ドーランが目にしみる 2009年2月

 

 撮影:はんちゃん

 2月28日(土)

 ただ今奮闘中!
 本当は今日、野毛ラリーに参加する予定だったのだが、月曜締めきりの原稿が急に入り、
 机にくっついた状態で桜木町駅界隈の酔いどれ人たちを思っている。

 野毛ラリーとは、野毛にひしめくバーをスタンプカードを持ってラリーして歩く行為。
 酔っぱらい版パリダカのようなものである。
 各バーを訪れる時間はきっちり30分と決まっていて、
 誰とコンビを組むかも当日のくじ引きで決まるという・・・
 まあ、大人のお遊びなのですがね、
 今日は大人のお仕事なのです。

 ちなみに月曜日にはもう一本締め切りがあって、
 これは「オバマ大統領就任演説雑感」というもの。
 アルク出版から「オバマの英語」という本になって出るそうで、
 その中の数頁を担当します。

 「オバケの英語」にちょっと似ているなあ。


 2月27日(金)

 「トンネル」及び「トンネル2」という世界的に割とヒットしている
 英国の大ファンタジー冒険活劇小説があって、
 これが今、ハリーポッターに続くのではないかと言われている。

 分厚さもハリーポッターなみ。
 この十日間で、その「トンネル」及び「トンネル2」を読破した。
 あまりにこれを読み過ぎた日は、目まぐるしい展開に体が泳ぎ、
 夜道を酔ったようになって歩いたことがある。

 で、このトンネルシリーズの3を、翻訳家の田内志文さんと共訳することになった。
 今日届いた英文原稿の量を見て、少年のようにたじろいでしまった。
 これを期日までに・・・。
 間に合うのだろうか。間に合うようね。どうですかね。
 すべてはボクの集中力にかかっているのだが。

 この「トンネル」シリーズは来年、ハリウッドで映画化されます。

 


 2月26日(木)

 半片ブラザースのはんちゃんのリードで、今CD製作の中ごろを歩いている。
 今日はプレスの会社に赴き、納品までのだいたいのスケジュールを決めてきた。
 4月の11日になんとしても間に合わせなければいけない。
 間に合うのだろうか。間に合うよね。どうですかね。
 すべては今ミックスダウンをしているミツ君にかかっていたりもするのだが・・・。

 CDを作るという行為。これもたくさんの人がいなければできないことだ。

 ということを噛み締めつつ、
 なぜか夕方から浅草の場外馬券売り場近辺で一杯やっているはんちゃんと私。



 2月25日(水)

 こんなことを今さら言うと「あんた、なにを」と嘲笑されてしまうのかもしれないが、
 「おくりびと」が映画化されるまで地味に奮闘されてきた本木さんという人は
 その一件でも人柄が忍ばれるように、大した人なんだと思う。

 いつだったか・・・もう二十年近くも前かな・・・
 ユニセフが絡んだ企画で、
 世界五十カ国からの送られてきた子供たちの手紙を読む番組をやったことがある。
 ボクはその番組の構成作家兼翻訳家で、
 つまり、各国のユニセフの職員が英文に直したものを、さらに日本語に変えるという仕事だった。

 読んでいて、目が熱くなって仕方がないものが幾つかあった。
 いわゆる貧困国、あとは戦時国の子供たちからの手紙だ。

 バングラディシュの貧しい村の少女。
 働いても働いても餓えから逃れられない村の現実が書かれてあり、
 その子の夢としてお母さんの膝枕で眠る、というのがあった。
 お母さんは病気を患っている上、それでも痩せた土地に作物を植えなければいけない。
 そんな毎日の中で、お母さんに甘えたくても甘えられないもどかしさが連綿と綴られていた。

 アフリカの内戦国では、トヨタ自動車を名指しで、「もう戦車は作らないで下さい」と
 必死の願いが書かれていた。
 トヨタの4WDに機関銃を据え付けたものが「戦車」として使われているので、
 痩せっぽちの子供たちにとっては、トヨタのマークイコール戦争なのだった。

 そういう、切実な手紙を二晩ほとんど眠らずに訳して、
 その番組のパーソナリティになってもらった工藤夕貴さんと本木さんに読んでもらった。
 案の定、涙で詰まって工藤さんが読めなくなってしまった。
 するとそこから先を、ごく自然な態度で本木さんが読み始め、
 二人分の仕事をされて帰られていった。

 その時の態度が鮮やかで、だから今でも覚えている。


 
 


 2月24日(火)

 ゲーテという幻冬舎の働き盛り雑誌で、いつも巻頭の短いエッセイを書かせてもらっている。
 ゲーテ翁御本人の煌めく言葉の中から何かひとつ香りのあるものを拾い上げ、
 そこに自分なりの切れ込みを入れたり、ひと粒の種をねじ込ませたりする仕事だ。

 よって、若きエッカーマンが記した『ゲーテとの対話』(岩波文庫)を始め、
 ゲーテの著作に目を通しながら梅酒を飲んだりするのが月3〜4度の贅沢となっている。

 それで・・・人間も玉葱の皮みたいに一枚ずつめくれて、
 本質のような囁きに触れてドキリとすることがあり、
 ゲーテの一行の意味が以前よりも遥かに肉迫し、こちらのせき髄をぐいっと掴むことがある。

 星のように急がず、
 しかし休まず、
 人はみな
 おのが負い目のまわりを巡れ! (『温厚なクセーニエン』より)

 負い目というのは決してマイナスの表現ではなく、その人の宿命というか、
 この世でやらなければいけないことだ。
 その周りを、まるで開高健さんの『悠々と急げ』のように一歩ずつ進んで行きなさい、
 と、まあ、翁はおっしゃっているのだね。

 このクセーニエンの言葉には補足があって、
 かつでゲーテのもとを訪れた英国からの団体が
 この言葉を刻んだ印を贈ったところ、翁はたいへん喜んで
 『ブリテン人よ、諸君は理解した。活動的な心、制御された行為・・・』
 と返礼の詩を書いたそうな。

 これって、死が見えてきた人の落ち着きだと思う。
 なぜそれがわかるのかというと、ボクも最近かなり自分の死を意識するようになってきて
 そこから逆算して自分のなすことを考え始めた部分がある。

 道化師をやったり、作品を書いたりすることは、
 人によってはとっちらかった人物だと判断されてしまうこともあるようだが、
 これは自分の本質から出てきたことなので、言うなれば、おのが負い目である。

 問題は何を対象とし、どう切り込み、何を咲かせ、死んでいくかということだ。
 仮にあと一年の人生だとしたら、
 ボクはボクにとって本物だと思える作品を書き、本物だと思える歌を歌うだろう。

 別に、今なんらかの病気を抱えているわけではないが、年令というのは大したもので、
 『気付き』を与えてくれる。
 手広く仕事をやるのもいい。酒場で歌うのもいい。
 ただ、どの場所にいても刻一刻と消滅に近付いているという予感がある。
 その分、振り切れていないと納得できないのだ。
 我慢も含めてね。


 2月23日(月)

 アトリエに並んだ鉢植え。
 雑草を抜くのがとことん嫌いなので、
 どの鉢も公園の片隅をそのまま削り取ってきたみたいに和風ジャングル化している。
 
 これが実にいい。
 小さな、本当に直系20センチほどのミニマムワールドであるというのに、
 すっかり人智を越えている。春の前触れのようにアブラムシを付けている草もあるしね。

 その中で、葉に小さなトゲトゲのある小学四年生の反抗心みたいな草があって、
 ここ二週間ほどでぐっと伸びた。一本だけ。
 それで黄色い花を付けたんだ。

 これが決まって午前中だけ花を開く。蒲公英を小さくしたような謙虚なやつね。
 ところが昼のカレータイム頃にはもう花を閉じていて、また蕾の中に戻ってしまったのね、
 と、なでなでしてやってもピクンともアッフンとも言わないのだけれど、
 とにかくお戻りになるのである。

 そしてまた次の日、駅から歩いてきてドアを開けると花を開いて待っている。

 ただそれだけの話。
 でも、これは春だけの友だちの話。
 雑草は抜けません。
 心はあるが、リアルポリティクスの政策としては不可ですね。


 2月22日(日)

 昨日が緩い、泥のようなだらけた大人だったので、
 今日は年相応に人生に焦燥を感じ、因って、分刻みの真面目な大人になってみた。
 かなりの仕事をこなし、早朝に立てたスケジュール表もすべてクリア。
 少年の頃からずっと毎日こうだったら今頃どこかのCEOにでもなっていたのだろうなと思いつつ、
 そうではなかったから道化師に出会い、ゴルドーニを読み、小説を書いたり、
 めんどくさカレーを作ったりしているわけで、まあ、だからこれでいいわけである。

 そういえば、CEOって、どれぐらいの規模からの企業経営者に使われる略語なんだろう。
 本来ならマリア・カラスやサラ・ブライトマンみたいな人にしか使われないディーバってのも随分安売り状態だし、
 これまた滅多なことには使われなかったセレブも二足三文の状態で、
 近所のコンビニには「セレブ仕様」という醤油差しが置いてあった。それって・・・?

 CEOがどうも怪しくなってきたのは、ボクの知り合いの焼き鳥屋さんの名刺を見た時だった。
 焼き鳥屋は実にたいへんな仕事で(例:赤目四十八滝心中未遂)、またボクの心のよりどころでもあるから
 企業の存在感としては(っていうか商売としては)
 ボクの場合、三井住友日商岩井よりも上である。いや、個人的にね。利用頻度もそうだし。

 でも、炭をうちわでぱたぱた煽ぎながらCEOって・・・やっぱりちょっと違うような気もする。
 そこはひとつ潔く、親父とか大将でいいんじゃないかなって思うんですよ。
 (まあ、名刺にそれを刷る必要はないのだが)

 では翻って、自分の名刺には何が肩書きとして書かれているかというと、
 

 「道化師ユニット・アルルカン洋菓子店」となっている。

 これはこれで、玉乗りもできないくせに自分で道化師を名乗るなよ、という恥ずかしい部分もある。
 しかし放っておくと、ピエロと呼ばれかねないのでここはきっちり断っておかなければいけないのだ。

 CLOWN(道化師)とういうのは広い意味での人生悲喜こもごも芸人であるので、
 旅から旅への吟遊詩人でさえそのジャンルの中に入れてしまう国もある。
 すなわち表現する側の心の姿勢がその悲喜こもごもにあり、
 何らかの芸をもって客の琴線に触れることができるなら、
 その人物はクラウンであり、アルルカンなのだ。

 ピエロはあくまでも、数多くある道化師のひとつの役柄に過ぎない。

 なんてうんちくよりも、4月のライブでたくさんの皆さんに会えることのみを願っています。


 
 


 2月21日(土)

 朝まで飲んでいたので昼までアトリエで寝た。
 昼まで寝ていたので夕方までただの読書の人であった。
 同い年ぐらいのビジネスマンはきっと分刻みで働き、
 なおかつ為替の動きとかにやたら神経をぴりぴりさせているであろうに、

 俺ったら、こういう人生よ。

 これまでもずっとこうだったらから、今後もずっとこうかしら。
 さあね。誰にも未来はわからんとよ。


 2月20日(金)

 歌入れレコーディング終了!

 そして・・・東京でのレコ発ライブが決定しました。
 4月19日(日曜日)、青山の居酒屋『ひだまり』です。
 午後6時開場、それから30分後ぐらいに開演!
 入場料2000円、プラス飲み物代と御考えください。
 予約などはありません。
 当日直接いらして下さい。

 青山一丁目の交差点、HONDAビルの隣が帝国データバンク、その横がポーラビルです。
 このポーラビルの地下一階に『ひだまり』はあります。間違って『笑笑』に入らないようにね。

 神戸でのライブとあわせて、近々詳細を発表します。


 2月19日(木)

 一生懸命レコーディング中!


 2月18日(水)

 世界的に有名なサーカスプロモーター(ヤクーツクの新聞がそう書いたのだ)にして
 サーカス・道化師研究科の大島幹雄さんが、
 横浜は野毛のバーで「サーカスを語る」というトークイベントを行った。

 野毛通信社という実に風格のあるバー。
 女主人のつくり出すサングリアとゴーヤカレーも年季の入ったコクに満ちている。
 すなわち、旨味である。

 で、大島さんの話がまたこの旨味に満ちていた。
 大島さんは御自分のことをクマと呼ばれることがあるのだが、
 それは招聘した旧ソ連のサーカスに随行するうち、クマ係りを務めた時期があったから。

 これが何とも等身大の青春記で、偽りや欲がなく、
 しかし不器用な野心と夢に溢れていて、いい話だった。
 

 ヤクーツクの話が出たのは後半だった。
 世界のサーカス事情を色々と話されているうち、今一番興奮するサーカスは何か、という話題になった。
 これが、冬と夏で温度差が百度もある(今なら極寒)のヤクーツク・サーカスなのだそうだ。

 きっとこの手の話は大島さんがまた御著書で語られるだろうから内容にはここでは触れないが、
 たとえば「ぐるぐる回っている内に客席に飛び込んじゃうトナカイ」(触れてますがな)なんて話に、
 『今年は海外に逃亡したりせずに、じっくり仕事をするんだ』と決めていた心がまたぐらつき始めたのだ。

 危ない、危ない。
 大島さん、ヤクーツクのサーカス見学旅行(シベリア鉄道経由だ)、いったいお幾ら万円ぐらいでしょうね。


 


 2月17日(火)

 ここ数カ月抱えていた原稿がようやく了をみた。
 まだ初稿故、これからもちろん色々と作業があるのだが、
 現段階の手ごたえとしてはかなりずしっと来ている。

 苦悩別の丼料理本、といった体裁をとっていますが、
 つまりなんと言うか、苦悩とは何か、生きることに意味はあるのか、
 という人間存在の根幹に丼君とともに突撃を試みた本です。

 出版が決まり次第、お知らせしますね。

 

 


 2月16日(月)

 村上春樹さん。
 イスラエルのエルサレム賞の授賞式で、やはりガザ攻撃を批判してくれました。
 さすが。
 その部分がカットされ、イスラエルの人々には伝わらなかったという忸怩たる部分はあるのですが、
 やっぱり本人も受賞すべきかどうか悩んだみたいで、
 それでもイスラエルに向かうことの原動力に「今進行しつつあることへの物言い」があったのでしょうから、
 俺なんかがビービー喚くことは、まあ、もし本人の耳に入ることがあったら
 「うるせえなあ」ということだったんだろうな。

 今回のことは、でも、すごくいい思考材料になった。
 たぶん俺などが当初反発を覚えたのは、
 村上さんが言ったと伝えられる「文学と政治は関係がない」というくだりだったのだと思う。
 これが「スポーツと政治・・・」「音楽と政治・・・」となるとわりと違和感がないのだが、
 こと文学になると・・・いや、それはやっぱりあるでしょう、となるのだ。

 どうしたって、文学とは人間存在に関わってくるもので、
 たとえば彼のデビュー作の芦屋の青年の物語というのは、時代的な部分とはシンクロしたかもしれないが、
 さほど存在性については感じるところがなかった。
 でも、あの中でさ・・・火星に縦穴を掘っていく想像のシーンがあって、その穴の中で聞く風の音、
 という部分で痺れてしまったんだよね。

 リアルを書けばリアルになるのではなくて、
 精神の揺らぎや浮遊性から一歩飛び出したところにある「目」「耳」「鼻」が、
 実は俺たちの存在をもっとも適格に表現することができるのではないか。
 と思うのですよ。

 その村上さんだから、エルサレム賞受賞という難題(「困ったな、この時期に」と正直思ったはず)に対し
 スーザン・ソンタグのようにビデオで抗議するのではなく、
 実際に現地に赴いて物を言う、という苦しみを自らが受ける行為、
 それを俯瞰で見ることで自分の在り方を問い直したのかもしれない。

 ただ、ノモンハンやオウム真理教の取材以降、村上さんは火星の風の音じゃない部分でリアルをやろうとしている。
 その延長戦上に今回の受難もある、という見方もあるんだけれど。

 気になるのは、これで村上さんはセム系の国には入れない人になってしまったってことだ。
 俺は2000年の1月、ヨルダンにいて、死海にぷかぷか浮きながら対岸のイスラエルを見ていた。
 あっちに渡ると、もうこっちには帰ってこれない。

 そういう国境線、というか政治線を引いてしまったのはこの2000年近くに渡る宗教対立
 及び大戦後の連合軍側の矛盾をはらんだやり方にあったわけだが、
 どちらを選ぶのか、ともし一人一人の日本人に問い掛けられたとしたら、
 みんなはどう答えるのだろう。


 2月15日(日)

 CD発売ライブ。
 まだレコーディング中とあって(週2のスタジオ入り。しかもはんちゃんやミツ君との手作り)
 完成がいつになるのか見えてこない部分があるのですが、
 とりあえず、関西地区から決まりそうです。

 『星の降る町 〜六甲山の奇跡〜』の表紙や挿し絵を描いて下さった天野理絵さんの個展が
 神戸市内、元町のギャラリーで行われます。
 そのオープニングイベントとして、我々アルルカン洋菓子店のライブをやり、
 同時に『星の降る町』と我々のCDもサイン付きで自家発売しようという企みです。

 イベントとはいっても、きっちり2時間のライブを有料で行う予定です。
 今のところ、4月11日ということになりそう。
 詳細決定次第、発表しますね。

 東京でのライブはその後になります。


 2月14日(土)

 やっちゃった。またやっちゃった。
 はんぺんブラザースやミツ君と別れた後、足はそのまま六本木へ。
 仲の良い裸体写真家とランデブーしたこともあり、夜を明かしての酒に。

 そして気付くとまたあそこにいたのだった。
 ひどく酔った時のみ吸い寄せられる我が心のオアシス。
 そう。それは神宮外苑自販機パラダイス。

 時刻は午前4時半である。
 自販機のカップ麺(赤いきつね)と自販機の焼きおにぎり、
 それから自販機のチャーハンを路上に置き、
 湯気がばーっと立っているところを至福の眼差しで見つめる中年のピエロ一人。

 寒い。
 寒いのだが・・・湯気は温かい。
 誰もいない。
 誰もいないのだが・・・君たちがいる。
 ハンバーガーの自販機はなくなちゃったから、もうバーガー君には会えないのだけれど。

 そして前後不覚のまま、動き出した電車の中で夢を見る。
 神宮外苑の路面がダイニングなら、始発電車はベッドだ。
 そんなふうに考えると、この人生はボーダーレスだ。
 ただの酔っぱらいなんだけれど。


 2月13日(金)

 再び一生懸命レコーディング中!
 何だかのってきた!

 その後、自由が丘の蕎麦屋でほぼ同じメニューで宴会中!
 はしごして居酒屋で宴会中!
 ついでに駅前でゴスペラーズをやりました。



 2月12日(木)

 一生懸命レコーディング中!
 その後、自由が丘の蕎麦屋で一生懸命宴会中!



 2月11日(水)

 オーストラリアの山火事。
 それはもう、火事なんてものではなくて、炎熱の嵐が吹き付けるようなひどい状況になっているのだろう。
 高さ20メートルから30メートルの炎の壁が時速50キロで迫ってくるのだという。
 日本と違って、一本の道がただ続くだけの原野だから、その道を炎で遮られると逃げられなくなる。

 ボクはオーストラリア人の友だちが一人いて(マジシャンのサイモンです)、
 それから在オーストラリアの日本人女性で、いつも励まして下さるMさんという人がいる。

 Mさんがいらっしゃるのはオーストラリア西部のパースだから、
 今回のビクトリア州の火事とはずいぶん距離が離れているが、
 実は今オーストラリア中いたるところで山火事が発生しているので、
 パースからも森林の方には幾重にもたなびく煙が見えるらしい。

 Mさんは、実際に山火事を経験したこともあり、
 燃える森の横を車で駆け抜けてきた。
 その時の恐怖はいかほどのものだったろう。

 亡くなった人達も、追われて追われて逃げ切れないとわかって燃えてしまったわけだから、
 その最後の気持ちを考えると、思わず目をつぶってしまう。
 これがもし本当に放火からの大火なのだとしたら・・・
 ひどい、とか、極悪だとか、なんかそういう言い方よりも、
 何とも言い様がないねちゃねちゃのヤニのようなものが人間存在の側面として現れ、記憶される。

 犯罪って、異常なことではなくて、人間の心的現象のひとつだから。
 でも、その心的現象によって殺されてしまった人達。動物達。
 彼らにとっては、それはもちろん予期できなかったことで・・・。

 人間なんて誕生しなかった方が地球にとっては良かったよね。
 という青臭いことも言いたくなるのだ。

 ところで、サイモンがロイター伝をいち早く送ってくれた。
 新聞各紙で伝えられると思うが、カラーは意外とないみたい。
 御覧下さい。

 焼けた原野で、火傷をして弱っていたコアラを消防士が助けて水を飲ませているところ。
 命って、形状じゃないんだって思う。

 これは動画サイトでも見られます。
 消防士が「コアラと手をつなぐことになるとは・・・」と仲間に言うところが印象的。

 

 2月10日(火)

 良いことと、心にぐさぐさくることが両方あった日。
 良いことは昼間で、ぐさぐさは夜だったので、笑顔になれず、居酒屋に入ろうと思ったら、
 いきなり救急車がやってきて、人を運び出していた。

  居酒屋をやめて、ラーメン屋に入ろうと思った。すると客同士、口論をしていた。

 街を行く人が、空き缶を路面に叩き付けている。
 
 電車はもの凄い混雑で、やはり客同士、喧嘩をやっていた。
 
 みんなどうしてしまったのだろう。

 

 2月9日(月)

 一生懸命、執筆中!
 
 京都の出版社の方がおみえになって、御菓子をいただいた。
 ボクはお茶を出す時、99円ショップの御菓子を出した。
 いけないことをしているような気になった。

 



 2月8日(日)

 国立博物館に妙心寺の屏風絵を観に行く。
 絵も凄いけれど、文字も凄くて。

 あんな屏風絵があるところでは寝たくないなあ。
 きっと、夢ごと屏風に吸い込まれるだろう。
 そしてボクは文字の一部分となり、しんにょうみたいな無理な姿勢で夜空に悪態をついているに違いない。

 千年ぐらいの間の日本の文字。
 ボクらは中国からやってきた漢字を使った文化圏の中にいるのだけれど、
 あの陳列の中で本当にひらがなを見ることはない。
 吉備真備考案のカタカナと漢字だけ。

 男性的と言えばそうだろうけれど・・・異様に肩が凝った。
 だからアメ横の台湾小菜で、豚タンを食べながら焼酎をやった。
 51年目のお店である。
 線路の真下にあるので、高架を電車が通るたびにすべてが揺れた。


 2月7日(土)

 ポプラ社から発売された『百年小説』。
 明治大正昭和の文豪たちの短編を計五十一作品載せている。
 広辞苑より太い本だが、漢字にはほぼすべてルビが振ってあり、読みやすいことこの上ない。
 各作家の解説も充実していて、本当に労作である。
 ボクはこの本を創った人から直々にいただいたのだが、嬉しく、素直に感謝している。

 文句を言うわけではないが、たとえば岩波文庫であれば、大作になればなるほど
 腰をすえた解説が巻頭にドンと来る。
 『ジャン・クリストフ』のように、その解説で勢いがついて本編に入っていけるケースもないわけではないのだが、
 『カラマーゾフの兄弟』なんかどうする。
 学生時代に一度挫折してしまったのは、あの解説がまず骨を折ったからだ。

 それで、今もう一度読み直すための工夫として(ウィトゲンシュタインはカラマーゾフを50回読み直した!)
 岩波の場合は、とにかく解説には手を触れない、ぶち飛ばす、という知恵が付いた。
 あんなものは本編を読んで、その余韻の中で入っていけばいいわけで、
 やはり本編の前に解説を読ませようという腹は誤りだと思うのだが、どうだろう。

 ところで今日は朝五時には目が覚めてしまったので、『百年小説』から尾崎紅葉を読んだ。
 ジャンジャン、とオチがついて、朝六時には笑っていた。
 そんな・・・いくらなんでも、このオチでは主人公が可哀想で、というか、
 こういう種類の笑い、明治の頃からあったのですね。



 

 2月6日(金)

 今日は半片ブラザースのライブだった。
 相変わらずすっ飛ばしていたし、全力疾走だったし、ロマンティックであった。
 
 はんちゃんは、火の玉みたいに笑いながら公園の周りをぐるぐる飛び回ったかと思うと、
 並木の枝でぼーぼー燃えながら祭り人たちをじっと観ているタイプの歌い方をする。

 ぺんちゃんは、火の玉が飛んでいることを知りながら、公園のまん中より少しずれたところで
 お好み焼きを焼いているテキ屋の兄ちゃん、という歌い方をする。

 いずれにしろ二人はよく頑張ったので、秋葉原は万世酒場で立ち呑みの宴となったのでした。
(ここの串揚げはおいしいよ)

(左)はんちゃん
(右)ぺんちゃん
(撮影)ぼく

すいません。二人ともいつも目をつぶっているわけではないのです。撮影者、すでに酔っぱらっていたため、勢いだけで撮ってしまいました。


 2月5日(木)

 今、ずっと人生のための丼飯みたいな本を書いていて、
 これが今月中盤までに出来上がりそう。
 担当の方をずっとお待たせしているので、その人の気持ちを考えると針ぐらいの熱い痛みが胸に現れるのだが、
 とにかく悠々と歩いていこうというのが今年のテーマなので
 牛歩なみの遅筆で、しかし頁はぐんと面白く、自信をもってお待たせしているのである。

 夜、文化放送でお世話になっていたプロデューサーと呑む。
 この人、マイ箸ならぬ、マイ猪口を持ち歩いている。
 鞄からやおら風呂敷包みを取り出し、あれこれ猪口を並べて、「どれがいい?」って。

 ヴォイトレの先生にも「どれがいい?」は教えていただくことがある。
 様々な声の出し方・・・もちろん、芯のある太い声が目標なのだけれど、
 その声にしても、声帯のまわりのどんな筋肉を使ってどう出すのか、ということで
 実は聞こえ方、響き方がずいぶんと違ってくる。

 がむしゃらにやっていた頃にはなかった迷いがやってきた。
 こんなにも声が変わるのなら、自分はこれからいったいどの声を柱とすべきか、
 はたとわからなくなってしまったのだ。
 すると先生はおっしゃられた。

 すべて体験された後で、自分で選びなさい。

 当たり前と言えば当たり前の答え。
 しかし、ただ根性で叫んでいた頃とはまったく違う世界をボクは今歩いている。

 迷うことって、そういう意味では意外と正しい。
 ぶれない人って、だから時にはとても危ない。


 2月4日(水)

 京都から帰ってきて・・・うん、悠々と歩いていこう。
 浮き足立つな。焦るな。落ち着いて、自身がすべきことをせよ。

 子供の時、運動靴をはいたまま回廊を歩いて、お寺の人達に襟首をつかまれ怒鳴られた
 真宗大谷派東本願寺。

 今日、新幹線に乗る前にちらっとのぞいたら
 『雑業を捨て、本業にあたれ』と書かれた板が立っていた。

 はい、本当にそうです。

 歌にしろ、本にしろ、本業が今、見えています。



 2月3日(火)

 叫ぶ詩人の会の頃の後期マネージャーMさんが、京都でゲストハウスをやっている。
 町家を改造して、主に外国人観光客の長逗留用に貸し出している。

 そんなもので、ちょいと京都に行ってきました。
 京都は雨で、濡れた四条の石畳につやつやと飲み屋の灯りが映っていたなあ。

 冬の京都は甘鯛です。あとは湯葉料理。
 それで、桃のしずくというお酒をずいぶんといただきました。
 メゴチの天婦羅にびしっと合った。

 Mさんとは久々の再会で・・・京都でもライブができるといいなあ。
 八坂神社の福豆を食べながらお願いしてみよう。

 


 2月2日(月)

 不況だね。
 ボクらのような商売がまっさきに打撃を受ける。
 経済的に苦しい時、
 人は本や歌にはお金を使おうとしなくなるから。

 でも、みんなが厳しいのだから、こういう時は同様に厳しい環境でいいのだと思うよ。
 もちろん、こういう時でも頭のいい人、というかお金儲けのセンスがある人は安泰にやっていけるんだと思う。

 ボクにはつくづくそのセンスがないので、
 みんなと同じに北風はもろに受けよう。

 だけど、冬の時代はそれなりにやることがあると思う。
 本をたくさん読みたいし、勉強もしたい。
 
 そう。振り切れているヴォーカルを聴いていないと、いつのまにかこじんまりした歌い手になってしまうのと同様、
 本て、読んでないと書けないみたい。

 低収入者娯楽サークル『ノーベル文学賞作家を全員読む会』で、読む本って、やっぱり骨が折れる。
 でも、その楽には読めないぞってところが、数カ月もやっているとある種のタフさを養ってくれるようで、
 自分が今書いているものにも、これから書こうとしているものにも、そして驚いたことに歌にも、
 少なからず影響を与えているようだ。

 ボクは収入でいうと執筆がメインなので、本は売れてくれないと困る。
 だけど、全国の公共図書館というものがみんな紀伊国屋やジュンクみたいに太くでかくなるなら、
 本は全員で共有する財産と考えてもいいような気がする。

 
 
 2月1日(日)

 ここ10年近く遠ざかっていた「叫ぶ詩人の会」のデビューアルバム『虹喰い』を聴いた。
 自分で自分のやってきたことを・・・青臭いな、と感じた時代があったのは事実で、
 あのアルバムを観たくも聴きたくもない日々があったのは確かなことだ。

 しかし、中年期になって歌う道化師になり、お客さんに拍手をいただきながらまた声など鍛え出すと、
 つくづく思うのだ。
 あの頃があって、今がある。

 これは良く社会的に成功した人が言う「あの頃の努力があって今の成金の私がいる」という意味ではないよ。
 ボクの場合、今も延々と発展途上であり、振り返るほどの成功もなければ、何かを成し遂げたという記憶もない。
 しかし、やはりもう若くはないわけで、それでも「人を歌おう、命を歌おう、世界を歌おう」という姿勢があるのは、
 あの頃、「カンボジアー」と叫んでいた自分があったからなのだ。

 表現とはつまり、生涯をかける作業である。
 
 『虹喰い』を聴いていて、何だか今の時代に無性に合っているような気がした。
 この四人、よく頑張ったな、という気もした。
 ベルリンの壁が崩れて、わけもわからずに突進していったのが27才の時。
 あれからカンボジアを歩いたり、南米まで出かけたり・・・。

 そして、純粋に祈っていた。
 戦乱などなくなればいいのにと。
 それは人間の宿痾なのではなく、進化の途上の異物なのだと。

 あの頃の自分がまだ叫んでいる。
 きっと今年は、静かな歌と、激しい小説を書くことだろう。

 本当に不思議だ。
 年をとったのに、青春返りしている。
 『虹喰い』のラストの曲で落涙して、まだいきいきとした自分がいることに感謝している。




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