は一度覗いてみてください。

 そうなりゃお悩み相談まとめて来い、
 というわけで、「夕焼けポスト」一年半ぶりの復活です。
 堕ちていく味わいに痺れる方、どうぞ。

 明日から宮古島に取材旅行です。
 今書いている小説で、どうしても見ておきたいものがあるので。
 沖縄はまだ20度以上ありますが、
 雨に降られそうです。


 

 11月19日(木曜日)

 昨日はたった30分の出演。
 断酒中ゆえ、ライブ後にお酒を飲んだわけでもない。
 でも、いつも同じ状態になる。
 高速道路の横に捨てられた箪笥の引き出しのように、
 (この比喩、?モンティーパイソン時代のテリー・ギリアム)
 ぼーっとしちゃって文章が進まない。

 戯作三昧、というわけにはいかない。
 渋滞、戸惑い、衰退・・・どうした言葉が適当かもわからない。
 でも、ずっとずっと原稿を眺めて大穴を開けようとしていたら、
 本当に土砂が転がり落ちてきて、
 陽光が差し込んできた。
 ってことは、トンネルのなかにいたのか?

 すこしリズムが戻った。
 ここから一気に疾走できればいいのだが。
 

 11月18日(水曜日)

 高校の同級生、The Jumps島掬次郎君の司法試験合格記念ライブ。
 久々に観た彼のエネルギーがとにかく圧巻。
 司法試験のために4年間を勉強に費やしてきたわけで、
 すが入っているんじゃないかと思いきや、
 贅肉ひとつない体!
 20代の頃よりシャープなステージング!
 相変わらずゴリゴリのゴリ押しでくる名古屋弁のMC!

 同い年の自分だからこそわかりますが、
 あの体力と精力、そして司法試験を突破した集中力、
 すべてひっくるめた夢や野望、
 はっきり言って、異常です。

 ステージ横で観ていて、
 つくづく彼は素敵だと思った。
 バンドが放つ爆音やビート感もなんだか懐かしくて、
 もうボクはそこにはいないというのがなんだか発見で。

 それと・・・。
 もう14、5年前かな。
 メンズクラブという雑誌でちょいと無理目なことに挑戦するシリーズをやっていて、
 フリューゲルスのゴールキーパーを体験させてもらったり、
 色々とあったなかで、
 ママチャリに乗って一日でどこまで走れるか、というのがあった。
 真夏の企画ですよ。

 炎天下、日本橋から走り始めて、
 浦安で撮影班の車とはぐれてしまった。
 財布も携帯も車の方に積んでしまっていて、
 ボクは一銭ももたずに一人でママチャリで走り続けることになった。
 汗はできってしまい、
 目の前がゆらゆら揺れ出す始末。

 その時に「ドリアンさん、何しているんですか?」と
 声をかけてくれた青年がいた。
 ボクは「ああ、どうも」と一応の受け答えをした後で、
 「すまん。千円貸してくれ」と言ったのだった。
 とにかくそれで飲料水を買い、
 婦人画報社に公衆電話で連絡を取り、
 ことなきを得た次第。
 その後、体力も復活し、富津岬の先端まで走った。

 ボクは命の恩人の彼を、
 当時出演していた「金髪先生」という番組に出てもらい、
 お礼とともに千円を返却する儀式をしたのだった。

 その彼が、
 このライブイベントにお客さんとして来てくれていた。
 しかも、プロのミュージシャンとなって。
 しかも、「金髪先生」に出演した彼を見てファンになったという女性から
 連絡をもらったという話まで引っさげて、
 しかも、その女性とそれから付き合いました、という秘話まで告白してくれて、
 しかも、今その女性はここに来ています、という驚きの展開がありつつ、
 しかもしかも・・・「妻です」!

 記念撮影しました。
 彼のブラスロックバンドはEMPTY BLACK BOXと言います。
 ファーストアルバム『WHAT'S EBB』のジャケ写には、
 メンバーとして奥さんも写っています。

 あの時の千円で彼は人生が大きく動いたのだった。
 わらしべ長者のような話である。

 楽屋ではそんなこともあり、
 島君が世のため人のための弁護士になることを祝しての
 ビートパンクイベントはこうして過ぎていったのだった。


 
 
 
 
 

 11月17日(火曜日)

 存在しているものって、
 必ず裏表があるんだと思う。
 今回の不況はかなり本質的なもので、
 長引くだろうし、
 単純につらい現象も多く起きると思う。
 
 でも、ユニクロや王将チェーンがそこで大きく躍進しているように、
 状況の取り方ひとつで人も仕事も魅力的になれるのだと思う。
 そしてもちろん、こうした大手量販店のやり方とは真反対に、
 気合いを入れてウン十万のジャケットを手に入れるような
 ある種、時代に逆行したような選択や生き方も、
 本人が意識的に試みるならそれはエネルギーに変わるだろう。

 要は、どういう状態の世の中がきても
 それを楽しんでやろうと思える自分が在るかどうかで、
 社会体制のなかで与えられる立場みたいなものとは別の意味で、
 生物として虎視眈々と狙う
 あるいは工夫する、
 自分なりの視線であり、幸福感だ。

 それが他者をもきらきら光らせる放射に変わるなら、
 揺るがないものがそこにあるような気がする。



 

 11月16日(月曜日)

 政府がとうとう「デフレ」だと宣言した。
 今更、それを言ってどうするんだ、という感じ。
 ここまで認めなかったのなら、
 むしろずっと「うーん」と迷い調子で、
 「でも、やっぱりデフレじゃないですよ」と
  ごまかしてもらった方がいいような気もした。

 言葉って、それを確定させてしまうから。
 どんなにやばい時でも
 「大丈夫だよ」とへらへら笑っている友達がいると、
 なんとなく乗り越えられる時がある。

 これがみんな深刻な顔になって
 「どうしよう。大変なことだ」なんて言葉を吐いてしまうと、
 本当に大変なことになる。

 ボクらはみんな、波長をもった生き物で、
 多くの魂が、「大変だ,大変だ」とやり出すと、
 列島そのものが大変なことになっていく。
 火山が噴火したりして、
 これは天変地異の前触れか、大変なことになるぞ、
 なんて騒いでいるとその波長がどんどん大きくなっていって、
 歴史に残る大飢饉を招いてしまった例があるように。

 逆に言えば、
 「デフレです」とか「年を越せない人が三十万人は出そうです」
 という言葉が片方から出て来るなら、
 その波長とぶつかり合う呑気な波長を出さなければならない。

 なんでこんな時に、
 お前はへらへら笑ってるんだ?

 という人物の姿勢なり、言葉なりが、
 国や世界が滑り落ちていかないために必要なのです。

 ボクはバブリーな時代に、
 わりと深刻な唄や叫び、シリアスな番組をやってきた。
 でも、人々が少し深刻な顔をしだしたので、
 たぶんこれからは逆を行くと思う。
 もともとあった素養だし。

 『噂の真相』という雑誌があった頃、
 ボクが裸で踊っている写真をグラビア頁にすっぱ抜かれ、
 この人は人生相談とかで真面目なことを言っているが、
 こういうバカなことをやっていた時の経歴が抜け落ちている。
 実にけしからんではないか。

 と、なんだか攻撃されていた。

 隠すも何も、そういうことは常日頃やっているし、
 あれはたしか、ディズニーランドの裏で、
 男三十人、前ばりだけの全裸で白鳥の湖を踊ったのだった。
 一応ビデオになって、多少売れたようだったが、
 素養として、やはりそれはある。

 だからついつい、深夜放送時代も身下相談がくると嬉しくなり、
 はしゃいであれこれ喋った結果、
 「調子に乗らない方がいいと忠告しておきます」などと
 局に電話がかかってくるのだった。

 さすがにもう、
 その手のコンクリートでできたような人たちは
 このサイトを読んでいないと思われるが、
 (アルルカンやって、退く人は退いたもんなあ)
 さあ、前ばりで踊ってみたい人、
 とにかくへらへらしちゃう人、
 お笑いとは違う意味で笑いが好きな人、
 出番ですよ。



 

 11月15日(日曜日)

 青空が素晴らしい日。
 紺碧のワインの底にいるようだ。

 ウエザーニュース、長期予報で天気悪くなるゾって脅かしていたから
 木曜日のようなことを書いたのだけれど、
 今ウエザーニュースの長期予報を見ると、
 天候の良い日が続くことになっている。

 長期予報なのに、瞬時に変わってしまうのね。
 ということは気象庁の今年の冬の暖冬予想って、
 どうなんだろう。

 澄んだ青空がどこまでも広がっている時、
 雲に覆われた空の下で人のつながりを考える時と
 少しニュアンスが変わってくる。

 鉛色の雲の下も悪くなくて、
 今ここで生きている全員の息吹、
 それはためらいや愚痴や餃子の匂いなんかも併せて
 すべてここにあると感じる連帯なんだけれど、
 青空だとクリスタルの反射みたいにそれが弾け飛ぶ。

 つながりとしてあるのは、
 明日以降の時間を、多くの人が持っているという
 言ってみれば・・・ひとつの希望だ。

 ちなみに古代エジプトでは神の色は青です。
 ターコイズも含め、青は天上の調べ。


 11月14日(土曜日)

 きっと、世界や時間を変えたいと願うのなら、
 自分が変わらなければならないのだろう。
 そのことは気付いている人が多くて。

 でも、自分が変わらなければいけないからといって、
 本来ある自分を否定してまで、
 何者か、たとえば他人のようなものになろうとしても、
 苦しいだけだ。
 根の張った生き物であり、
 本来、葉も、花も、実もつけるはずの自分をなぶり、枯らしてしまう。

 自分を変えるとは、
 本来の自分に気付いて、
 率直な、自然な生き方を選ぶということかもしれない。
 ようやくその心に
 辿り着くことなのかもしれない。

 そして一本の華やかな木となる。
 さすれば蜂も鳥も寄ってくる。
 花の香りに風も遊ぶだろう。
 夏には木陰で休む旅人も。




 11月13日(金曜日)

 ところで、脅迫するわけじゃないんだけれど、
 「なやむ前のどんぶり君」(ちくまプリマー新書)
 もう皆さん、買っていただきましたでしょうか。

 実は最近、買って良かったという声を
 発売直後のようにまたいただくのです。

 なぜか。
 発売直後は、「内容が斬新」「面白く読めた」というのが多かったのね。
 厚かましくも言うけれど。
 それが最近は、温度が下がってきたせいでしょうか、
 「実際にレシピ通りに作ってみたら、ほんなごつうまかったですたい」
 という実践派の皆さんからの感想が多いのです。

 本の内容もさることながら、
 食べておいしいレシピだから書いたという部分も
 著者にはあるのです。
 これからどんどん寒くなっていくし、
 心身ともに温かくしたいシーズン突入ですよね。

 騙されたと思って、
 「なやむ前のどんぶり君」をぜひご購入ください。
 書店でもAmazonでも、図書館でもいいよ。
 でも、図書館だと、前の人のご飯粒とかついてそうだな。

 乾いたご飯粒が頁と頁をくっつけていて、
 ついついそれを取って舐めて、口の中で柔らかくしてみたり。
 しないよね。

 

 11月12日(木曜日)

 最近、天気があまり良くないですね。
 ウエザーニュースで週間予報を見ても、
 秋の長雨が今来たのかなと思わせるほど、
 ここしばらくは天気が崩れそうです。
 
 すでに初冬の風ですから、長雨の上に氷雨だし。
 空は銀鼠(おお、ミチローさんの哀歌!)だし。

 心配するのは、
 こういう時に体調ばかりではなく、
 心の調子まで崩してしまう人が多いことです。
 特にこのサイトの読者は、
 ボクが人生相談のような深夜放送をやっていたことの流れなのか、
 病んでいることをさらに気に病んでいるという
 「ダブル病んで」(ダブルヤングってあったね)の人が多いため、
 みんな大丈夫かなあと気になるのです。

 中央線で誰かが飛び込んだと聞けば、
 思い当たる人の顔を浮かべ、
 「まさか・・・」と
 気持ちの上で、こちらも病みそうです。

 でも・・・天気なんだよね。たかが天気。
 台風の時に揺らぐ木々を見ていると、
 もうこの世の終わりなんじゃないかみたいな気分になるけれど、
 一日たって台風が過ぎてみれば、
 たいていピーカンの青空ですよね。

 昨日の今頃は波しぶきの前でアナウンサー興奮していたな、とか。
 昨日屋根を直そうとして死んじゃった人、
 どうして今日まで待てなかったんだろう、とか。

 死にたい。
 もうだめだ、という気持ちはボクには理解できます。
 病気を抱えている人は本当に大変だと思う。
 だけど、病気を必要以上に苦に病む方の病気もあって、
 こっちは何とかしたい。
 天気なんだよ。たかが天気。

 落ちていく時はあるけれど、
 好きな映画や漫才のDVDなんかを見ていると、
 やっぱり少し心が晴れたりして・・・
 ああ、心って天気だったんだって、気付きます。

 だったら、自分の心はなるべく日溜まりがあるように。
 そう思い込んでみようって。

 だから、天気が悪くなると機嫌が悪くなったり、
 ついつい落ち込んでしまう皆さん。
 ぽっかりと太陽を思い浮かべて、
 「来年、コルシカ島のレストランでも行こうかしら」と
 呑気なことでも考えて、
 これからの天気の悪い、冷たい一週間を乗り切りましょう。

 最近ようやくボクも
 心のテクとしてこれができるようになってきました。
 やっと最近だよ。


 


 11月11日(水曜日)

 森繁久彌さんが亡くなりましたね。
 96歳、老衰というのが立派です。
 女優さんや看護師さんのお尻や胸にタッチし続け、
 最後まで「すけべ」と呼ばれたことも立派です。
 
 彼を称賛する声が絶え間ないのは理解できることですが、
 亡くなった人に向かって「すけべ」の声が連呼されるのも
 稀有なできごとで、
 なんとなく尊敬に値するような気がします。
 哀しみの中にもみんながにんまりして、
 森繁さんもまたほくそ笑みながらあの世にいけそう。

 今はお尻に触ると「セクハラ」と呼ばれて糾弾され、
 時には逮捕されてしまう時代ですし、
 それはきっとそうなのでしょうが、
 そうではないお尻の触り方、また人徳というものがあれば、
 研究していきたいなと思うのです。

 お尻を触りたい手で、
 合掌。
 

 


 11月10日(火曜日)

 見方によって物事は白にも黒にもなり、
 たとえばヨーロッパを帝国主義、覇権主義、植民地主義の傲慢のるつぼと
 見なすこともできるわけだけれど、
 (実際、高慢な人も多いが)

 熟していく人間の香りのようなもの、
 老いていくことのいぶし銀の価値、
 人生はそう捨てたものではないという絶対善、
 それらを語らずとも教えてくれたのが
 ボクにとってのヨーロッパであり、その街角体験であった。

 それまでもヨーロッパを歩いたことはあったし、
 好きなフェリーニの映像などで若干の空気には触れていたつもりだった。
 だが、まがいなりにも取材でベルリン・プラハ・ブカレストを攻め、
 歴史が変わる、というまさに現代的な旬の時間の中にいて、
 しかし浮き足立たない、厳かにそこにある者たち、
 掘りの深い落ち着き、 一度絶望を見た者たちの微笑み、
 若い連中には真似のできない背筋、歩き方、歌、というものに目がしょぼしょぼするほど痺れ、

 つまり、
 ヨーロッパの街角は歳をとらなければ似合わない、
 中年、壮年、高年とむちゃくちゃにかっこよくなっていくのはいったいどういうことなのか?

 と、目の前の革命と等しいぐらいの衝撃を受けて帰ってきたことが
 今のボクのアルルカン道に少なからずの影響を与えているのかもしれない。

 揺れていた時代の揺れないもの。
 双方が醸し出す古くて新しいもの。
 まっすぐな曲線。
 「面倒くさい」と言われてしまいそうなこれらの感じ方ですら、
 プラハの老人なら一くさり語ってくれることだろう。

 若さこそが栄光なのだ、などと信じていれば、
 ボクはこの年齢から道化詩人などは目指さなかっただろう。
 だが、若さなど時の肥料に過ぎなかった、
 あの自由! 自由! 自由! は
 今これからの構築のための
 マイルストーンだったのだと疑いなく信じられるので、
 熟していくこと。
 そこに賭けられるのだ。
 
 ベルリンの壁に群がる人々を背景に、
 無言でオルゴールを回していた老道化師よ。
 ボクが見ていたのは、人々でもあり、
 あなたでもあったのだ。

 

 


 11月9日(月曜日)

 ベルリンの壁が崩壊し、
 東西冷戦の緊張がいびつに崩れてから今日で20年。

 そう。あれから20年だ。
 あの時生まれた子供たちが成人する。

 東欧にボクを向かわせ、
 何となくそこにいる放送作家から、
 追求しつつも安定しない人生へと
 軌道を変えさせてしまった何らかの力が、
 あの時、
 大勢の人で埋め尽くされたブランデンブルゲンには確かに宿っていた。

 そう。あれから20年。
 わけもわけらず突撃取材に向かったボクは
 まだ27歳だった。



 延々と続く壁を背負って。初めての東ベルリン。毎日、文化放送に電話をかけるだけの仕事。あとは自由! 自由! 自由! (1990年2月4日 撮影 アンジー・水戸華之介)


 11月8日(日曜日)

 今年やらなければいけないと自分で決めていること。
 来年やるべきだと自分が希望すること。
 こうしたことを箇条書きで書いているだけで
 体温が少し上がる。
 少年の頃からそうで、
 計画を立てている時が一番生きている感じになる。

 今年やらなければいけないことの量がだんだん増えてくる。
 世間ではこのことを、しわ寄せ、と呼んだりする。

 だが、すでにしわのレベルではない。
 峡谷をなし、山岳をなしている。

 ここから先、態度は二つだ。
 「人間らしくいきましょうぜ」とか言いながら、
 今年の分を来年に繰り越すか。
 あるいは今年はもう人間らしくあることは諦め、
 何か憑かれた人のように前に向かっていくか。

 と、迷っている暇があったら文字を刻みなさい。


 


 11月7日(土曜日)

 サイトのリニューアルを済ませて
 いやー、年が明けたなあ、みたいな気持ちになっていたら、
 サイトの一番最初の絵が真っ白になって見えない、
 サイトそのものが姿を消してしまったと
 物騒なメールを何人かの方からいただきました。

 まさに今、この文を読めない方には
 どうにも伝えようがないのですが・・・
 ひょっとしたら「森のくまパン」のままで
 検索をかけるシステムになっているのではないでしょうか。

 サイトの名前は変わって、
 「明川哲也 道化師の唄」です。
 URLはそのままで、

 http://www.tetsuya-akikawa.com/

 です。

 これで扉をノックしてみてください。

 それでも不調だという人は、
 うーん、どうしたらいいかなあ。
 MacとWindowsの相性が今ひとつなんてことが
 まだ起きているのだろうか。
 Myspaceはたしかによくつながりません。



 11月6日(金曜日)

 そういえば今日の東京新聞(中日新聞)に
  インタビューが載っているはずだと思い、
 夕暮れのつつじが丘駅まで自転車で走ったのだが、
 駅の売店のお姉さん(65歳ぐらい)は、
 「東京新聞は夕刊を出してません」と言い張る。

 夕刊は出していますが、当売店では扱っていません。
 というのがお姉さんの言いたいことなのだろうが、
 どう考えても文面通りに受け取れば、
 先日夕刊を廃刊した北日本新聞と同じ状況を思い浮かべるのである。

 でも、お姉さんと言い争っても仕方がないので、
 とぼとぼアトリエに帰ってきたのだが、
 するとある出版社の方が「読んだよ」と教えてくれ、
 やはり東京新聞に夕刊があることは証明されたのであった。

 良かった。




 11月5日(木曜日)

 サイトのリニューアルを手伝ってくれに、
 叫ぶ詩人の会の頃のマネージャーMさんが来て下さった。
 湯葉のおみやげつきで。
 彼女は今、京都で町家造りのゲストハウスをしていらっしゃる。
 前新屋といいます。
 
 せっかく京都に行くのだから、伝統の建物を借り切ってゆっくり逗留してみたい。
 四条あたりで呑んだり食べたりしたいから、
 夕飯が指定されてしまう旅館はちょっとなあ。
 といって、無味乾燥なホテルじゃ意味がないし。
 そんな皆さんにおすすめです。

 ところで、なぜサイトのリニューアルにMさんがいらっしゃるのかというと、
 このサイトが始まった時、くまパンの扉を設定して下さったのも彼女。
 コードを開いてのHTML作業がいまだに苦手な故、
 またもやお世話になるということなのです。

 かくて、5年間可愛がっていただいたくまパンは山に帰りました。
 さよなら、というわけではありません。
 あのblue bearには、また違う場所で復活してもらいます。

 そして、明日からこのサイトは
 『明川哲也 道化師の唄』というタイトルに変わります。
 内容はこれまでと同じです。
 でも、看板が変わると、やはり何かが生まれるかもね。
 みなさん、引き続き遊びにきてくださいね。

 明日、中日新聞と東京新聞にインタビューが載ります。

 

 11月4日(水曜日)

 昨日は普通の日じゃなくて文化の日でしたね。
 教えてくれた方、ありがとうございました。
 休日なしで原稿を見つめていると、
 あるいは毎日が休日状態で世からはずれた暮らしをしていると、
 このあたりの感覚がなくなります。

 敬愛する俳優さんで、
 この方と呑んでいると本当に心の底から
 じんわり嬉しくなる人がいる。
 つい先日書き上げた短編で
 まだほんのわずかな人にしかお見せしていないものがあるのだが、
 映画化をされたいということをおっしゃっていただいた。

 もちろん、それはその俳優さんのお心の話であって、
 これから先の資金集めや様々なネットワーク作りなど
 越えていかなければいけない障壁は山とある。
 でも、すでに舞台となった地を訪ねられた模様。

 そういう気持ちで読んでいただいた、
 夢中になってもらった、
 ということが何よりも嬉しい。

 俳優さんの夢を叶えるためにも、
 短編を幾つか編む形で連作と成し、
 一冊の本として世に問いたい。

 

 11月3日(火曜日)

 仙川湯けむりの里で、
 昼間から泡風呂に入っているのよ。
 普通の日の昼間なのに、
 爺さんやおじさん、
 なぜか股間を突き出したまま寝ている兄さんなどで
 (これ見よがしに)
 各湯舟はnettoriと満員だ。

 ああ、しかし・・・景色が悪い。
 男湯というのは本当に抵抗がある。
 湯の気分はいいからつかっているが、
 男の裸って、いやだねえ。
 祭りで尻を出しているのを見るのもいやなぐらいなので、
 お・と・こ・・・どっかいっちまえっ!

 でも、原稿が仕上がったので、よしとしよう。
 けだるい男パラダイス。
 壁ひとつ向こうの楽園に思いを馳せる。

 

 
 11月2日(月曜日)

 冬がきた。
 一徹な風に先陣を切らせ、
 魔王は今年も大陸から踏み込んできた。
 
 断酒中ゆえ、頭のなかだけで歓迎の酒をやる。
 柔らかい絹のような湯気をたてる神戸は南京街の豚マンにかじり付き、
 火を寄せれば炎をたてる六十度のマオタイ酒をちびちびとやる。
 冬の準備だ。
 それで身体を熱くして、
 元町を斜に、まっすぐに、横に、丸く歩く。
 上海蟹や、鈴なりになった粽に目をやりつつ。

 でも今は東京のはずれにいて、
 アトリエで貫徹しつつ原稿に向かっている。
 このつつじが丘もいい町には違いないが、
 海もなければ山もない。
 元町もなければマオタイ酒もない。
 そういうことが時々ふと寂しくなったりして、
 わがままだとは思うのだが、
 この都市はずっといるべき場所なのだろうかと
 疑問に思うことも・・・ある。

 きっと、このサイトをお読みの皆さんにも、
 それぞれの育ちの地というものがあるでしょう。
 目的もなく、
 その場所にちょっと帰りたくなる日、
 というのはあるものですね。

 そっちに行けば、またすぐ東京が恋しくなるくせに。

 ああ、単に原稿から逃げ出そうとしているだけかもしれない。

 いけない。
 向かい合わなくては。
 恋人は言語。

 

 
 11月1日(日曜日)

 多くのことをやろうとし過ぎているのか、
 目前の締め切りを睨みつつ、
 頭が一向に冴えない。
 山を積んでは崩し、書き連ねては解体し、
 いたずらごとの輪廻のなかでずっと立ち泳ぎしている。

 焦ってはいけない。
 ということだけはわかっていて、
 今日という日にも何らかの足跡を残したいと思うのだが、
 ひょっとしたらそれこそが
 ごう慢な、恥知らずな欲望なのかもしれないと気付き、
 やはり文字をくっつけたり離したり、
 転がしたりぶつけたりで
 透明に終わっていく一日である。

 勝手に・・・
 ハイデルベルグの風のようやね。
 (俺は実際にハイデルベルグの丘の上に立ったことがある。しかしなぜかその時、関西から『フラワーショー』というかしまし娘よりもっと迫力のあるおばちゃん三人組が旅に来ていて、隣で「なにいうてんねんなあ〜」とものごっつい関西弁トークを繰り広げていたのであった。おかげで俺のハイデルベルグ体験は木っ端みじんとなった。雰囲気としてはドイツにいながら新開地の駅前を歩いているようであった)

 さて、言語に対する愛情だけはしっかりとある。
 それが救い。

 

 

 → もう飽きたので目次に戻ります。