ドーランが目にしみる 2009年5月


 撮影:半片ブラザース はんちゃん

 5月31日(日)

 人生相談の原稿を書いていて、つくづく思うのだが、
 これは別に、悩みを抱えている人がボクよりできていなくて、
 答えるボクがその人よりできている、ということではない。

 この仕事は社会の多面性の中からほにょっと現れた
 ひとつの役割分担のようなもので、
 悩みに対して答える引き出しの数が、まあ一般レベルよりは少し多いでしょう、
 ということのみで、ボクはこの立場を任せられている。

 でも、それは優秀な生き方をしている、ということではない。
 あくまでも引き出しの数なのだ。
 では、なぜボクに引き出しが多いのか。

 それはその分だけ、ボクも悩んできたということだ。
 だめな人間だから、自分で自分の問題を見極める必要があったし、
 そこに励ましなり、慰めなりの言葉を自分に掛けることが必要だった。

 もしボクが何らかの世界の成功者で
 他者に対して優越感のある人生、自分を疑わないような生き方をしてきたのなら、
 そこに引き出しはなかった。

 人生相談でしか人に評価されないこの自分の、その悩みは誰が聞いてくれるのか。
 それはもちろん、自分でしかないのだから、やっかいだ。
 そもそも、
 人生相談でしか人に評価されないこの自分の、その悩みは誰が聞いてくれるのか。
 という言葉そのものに誤謬があり、
 海面上の氷山よりももっと些細なことをボクは大袈裟に言っている。

 問題はもっと深いし、大きい。
 本当は誰もがそうだ。
 悩みを打ち明けてくる人は、
 つかみやすいところを、わかりやすいところを敢えて提示している。
 
 だからそれに対して答えたところで、
 悩みのひとつの引き出しと、回答のひとつの引き出しが
 荒涼とした地に投げ出されることに過ぎない。

 意味ないんだよ。人生相談なんて。

 しかしそれでも、問う人がいて、答えるボクがいるのは、
 少しの間、それで寂しさを埋めたような気になるからだ。
 そっちの方が本当のことなのかもしれない。

 宇宙の正体は、寂しさと不安だ。


 

 

 5月30日(土)

 今年もまたやるべきことがたくさんあるので、
 前半戦が終わったところで、さあ、いよいよ次の作業へ、と思うのだが
 少し惚けてしまったようになり、
 植木鉢に水をやったり、いただいた手紙を読んだり、
 とりとめのない時間の使い方の中で、
 しかし確実に一秒ずつが過ぎていく。

 目の前の一秒も、舞い降りてくる雨のひと粒も、誰かの何気ないひとことも
 大切にしたいと思うのがここ最近のものの感じ方で
 そういえば本棚には読んでいない本がずいぶんあるなあ、と
 何だか急に忘れ物を思い出したような気分になる。

 忘れ物だらけでボクはここまで来ていて、
 振り返れば荒れ地のようなところに、
 幾千ものブリキのバケツが転がっている。

 その中に、忘れたものが入っているのだが、
 もうそれをいちいち確認している時間はない。
 その間にも、目の前で砂が落ちていく。



 
 
 
 5月29日(金)

 また、朝になった。
 ひたすら翻訳を続ける。

 そして昼間。
 
 うん。できあがった。
 この三ヶ月間ずっと目の前にあった英文原稿が
 今日すべて日本語に変わりました。

 今日は流通会社にCDを50枚届けなければいけない日。
 この三日間、ほとんど寝てないし、お風呂にも入っていないので、
 アトリエの小さなキッチンで「つめたー!」と叫びつつ
 頭を洗う。

 そういえば昔、十九歳の時、
 ボクはお風呂のないアパートに住んでいて、
 全裸になってアパートの小さな流しに入り込んだら
 出られなくなり、
 そこへ新聞の勧誘の人がきたのだった。

 そんなことはともかく・・・
 いやー、終わった、終わった。

 いよいよこれで、
 自分の名前で書く小説に戻れる。

 筑摩書房から十月に出る「どんぶり君」(仮題)
 某出版社が一般書から撤退したことによって
 宙に浮いてしまった「動物哲学童話/豪州編」
 そしてこの「トンネル3」(ゴマブックス)の翻訳にかけた時間は
 合計でおよそ半年に及んだ。

 この間、ボクはPHPで始まる連載を除けば、
 小説を書かずに来た。

 実を言うと、「花鯛」と「星の降る町」の部数が振るわず、
 少々落ち込んでいた、という部分もある。

 でも、ボクはこの半年間、
 アルルカンをやりながら、
 ボクが今書くべきことは何なのか、考え続けていたのだ。


 それはアルルカンの立場と融合する「ものの見方」で
 なければならない。

 翻訳という作業を通じてボクには餓えがあった。
 そして貴重な学びもあった。
 他人の書いたものをなぞるのは、やはり一番の勉強になる。

 また、創作意欲がわんわん湧いてきていることはたしか。
 さあ、小説の第二期に入っていこう。


 5月28日(木)

 朝になった。

 ひたすら翻訳を続ける。
 でも、一日二時間はアルルカンの練習もする。

 そして翻訳に戻り・・・。
 やがて夜も更けて・・・。

 
 5月27日(水)

 翻訳原稿、いよいよ追い詰められてきた。
 今月中に仕上げなければいけない。
 漬け物樽に載せられそうな分厚い原稿がパソコンの左側にあり、
 これは翻訳済みのもの。

 そしてあと50枚ほどの原稿が右側にあり、
 これはこれから格闘するもの。

 共訳者の田内志文さんに翻訳済みのものは逐一送り、
 一応、プロの目のチェックというものを入れていただく。

 時折、誤りを指摘される。
 「えっ、これ、そうだったの」というのが慣用句で幾つか。
 単純な語の結びつきこそ本当に難しい。

 そして夜も更け・・・


 5月26日(火)

 編集者と打ち合わせをして
 また酒が入ってしまったので、
 新宿でパチンコ玉のようになり、
 あちこちにぶち当たり、
 転がって、
 チューリップを探した。

 だが、花はなかった。


 5月25日(月)

 高円寺「ネブラスカ」に「星屑通りで店開き」を届ける。
 気が付けば男ばかり十数人の飲み会になっていて、
 終電の時刻を過ぎていた。
 財布の中も乏しかった。

 やみくもに歩くことにした。
 環七を通って方南町へ。
 そこから甲州街道を目指し住宅密集地を抜ける。

 寂しい。なんか、寂しいことをやっているよ。

 甲州街道に出て、明大前からずっと歩き続けて。
 上北沢の「GENKIYA」が開いていれば良かったのだが、
 うーん、やっぱり開いてなくて良かった。

 実は先日、「草ナギ君、君だけじゃない」と静かに叫んで
 脱いでしまったのだった。
 お店の女性の目から「嫌悪」という弾丸が飛んできたのをよく覚えている。

 なので、非常に男らしくない話ですが・・・
 上半身だけで終わりました。(はずです)
 
 そういうことをしでかしてしまったので、
 しばらく「GENKIYA」には行けないなあ。

 てくてく歩いて・・・八幡山でギブアップ。
 そこで夜はしらじらと明けだしたのであった。



 5月24日(日)

 渋谷で「昼下がりの冗時」というイベントがあった。
 パフォーマーやマジシャンやクラウンの祭典。
 ボクのアルルカン学の先生がプロデュースされているので、
 もう絶対楽しみで開場時間とともに入った。

 で、公演が始まってびっくり。
 三雲いおりさんが出ていらした。
 
 三雲いおりさんは、
 ピエロとしてもパフォーマーとしても
 我が国の五本の指に入る、と言われている人だ。
 だから、三雲さんの芸を初めて見られる(と思い込んでいた)ボクは、
 どんな人なのだろう、
 どんな舞台なのだろうと、わくわく感がけっこうたっぷりあったのだ。

 で、なぜ三雲さんが出ていらしてびっくりしたのか。
 出るとわかっていて、なぜ本当に出てきたら驚くのか。
 そういう、オバケみたいな存在なのか、三雲さん。

 違う。違うのです。
 三雲さん、出てきてしばらくして・・・ボクの心に
 「あれ・・・この人、知っている。だってこの人・・・えっ!」

 そうなのだった。
 三雲さんはボクが昔、「叫ぶ詩人の会」を作る前に結成した
 お笑いパンクユニット「モヒカン兄弟」の公演に
 二度も出演して下さった方なのだ。

 懐かしいです。
 なんたってまだ二十代で。
 ボクの相方は「金髪先生」(テレビ朝日系)で生徒役の一人だった
 パンチUFO君。

 三雲さんはたしか、
 クラウン学校を出られた仲間たちと四人組の
 ジャグラーチームを作られていて、
 「テレビ演芸」なんかにも出ていらした。
 横山やすしさんからえらく誉められていたのではなかったかな。

 ともあれ、二十年近い歳月があれから流れ、
 またなぜか似たような小劇場で再会を果たした。

 三雲さんの芸は切れていて、
 客を退屈させないし、深い。
 詩的だった。

 そう。
 詩的であるということが、
 クラウンやアルルカンにとっては一番大事なことなのだ。

 今回は時間がなくて楽屋を訪ねられなかったけれど、
 せっかく再会したのだから、
 三雲さんともう一度ステージをやってみたいなあ。



 5月23日(土)

 7月は11日が東京でのライブ。
 18日は滋賀県大津市でのライブ。
 で、17日、大阪でのライブも決まりそうです。

 関西の皆さん、その二日間はどちらかに来ていただけると嬉しいです。
 滋賀県が世界に誇るノコギリ音楽団と競演ということになります。

 それにしても・・・
 ボクの故郷・神戸は苦しいことがしばしば起きるなあ。
 インフルエンザの症状はみんな軽いとのことで、
 こちらの方は今のところ「リレンザで寝て治しましょう」
 くらいの処置で済んでいるらしいのだが、

 人が消えてしまったので、街から。
 経済的には本当に大打撃らしい。
 経済的な話はあまりしたことがないが、
 やはり人間は、道化師であろうと小説家であろうと
 生きていかなければ次の作品が生み出せないので、

 いやいや、つくづく大事だなと思うのです。

 同じことが神戸にも言えて、
 震災のあとであんなに頑張って、
 なんとか、なんとか、ここまで来たのに。
 また試練だもんな。

 でも、答えははっきり見えていて、
 それはもうやはり
 「微笑みながら宝石を探していく」しかないのです。
 だから、猫目石やサファイアとかじゃなくてね、
 ボクらが手に取れる宝石。

 そうやってまたみんなで微笑み合っているうちに
 また少しずつ往来の増えていく神戸になっていくんだと思う。

 元町通りのヤマキさんもきっとそう。


 5月22日(金)

 仕事の一日。
 一日の周りに宝石を並べよう。
 もちろん、宝石店には売っていない宝石だ。

 文字を書き並べて眠くなってきたら
 鉢植えのアイビーに水をやりにいく。
 葉っぱの上で水滴が転がり、
 三丁目の野良猫のアイちゃんを映している。

 アイちゃんを拾って、
 ほんのわずかな間、指先で転がした。
 アイちゃんはころころニャンコ空中三回転を披露して
 土塊の中に消えていく。

 宝石は幾らでもあって、
 わざわざオパールやアメジストを買わなくても
 ほら、そこらにずいぶん転がっているよ。



 5月21日(木)

 今日は、ハンバートハンバートのお二人に呼ばれて
 ラジオに出たよ。
 佐藤さんと佐野さんは御夫婦で
 とっても若い夫婦だから
 声も世界も詩的で爽やかで妙にさっぱりと鮮やかだ。

 新譜をいただいて「まっくらやみのにらめっこ」
 うんうん、うふうふ、率直にいいなと思う。

 音楽をやっていれば言葉なんてどうだっていいんだよ、
 という人たちもいて、
 ボクなんかずいぶんひどい言われ方をしてきたけれど、

 音楽から歌へ来た人、と
 詩から歌へ来た人は・・・違うのです。

 どんなにメロディーラインがよくても
 なんだかなあ、という言葉しか並んでいなければ
 あまり聴く意欲がないのが後者の人達で、

 もちろんボクはそちらです。

 ハンバートハンバートもそう。
 森のてっぺんの若い葉っぱの裏側に留まるヨスジトラカミキリみたいな気分で、
 のんびりと今日一日を楽しむ。
 そんなCDだよ。

 ただ、昨日の深夜、学生時代インド、ネパールをいっしょに旅した友人と
 ホッピーをやり過ぎてしまい、きっとお二人には酒臭い息を吐きかけた。

 すまんことです。



 5月20日(水)

 全国のアルルカン洋菓子店(本物のケーキ屋さん)にCDを送って、
 東京は経堂のアルルカンさんと三重は松阪のアルルカンさんから
 激励のお便りをいただいた。

 どうもありがとうございます。

 先に素晴らしい(密度の濃い)フルーツケーキをいただいた
 本郷のアルルカンさんをも含め、
 何となくつながってきました「全日本アルルカン洋菓子店連盟」。

 つい先月までは他人どうしだったのに、
 何らかのアクションを起こすことによって
 こうして柔らかな輪ができていく。

 悶々と思い煩う日もあって然りだけれど、
 やっぱり人間は行動しなければ
 希望の日輪は転がらないのである。

 ミツ君と出会って良かった。
 フェリーニと出会って良かった。
 アルレッキオと出会って良かった。
 詩や歌と出会って良かった。
 物語のある世界で良かった。


 5月19日(火)

 今日、音楽評論家の鳥井賀句さんからいきなり連絡があって、
 我々「アルルカン洋菓子店」が
 シャンソンの殿堂「青い部屋」に出演することになりました。
 戸川昌子さんのあの「青い部屋」です。

 しかも、急な話です。
 出演は6月4日(木曜日)、夜7時30分からかな。
 対バンはありということで、若い人達に人気のある
 アコースティックな人たちだそうです。
 (詳しくはライブ情報欄へ)

 それで、ここからがちょっと酷な話。
 「アルルカン洋菓子店」を観に来たという
 お客さんが10人を割った場合はノーギャラ!

 な、なので、もし6月4日、渋谷で夜11時ぐらいまでオーケーという方は
 ぜひぜひいらして下さい!
 ま、ノーギャラでも、とりあえず「青い部屋」初体験で
 我々としてはわくわくしていますが。

 おー、シャンソン!

 


 5月18日(月)

 ある著明な作家の方お二人の推薦があり、
 日本文藝家協会の会員になることになりました。
 あまり人から誉められたり、賞状をいただいたり、
 推薦をされたり、ということがない人生だったので、
 少し驚きもしたし、顔が『?』な感じにもなりましたが、
 ああ、見てくれていた人もいたのだ・・・という思いで、
 ほんなごつ嬉しかったです。

 そうそう。
 ある出版社から連絡があり、
 『花鯛』の「オニカサゴ」が今年春のある学校の入試問題に使われたらしい。
 それを受験参考書に使いたいという連絡だったのだが、
 「いいですよ」と頷きつつも、
 あれを入試に使うか? と頭の中が点滅状態。

 受験生の気持ちを考えると、
 あまりマニアックな魚を題材に小説を書くのもどうかなと思う。

 ところで『花鯛』(文藝春秋)は、
 ボクの人生のある時期を完全にかけて書いたのに、
 あんまり売れなかったなあ。
 今からでも遅くありません。
 読んでみてもいいかなあ、という方は
 Amazonでよろしくお願いします。
 もちろん、紀伊国屋書店さんやジュンクさんには
 まだ在庫がありますよ。

 魚と人生の、両方がおいしくなる本です。
 


 5月17日(日)

 ついにやってきましたパブライブ!
 天気は悪いわ、西調布は遠いわ、入場料4千円(飲み放題)は
 これまでで最高値だわ・・・でも、お店を満員にして下さった皆さん、
 本当にありがとうございました。

 どん引きされる覚悟でやった「ニューハーフ講談」は
 どうやら覚悟した通りの結果に終わってしまったようですが、
 今後も、何が出てくるかわからない、
 終わってみればじーんと苦味が残る(いいのかそれで)
 希有なアルルカン洋菓子店であり続けたいと思います。

 それにしても、厨房で歌う(しかもビールケースの上で)のは
 これが最初で最後のような気がする。
 その一回きりの、でもかなり集中してやり切った二時間を
 支えて下さった皆さん、繰り返しになりますが、
 本当にありがとうございました。

 また、会場としてお店を大改造していただいた
 Sea7のお店の皆さんもありがとうございました。


 

 5月16日(土)

 今日、鹿児島の出版社からハンセン病国賠訴訟の第一次原告だった
 上野正子さんの手記「人間回復の瞬間」が届いた。
 あっという間に、裁判の記録まで読んでしまった。
 今ここで、この本の中身を紹介することはしないが、
 真正面から人間的な創造を開拓されようとしている皆さんには
 ぜひ一度読んでもらいたい本だ。

 ハンセン病という、ある意味で極限の状態にあった人たちの中に、
 ボクは人間の普遍的な闘いと、哀しみと、愛情を見る。
 そしてこうした人たちの真摯な言葉を聴くことが、
 ボクの今後の闘いにも必要なのだ。
 そういう予感がある。

 「人間回復の瞬間」(南方新社)099-248-5455
 (電話注文できます。Amazonでも買えます)




 5月15日(金)

 明後日の西調布パブライブ
「怒濤の人生相談コンサート・厨房からこんにちは」
 に、おこしの皆さん。

 普段なら20名ぐらいで満員のお店に計40名が入ることになりました。
 よって、床部分にもブルーシートを敷き、
 昔の状況劇場の奇妙な芝居のように、
 せーの、どっこいしょ、とみんなで座ってみることになりました。

 なので、女性の方、スカートは不利です。
 きっと見えてしまうと思います。
 ボクから。

 もちろん、それがいいのよ〜、という方は
 ミニスカートなどで来ていただいて構わないのですが、
 先にお知らせしておきますね。



 5月14日(木)

 日本に6軒ある「アルルカン」という名の洋菓子屋さん。
 一応挨拶をしておかなければと思い、
 ボクらのファーストアルバムをプレゼントした。

 すると今日、東京は本郷の「洋菓子 アルルカン」から、
 しみじみ聴いています、という丁寧なお手紙とともに
 フルーツケーキ一台を贈っていただいた。

 なんと、ありがたい!
 CDを聴いて下さった上、
 手作りケーキまで贈っていただいて。

 こういうことがあるから、
 創作をして生きていて良かったなと思う。

 本郷三丁目の「アルルカン」さんです。
 お近くにお寄りの際は、
 皆さん、中で甘いものをどうぞ!


 5月13日(水)

 週刊「ヤングジャンプ」の各連載漫画が、
 それぞれのイメージソングを募集することになった。
 MYSPACEでエントリー曲を立ち上げて、
 それでコンペにかけるそうです。
 賞金は一等賞50万円。
 総額100万円。
 
 なぜ、そんなことをここに紹介するのかというと、
 ボクが審査員の一人になるからです。
 あくまでも公正に審査しますが、
 えー、ボクの知っているバンドの皆さんや、
 趣味が打ち込みの「げんげ畑」の大将、
 デビューのチャンスですよ。
 この機会を逃さないように。

 「ヤングジャンプ」誌上で詳細が発表されたら
 またあらためて発表しますね。



 5月12日(火)

 今日はヴォイトレの帰りに、
 CDを50枚、流通会社にお届けした。
 注文があった分だけお渡ししているので、
 これまでに計130枚。
 ライブで売れたものが100枚弱ですから、
 200枚を越える程度。

 かつて、「万」が単位だった時代があったことを考えると、
 時の流れと人間の在り方、というものを考えざるを得ない。
 
 なんて言うと、さぞかし落ち込んでいるように
 思われるかもしれないが、
 まったくそんなことはないのです。

 こうして一枚一枚お届けしていく。
 (売っていくなんてレベルじゃありません。この規模では)
 手売りで武道館コンサートを成功させた演歌歌手。
 その号泣ぶりが、人生の醍醐味が、
 今のボクらにもあります。

 これは商売ではなくて(もちろんそうなる可能性もないわけではないが)
 生きていくことそのもの。
 輝ける日々。
 生きている実感。

 そして今日も翻訳は進み、
 あと二週間ぐらいで終わりそうです。
 そうすると、いよいよ
 書きたかった小説の執筆をスタート。


 5月11日(月)

 ヴォイトレ界の神様みたいな先生の
 レッスンを月に一度受ける日。
 プロの歌手の方も、NHKのアナウンサーも
 こぞって通っている場所です。

 先生・・・今日はでもあまりレッスンはなさらず、
 清志郎さんが亡くなったことを悔やんでらした。
 
 歌の根底に生き方や思想がある方がまた一人消えた。

 こう、おっしゃられた。
 思想、といっても、別に特異な思想ではなく、
 つまりは大国主導の戦乱だったり、
 大企業国家への思慮なき傾倒だったり、
 そういうものに対してアンチであり続けることで
 あるわけだけれど、

 それはイコール、
 大勢に埋もれることを欲しない態度でもあり、
 一人で書物を読んだり、
 旅をしたりする時間を確保することでもある。

 

 5月10日(日)

 今日、中村こずえさんという方のラジオの番組に出た。
 「アルルカン洋菓子店」の曲を、2曲もかけて下さった。
 (夜明けの歌、恋唄)

 それで、番組の中で、「私の好きな東京」を
 語らなければいけないコーナーがあり・・・
 うーん、どこかなどこかな、と考え、
 「今日ここに(ニッポン放送)来る時に乗った京王線の車内」
 と答えた。

 日曜日の電車。
 気候が良かったこともあり、
 乗客のほとんどが笑顔だった。
 ボクは、人がみんな微笑んでいる電車なんて
 これまで乗ったことがなかった。

 朝のラッシュなんてみんな、
 ひどい顔をしているでしょう。
 みんな子供だったのに、
 どうしてこんな顔になってしまったの?
 と思うほど、苦しい顔をしているでしょう。

 だから、みんながちょっぴり幸福な顔をした電車に
 乗り合わせられたことを、ボクは幸運だと思ったのです。

 良い風が銀座にも吹いていました。
 ちょいと遅い昼御飯を、
 新橋の香川・徳島アンテナショップでいただきました。
 かつお丼。

 でも、やっぱり二日酔いで、
 そのまま沈没しました。

 

 5月9日(土)

 先月ライブをさせていただいた神戸のギャラリーの方の東京出張。
 「星の降る町」の挿画を描いていただいた鈴木理絵さんの作品を
 持ってきていただいた。
 ボクの好きだった裏表紙の絵。
 コンペイトウが、花が咲いたようにコロコロと転がっているもの。
 それと、チョコレートセットの挿画。

 コンペイトウは、理絵さんからプレゼントでいただいた。
 今ボクのアトリエは、自分で描いた三十号の絵が三枚、
 天才サクラヤスユキさんのカブト写真、
 プラハで買った路上画家の絵が一枚、
 その他、描きかけのつたない絵や、
 ボノさんからの手紙絵などがあるのだが、
 そこにふわふわとした感のあるコンペイトウが加わる。

 絵一枚で、部屋の空気は変わるものですね。
 コンペイトウの甘さは不思議と思い出されず、
 それをねだった頃の
 地上1メートルぐらいのところを吹いていた風が
 今、この部屋の中に吹き込んでいる。



 

 5月8日(金)

 清志郎さんのことがきっかけになったわけではないのだが、
 実は今月に入ってからずっと生死について考えることがあり、
 今さらながらだが、「夜と霧」など引っぱり出して読んでいる。

 本、というのは、ただの時間潰しのためにあるのではなく、
 もう一度生まれ変わったように視線をあらたにさせる効力を発揮した時、
 頁の持つあらゆる意味を読者と分かち合うのだろう。

 「夜と霧」は人間の無惨な記憶を呼び起こす本で、
 足下の流砂に吸い込まれていくような気持ちにもなるが、
 同時に、あの強制収容所で生き延びた人の心を追体験することから
 今を見る視点が、水滴が転がるように輝き出す効力を持つ。

 問いかけはそこからやってきて、
 もしあなたに今日一日しかないのなら、
 あなたは何をやりますか?

 清志郎さんだって、もし同じ質問を与えられたとしたら
 うーん、きっとコンサートをやるんだろうが、
 それは凡人の考えることで、
 家族とサイクリングなのかもしれない。

 ボクは何をやるだろう。
 変わらない一日を過ごすかもしれない。



 5月7日(木)

 人は失われるし、
 また自分も肉体を失う時がくるのだ、
 ということを基盤としてわかるようになると、
 歌にしろ、物語にしろ、
 それが世に受けるのか受けないのか、ということではなく、
 それは「君にとって本物なのか?」
 という問いかけひとつになる。

 本物なんて意識したことがなかったな、昔は。
 本音を叫んでいれば本物なんだなんて
 わかりやすく考えていた。
 でもそれは大きな間違いだったようで、
 越えていかなければいけない領域はもっともっと奥にあった。

 胸の旅路の果てに、
 野山の先に、小さな森があった。
 そこに新緑をうつす静かな池がある。
 本物を知るためには、そこまで行かなければいけない。

 そしてそこから帰ってきて
 幾つかの森の宝物を
 歌にしたり、童話にしたり、小説にしたりして
 皆さんに贈るのです。

 

 5月6日(水)

 愛、という言葉の解釈はなるほど難しい。
 仏教では、執着を意味する言葉であり、
 千変万化の現象の中で愛に囚われることは
 そのまま苦に通じるとして、愛を断てと説く。

 でも、それは所有欲としての愛であって、
 森羅万象をそのまま受け入れるという意味での
 大きな愛とは根を違えるものだ。

 あらゆる現象を受け入れ、
 あらゆる変化を受け入れ、
 あらゆる消滅を受け入れ、
 そのたゆまぬ心を愛と呼ぶなら、
 それは死すら越えて
 森になり、雨になり、空になり、
 またいつか、そして永遠に、
 燦然たる光としてそこに在り続けるだろう。

 生きる時は一生懸命に生きればいいし、
 死んだら、一生懸命に宇宙をやればいい。
 そしてまた生まれる。
 愛の循環だ。


 5月5日(火)

 愛されるというのは素晴らしいことで、
 清志郎さんを失ったことで茫然とした人々は、
 やはり彼を愛していたし、
 だからこそ彼も数々の歌でそれに応えた。

 どんなに作品の質が高くても、
 愛されなければこの世では花が咲かない。
 すべては人と人との間で起きることだから。

 清志郎さんを始め、他のアーティストと比べるべくもないが、
 まがいなりにも毎月のようにライブができたり、
 全国発売日なのに全国どこのレコード店にも置いていないCDを
 皆さんがわざわざ店頭で注文して下さったりするのは、
 ボクやミツ君が少数精鋭の皆さんに愛されているからだ。

 どうもありがとう。
 この恩に応えていきたいと思います。

 それと・・・
 ボクらの場合は大勢の人達に愛されるということはないかもしれない。
 でも、逆にその分、
 心の中を大陸のように大きくして、
 出会った人々をみな愛していこうと思う。


 
 

 
 5月4日(月)

 清志郎さんとは一度しか御会いしたことがなく、
 それも彼の四十歳の誕生日用に企画された
 ラジオ番組(文化放送)だったので、
 もう十八年も前になる。
 つまりボクはまだ二十代だった。
 
 三浦友和さんと清志郎さんの対談番組で、
 ボクはその台本を書いた。

 清志郎さんが
 「四十になっても、まあ、あんまり変わらないねえ」とつぶやき、
 三浦友和さんが「そうだね。何も変わらない」
 と相づちを打たれていた。

 たしかに時間に切れ目はなく、
 今日の雲も明日の雲も同じようにしか見えず、
 日々は何も変わらないけれど、
 人の命はやはり有限で、
 きらきらと光りながら地に戻り、空に戻る。

 清志郎さんはマイクに向かって話をされている時、
 常にギターを抱えていらした。
 曲、というものではなかったが、
 指先でボロンボロンと弦を鳴らしていると、
 喋りの緊張感から解き放たれるのだという。

 ステージのきらびやかな印象とは違って
 物静かな、謙虚な方でいらした。
 でも、「愛しあっているかい」の声はたぶん本音で
 生き物として地に生まれた者たちへの憐憫が
 多分にあった人なのだろう。

 日本のキング・オブ・ロックと新聞は書き立てていたが、
 ロック歌手は彼の職業で、
 本質としては日本を代表するアルルカンであったのではないか。

 彼こそ天与のアルルカンだった、とボクは思う。

 


 5月3日(日)

 正式には今日が発売日。
 でも、Amazonではいきなり品切れになっているし、
 どこのお店にも置いていないわけだから、
 どう捉えたらいいのかよくわからない発売日。

 でも、皆さんからの応援を得ている今、
 ちっとも落ち込んだりはしていませんよ。
 むしろその逆で、体内からまばゆい光が出ているような
 その種の爽快さをもって迎えた薫風の日でした。


 5月2日(土)

 まじなのか?
 どういうことなのだ?

 というメールが相次ぎ、
 全国各地から「とりあえずCDを注文してみます」という
 ありがたい声をいただいた。
 Amazonのレヴュー欄にも数人の方が書いて下さり、
 順位らしきものが具体的に出てきた。

 発売日直前ということで最大瞬間風速なのだろうが、
 一時はJ-POPで200位以内に入る健闘を見せ、
 これは叫ぶ詩人の会の頃に記録した
 オリコン197位を抜くものだった。

 正直なことを書くべきかどうか、
 こちらの台所事情まで見せてしまっていいものかどうか
 自分の中にも賛否があるのは事実で、
 でも、お知らせして良かった。

 CDを購入して下さる皆さん、
 本当にありがとうございます。
 また、我がことのように心配して下さった皆さんも
 心からありがとうございます。

 道化師として歌う、道化師として書く。
 それにふさわしい年齢になってきたなと思いますが、
 よくよく考えてみれば年齢というのは当てにならないもので、
 つまり、それはあくまでも経験があってのことだと思うのです。

 経験というのは、どんな山奥まで行った、どんな砂漠を観たということではなく、
 おそらくは、人間の森の中で、
 つまずいたり、助けられたり、腹が減ったり、助けたり
 ということのくり返しであって、
 すなわちまたひとつ、大いなる経験をしようとしています。

 全国発売なのに全国野レコード店に置いていない、
 というところから、どんなふうに歩んでいけるのか
 その道をしっかり記憶していきたいと思います。



 5月1日(金)

 そう。お願いごとがあるんです。
 ここ一週間、内情を吐露し続けてきて恥をかきましたが、
 現実はまさにこの通り。

 全国発売なのに、全国のどのレコード店も置いてくれない。
 ボクらが通販することも許されない。
 このままでは、CDは産廃処理場へ。道化師は青木ヶ原樹海へ。
 ということになってしまいます。

 そこで、大変お恥ずかしいお願いなのですが、
 CDを買って下さる予定だった皆さんは、
 勇気を出してレコード店で注文していただけませんでしょうか。

 「すいません。インディーズ・レーベルなんですが『アルルカン洋菓子店』というグループがありまして、その1STアルバムの『星屑通りで店開き』を注文したいんですけれど」

 と、店員さんに言っていただければ、
 かろうじてボクらのCDも流通を動き、市場に出ていくというものです。

 こういうお願い、今まで本ではしたことがないのです。
 でも、今回ばかりはぜひともよろしくお願いいたします。

 ちなみに、Amazonでは取り扱って下さるそうなので、
 近くにレコード店がない方は御利用下さい。

 これは五月の風のようなアルバムです。
 寝入りばなに聴くと夢見がいいです。
 よろしくお願いします。

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