ドーランが目にしみる 2009年7月



中洲通信2009年8月号
(7月売りです)
ボクらが巻頭カラーで特集記事になっています。必読!

 7月31日(金)

 彼女の友人から連絡があり、
 また、お父様からも電話をいただきました。

 小林伊能さんが昨晩亡くなられました。

 ボクらが訪ねて二時間後のことだったそうです。
 眠るように逝かれたということです。

 彼女を知っている人。
 また、古くからボクらの活動を支えて下さったみなさん、
 それぞれのお心の上で、
 伊能さんの御冥福をともにお祈り願えますでしょうか。
 

 たった一人の娘を失われたお父様とお母様の気持ち。
 なんとも言葉が浮かびません。


 


 7月30日(木)

 叫ぶ詩人の会の頃からファンでいてくださった方で、
 実名を出しますが、
 小林伊能(いの)さんという方がいらっしゃいます。

 古くからのファンの方は、
 おそらくみなさん、いのさんのこと、御存じですね。
 宮沢賢治をめぐるツアー、小岩井農場への旅も参加されました。
 
 そのいのさんが肺がんとの闘いを始められたのが
 二年近く前。
 メールや手紙のやり取りをしたり、テープを送ったり、
 ボクはそういう形でしか励ませなかったのですが、
 今日初めて御自宅に伺いました。

 お父様とお母様がいらっしゃって、
 部屋のまん中のベッドでいのさんが寝ていらした。
 穏やかな顔をされていました。
 
 彼女の友人や関係者の方から、その時、については聞かされていました。
 でもまさかこんなに早く、その時、がくるとは思っていなかった。

 同行して下さった彼女の友人と
 ボクやお父様お母様とで話し掛けてはみたけれど、
 わかってくれたのかどうか、
 ただ一度こくりとうなずかれたいのさんでした。

 いのさんの部屋には、
 叫ぶ詩人の会の頃からのボクやメンバーの写真などが豊富にあり、
 こんなにも大事にして下さった方がここにいたのだと、
 目を開かれる思いでした。

 いのさん、
 アルルカン洋菓子店のライブ、
 一度でいいから観てみたいと思っていたんです。
 でも、病気との闘いの中でその夢はかないませんでした。

 色々な思いを胸にして、
 いのさんの御自宅から帰ってきました。
 途中、平和公園なるものがあり、
 広島の被爆した橋の一部と、同じく長崎の被爆した煉瓦が
 飾られているところに偶然でくわしました。

 近付くとぱーっと噴水があがって。
 それがなんだか、
 そうしたものに対する歌を歌っていた叫ぶ詩人の会の頃から
 ボクを大事に思って下さった一人の方の
 メッセージのように思えてしかたなかったです。



 
 


 7月29日(水)

 渋谷『青い部屋』でのライブ。
 今回はバンドできっちりとした音を出すグループ2組との競演だ。
 特にボクらの前に出演となった『凛々子』は
 ジャズっぽいアレンジもありながら仕上がりのいいロック風味で、
 凛々子さんの歌もびしびし効いてきて、
 これはやられちゃったかな? の感があった。

 しかも凛々子さんの奥深さは人間的にも感じられ、
 なんと自らのステージの中で
 ボクらのCDを事前に購入されたこと、そしてその感想などを
 さらりと述べて下さった。

 「苦労された方の歌です」なんて言われちゃって。
 そこだけ聴いていると、演歌歌手が泣きながら出てきそうな雰囲気。

 でも、ボクらは今心がシャンソンに飛んでいますからね、
 逗子は鮎丸の船長の演出通り、『パリの空の下』をBGにスタート。
 あっという間の一時間、
 浮いたり沈んだりはありましたが、
 何とか芯から片手を放さずのライブにはなったと思います。

 夜10時からの出番にもかかわらず、
 集まって下さった皆さん、
 本当にありがとうございました。

 来月の『青い部屋』公演は27日(木曜日)です。


 
 


 7月28日(火)

 明日のライブで配る焼き菓子二種を製作。
 ミツ君が練習でくる時には手伝ってもらうのだが、
 今日は全部一人でやる。
 しかも製菓学校の卒業レポート4種のうち2種だ。

 製作工程を書いて、写真を撮って学校に送る。

 ひとつはガレット・オウ・ブール。
 醗酵バターをふんだんに使ったちょっと変わった匂いのするレモンの焼き菓子。

 もうひとつはチュイル・オ・ザマンド。
 オレンジとアーモンドのフランス風かわらせんべい? ですかね。

 前者は醗酵バターの代わりに通常のバターを使っていたため
 試作段階では失敗。レシピ通りのオーブンの温度では仕上がらず、
 なんとか作品になるまでに紆余曲折がありました。
 後者も型をつけるトヨ型の使い方をあやまったりして、
 これまで作品レポートにはならなかった経緯があり、
 今回はだから気合いが入りましたよ。

 いつものトマトクッキーにくらべれば
 双方とも大人しい味わいの焼き菓子ですが、
 ライブとともにお客さんが楽しんでくれることを祈ります。


 7月27日(月)

 今月、Amazonで売れたボクらのCD、
 3枚です。(泣)

 店頭に置いていないので、
 このサイトやミツ君作成のサイトを観た人しか
 アルルカン洋菓子店の存在やCDが出ていることを知らないのだと思います。
 (まあ、そうだよね)

 では、どうしたらいいのだろう、と思うのだけれど、
 ライブを重ねていくということ以外やはり何もなくて、
 でもやっぱり3枚と知ると、
 なかなかに辛いものがあります。

 聴こうかな、聴いてみてもいいかな、と思われつつ、
 まだ入手されていない、という方、
 今がチャンスです。買い時です。
 一家に一枚、アルルカン洋菓子店の『星屑通りで店開き』を!

 以上、店長からのお願いでした。



 7月26日(日)

 天候のせいか、体調や精神のバランスを崩しがちな人も多いのでは。
 関西方面へのツアーに出た後で、
 なにかちょっと芯がぶれるような気配がボクにあるのも
 このむしむしとする気候に多少の原因があるのかもしれない。

 昨日、ヴォイストレーニングの先生に『詩吟』というものを聴かせていただいた。
 詩吟というと、町内会で爺さんがうなっているというイメージしかなく、
 はっきり言ってボクの耳の記憶の中には何ひとつないジャンルなのだが、
 その聴かせていただいたCDはすさまじく胸に迫ってくる声色で、
 「戻る芯があるというのはこういうことなんだ」という
 先生の言葉が素晴らしく実感できた。

 芯というものが一本あり、
 たとえ危うくはずれても元の音に帰ってこられる。
 クラシックなどではあり得ない表現だが、
 日本のこうした伝統音楽や一部のブルース、ジャズなどでは
 芯をしっかり片手で握りながら、もう一方の手で冒険に出るやり方はあるもの。

 もちろんこれは声に限らず、
 人間の生活、表現すべてに於いて言い得ることだと思う。
 踏み外してしまうことはあるし、
 放っておけば怠惰になりがちなのは重々承知している。

 でも、声の芯と、生きていくことの芯は常に片手で握っていたいと思う。


 

 7月25日(土)

 嬉々として書き始めた小説がとんと進まなくなり、
 欠如してしまった集中力をなんとか取り戻そうとするのだが、
 「はー」とか「あー」とかうめくばかりで、
 ウエブサイトで「雑草」とか「雷魚」とか、
 少し変わったページに飛んでみても心躍らず、
 エロサイトにももちろん飛んでみたが虹は現れず、
 底力のようなところですかすかの搾りかすみたいになってしまった
 自分を感じる。

 ヴォイストレーニングでも
 声の調子の悪さを指摘された。

 上がったり下がったり・・・月の満ち欠けのように
 日々の調子、季節の調子というものはありますね。
 なんだろう。
 少し、カツ丼でも食べてみようかしら。


 

 7月24日(金)

 芥川龍之介のことを記したノートがあって、
 作品の感想集みたいなものなのだが、
 夜眠れずにつらつらといたずら書きをしようと引きずり出したのが
 ちょうどそのノートで、
 懐かしくなって読み返した。
 
 「羅生門」「鼻」「芋粥」「蜘蛛の糸」・・・
 誰もが知っている短編が並ぶ中に「戯作三昧」というのがあり、
 当時の自分がひどく感動したようなことを書いている。

 はて?
 どんな話だっけ?
 
 まったく思い出せない。
 かなり感動した様子なのに。

 それで、午前三時からの読書となった。
 読み終えたのは午前四時前。
 やはり・・・感動した。

 ああ、この話はたしかに読んだことがあるぞ、と思い出してから
 しかしなぜ心が動いたのかわからず、
 陰々滅々とした馬琴(主人公です)の日々をただ淡々と追っていくのみ。

 もちろんそこには芥川龍之介風の仕掛けがたくさんあって、
 大正七年ではすでに書きにくくなっていたであろうことを
 天保二年に置き換えている、というテクニックはある。

 あるが・・・。
 と思いつつ、最後の数頁まできて「どっと」きた。
 そう。
 この感じ方ははっきりと覚えている。

 でも、その時よりきっと今の方がしみ入るところが多い。
 ものすごく励まされた。
 後に失明することになる馬琴。
 七十で世を去るその寸前まで書き続けたこの男を通じて
 芥川龍之介が書きたかったこと。

 もう夜はあけていた。
 芥川龍之介にお礼を言って、目を閉じた。




 7月23日(木)

 ここ二ヶ月程かけて身体のあっちこっちを調べている。
 その一環として、
 生まれて初めてMRIなるものを受けた。
 脳の断面を色々な方向から磁気撮影していくもの。

 工事現場みたいな音がしますよ。
 と先生から言われていたが、
 なるほど狭いところに頭をつっこまれた上、
 押し寄せてくる音は現場のドリルなみ。

 ところが、最初は閉口していたものの、
 気付けば気持ちよく眠ってしまっていた。
 寝汗すらかいて。

 ふだんボクは眠れず、だいたい明け方までは起きている。
 夜になると目がさえてしまい、
 しかたがないので、本を読んだり、原稿を書いたりするのだが、
 だから昼間はいつもどこかに睡魔がひそんでいて、
 すきあらば眠らそうとしてくる。

 問診の書類に、
 「なぜこの検査を受けようと思ったか?」という問いかけがあって、
 正直に「脳に異常があるかもしれないと思って」と書いた。
 その時、楽屋で一生懸命に道化師のメイクをしている自分を思いだし、
 「たしかに」と、なぜか納得した。

 続いての質問に「頭を強打したり、転倒したことはありますか」とあって、
 考えてみればアメフト時代は毎日百回ぐらい頭を強打していたわけで、
 「昔は毎日」と書いた。

 どんな診断結果が出るだろう。

 


 7月22日(水)

 なかなかライブが立てこんできたのである。
 文章の方も立てこんできているので、双方とも立ちっぱなし。
 座る場所がないのだ。

 というのも、今月29日の「青い部屋」と
 来月7日の「LIVE BAR X.Y.Z.→A」との間に、
 来月2日、名古屋観光ホテルにてステージというのがある。

 でも、これは普通のお客さんは入場できないのであった。
 なぜかというと、

 東海高校アメリカンフットボール部40周年記念祝賀会というもので、
 お客さんはすべて
 過去にこの高校のアメフトの選手だった人、
 あるいは高校・大学の現役のアメフトの選手に限られるからだ。

 もちろんボクもこの部の0Bとして参加するわけだが、
 だしものは、
 「和太鼓の演舞、南山大学チアリーディングス、ドリアン助川のステージ」と
 パンフレットにある。

 ボクが今、道化師の身なりになっていることを知ってのことかどうか、
 そこのところがよくわからない。
 加えて、酒の入った体練のたくましい兄さんたちだけに向けてラブソングを歌う、
 その空間がどんなものになっていくのかも
 今ひとつ見えてこない。

 ちょっぴり不安です。
 みんなおっさんになっちゃっているだろうな。

 

 
 


 7月21日(火)

 まっちゃんが電話をかけた相手。
 それは、爆風スランプのドラマーだったファンキー末吉さんだ。
 ここ数年はNHKの中国語講座でも人気者。
 『十日間でものにする中国語』という本も売れているらしい。

 でも、本業はやはりミュージシャン、
 「X.Y.Z.→A」のドラマーとして活躍なさっている。
 ヴォーカルは二井原実、ギターは元筋少の橘高文彦
 アメリカでもCDを売っている、あの「X.Y.Z.→A」。

 それで、まっちゃんがファンキーさんに電話をしたのは
 この「X.Y.Z.→A」が経営する「LIVE BAR X.Y.Z.→A」で
 ライブをやりなさいよ、という
 とにかく元気なうちに一本でも多くのライブを!
 の信念に基づいた即決行動だったのだ。

 ファンキー末吉さんにもずいぶんと不義理をしてきた。
 彼とピンクレディーの美唯さんがプロデュースしたグループに
 詩を書いたことがあって、
 しかしボクはアメリカに行ってしまったり、
 色々と変化の季節があったりして、
 印税の振込先すら知らせずに消えてしまったのだった。

 「なにしてたんだよ」というファンキーさんの声一発。
 「CDを送りますよ」というボクの言い方に
 「CDなんかいらないから、とにかくすぐライブをしてくれ」と、
 この段階で、ライブの神が目の前にどんと着地。

 十分前まで想像もしていなかった展開があり、
 「LIVE BAR X.Y.Z.→A」で、いきなりライブをやることになりました。
 これが20日(月曜日)の話。

 そしてここからが今日21日の話。
 ファンキーさんとの間で詳細が決まりました。

 ええーと、かなり緊急です。
 まず、ライブの日ですが、8月7日(金曜日)です。
 場所は八王子。

 「LIVE BAR X.Y.Z.→A」のサイトがありますから、
 MAPなどはここをクリックして観てみて下さい。
 
 当日は午後6時お店オープン。
 午後8時から2時間弱、「アルルカン洋菓子店」のライブ。
 チャージ2000円プラス飲み代、ということになります。

 あまりに緊急な決定だし、
 この日はファンキー末吉さんは中国でライブでお店にいないし、
 その前に青山の「青い部屋」でのライブもあるしで、
 なんせ八王子だしで、
 どう考えてもお客さんは少なそう。

 そこでこの夜は特典をつけます。
 まず、9月11日、12日、13日の東北お寺の本堂ツアー。
 これの前哨戦とも言える内容「宮沢賢治とクロコダイル」をここでやるということ。
 
 そしてもうひとつは、
 この日はボクがお店に残ります。
 来てくれたお客さん、
 朝まで飲みましょう。

 前売り料金などの設定はない様子です。
 なので、ふたを開くまでどうなるかわかりませんが、
 とにかく「X.Y.Z→A」の店で朝まで頑張るよ!

 夜更かししたい人
 待っています。
 めったにないよ、この企画!

 
 


 7月20日(月)

 本日のテーマは「邂逅」である。
 かいこう、と読む。新劇の人とか、映画の人とかが好きな言葉。
 手もとの国語辞典では、「偶然に巡り会うこと、出会い」
 なとど書かれているが、これでは不十分。
 英語の「reunion」(再会)の意味があって初めてこの「邂逅」という言葉になる。
 一度年輪が刻まれた上での再会、あるいは再接触である。

 で、誰と邂逅したかというと、
 まっちゃんである。
 まっちゃんは松井さんと言い、
 以前、京都は四条の「都雅都雅(とがとが)」というライブハウスの支配人であった。

 叫ぶ詩人の会の頃もたいへんお世話になったし、
 アンド・サン・スー・チーにいたっては
 「交通費も宿泊費も全部もつから歌いにおいで」と
 信じがたいお招きに預かり、
 マネージャー加えて五人の総勢を京都まで呼んで下さったのに、
 お客さんは全部で二十人にも満たない、という
 非常に胸が痛む記憶もあったのだった。

 その松井さんがライブハウスをやめられ、
 大きな交通事故を起こし、
 もう消息がつかめない・・・と聞いたのは
 ボクがアンド・サン・スー・チーの活動をやめた頃であった。

 もう連絡もとれないし、
 しかもそれは事故から随分たってからの情報だったので、
 いつも新幹線が京都駅に差し掛かる度に
 なんかこう、うすぼんやりした黒い影が京都上空に漂っているような、
 それはもちろん、ボクの心象の中にあるものなのだけれど、
 松井さんに対して申し訳ないという気持ちがいつもあったのだった。

 松井さんの現在を教えてくれたのは、
 先日の秋葉原のライブに来てくれたヒロキ君だった。
 ヒロキ君、黄金の手というバンドで今の松井さんのお店で
 ライブを何度かやったらしい。

 「松井さん、またライブハウスを?」
 「うん、ライブハウスでもあり・・・定食屋でもあるんですけれどね」

 というわけで論より証拠、行くが良し。
 松井さんが復活されて経営なさっている店「まっちゃん」に出かけたのだ。

 (「まっちゃん」はこんなお店です

 ボクらが訪ねると、ヒロキ君から連絡が行っていたそうで、
 松井さんは満面の笑顔で迎えてくれた。
 そして、定食を食べているお客さんがいらっしゃるにもかかわらず、
 『星屑通りで店開き』をけっこうな音量でかけて下さった。

 どんな話で盛り上がったのか、
 それはここでは書くまい。
 しかし、まさにボクにとっては「邂逅」であり、
 それは過去から来た矢印でありながら、
 これからの日々をもちゃんと見据えて飛んでいきそうだ。

 会えたことはもちろん、
 松井さんが再び元気になっていらしたことは本当に嬉しかった。
 京都でもここできっとライブをやることになるだろう。

 だが、それだけではなく、
 まっちゃんはさらにボクらを勢いづけようと、
 ある人に電話をしたのだった。


 

 


 7月19日(日)

 「しがのこくらぶ」が懇親会なるものを開いて下さり、
 大津から車で一時間以上もかかる、とある里山まで運んでいただいた。
 猿も鹿も熊もいる山である。

 そこに古い時代からの農機具や冬を凌ぐための民具などが置かれた木造の母屋と
 中央に囲炉裏、目の前で水車が回っている小屋があった。
 その場を作られた方と、
 実はパリコレにも出品をされている滋賀県が誇る染織家の先生がいらして、
 お二人ともライブも観ていただいたことから
 昼から濁り酒をいただきながらの良い時間となったのであった。

 囲炉裏で焼かれるのは採れたて野菜や鹿の肉。
 おこげのついた炊きたて御飯にたくわん。
 そしてぐいぐいと濁り酒。

 先生は現在、体に障害を持っていらっしゃる。
 しかし、体がそうなってから染織家として目が開かれたという話を
 決して圧力をかけず、里山の風が遊ぶかのような口調でされるのである。

 これにはまいった。
 人はどこに向かって歳をとっていくのか?

 執筆にしろ、歌にしろ、
 アルルカンもまた同じこと。
 失われるものがあっての実りだけが
 ようやく手触りを残すのかもしれない。


 さて、さんざお世話になった「しがのこくらぶ」のメンバーとさよならした後は京都に入る。
 明日は、これまた昔さんざお世話になったライブハウスの支配人を訪ねることになっている。

 ならば今夜は鴨川の川床で一杯やりましょうと、
 ミツ君や叫ぶ詩人の会時代のマネージャーと先斗町に向かうが・・・
 四条が見えてきたあたりから、もの凄い豪雨。

 ほとんど、鴨川が空から降ってきたのではないかという
 つながる雨、雨、雨に雷までセットでついてきて、
 先斗町につく頃には全身ずぶ濡れ状態。
 もうどこでもええわ状態になり、とりあえず足が侵入した焼き鳥屋で沈没。

 その後、高瀬川沿いのバーで沈没。
 なぜかここではフランスの御一家も沈没。
 そして白川沿いの一銭洋食でも沈没。
 さらにもうどこを歩いているのかわからない状態で沈没、沈没、沈没と、
 スコール京都の熱帯夜はふけていくのでした。



 7月18日(土)

 滋賀県は大津市のLIVE HOUSE HUCKLEBERRYにて初ライブ。
 稲山さんが主宰する「しがのこくらぶ」の総決起もあり、
 今日は六十人ぐらいのお客さまでしょうか。

 MCを除けば、昨日と今日とでやることはそう変わらないのですが、
 やはりどうしたってライブはなまもの。
 稲山さんと岡部さんのステージに、
 ノコギリを持ち出したお客さんの中の「しがのこ」メンバーが合奏するという
 周囲はびっくりなアトラクションタイムもあり、
 これでもか、これでもかのエンタティメント姿勢が続きます。

 そういえば稲山さん、
 実はノコギリ奏者以前に、滋賀大学でグリークラブの指導をしていた人。
 テノールで朗々と歌われるその声が良く、
 楽屋で聴いていて「まずい。やられた」と焦りました。

 でも、まあ、ボクはボクだからと
 アルルカンも気合い充分、それでいて静ひつな気持ちもあわせながら
 ステージに立ったつもりです。

 今日はその前にちょっとした良いことがあり、
 実はリハーサル中に入っていらした酒屋の女性(ビールケースを運ばれていた)が、
 ボクらの歌を聴くなり立ち止まってしまい、
 その場でCDを買われて帰っていかれた、という珍事がありました。

 これは本当に嬉しかった。
 だから本番も少しはつやつやしていたかもしれない。
 プリンスではないけれど、人はやはり「愛されて力が出る」のです。

 昨日の大阪と今日の滋賀を連続で観ていただいた方もいらした。
 みなさん、ありがとうございました。
 そしてこの二夜をセッティングして下さった稲山さんとしがのこくらぶの皆さん、
 心の底からお礼を申し上げます。



 

 


 7月17日(金)

 大阪は西中島のLIVE BAR Dにて初ライブ。
 お客さんの数は本当に・・・稲山さんから伝えられていた通りでした。
 でも、もうそういうことは問題じゃない。
 もちろん、問題ではあるんだけれど、
 ステージに臨めばまったく違う視点になる。

 高いお金を払って観に来て下さった方が、
 少なくとも三十人ぐらいはいらっしゃるわけです。
 時間の都合、移動の面倒臭さも乗り越えて。
 ありがとうございました。

 叫び系の曲はもうやっていませんから
 (その頃なら、とにかく胸から咽から頑張る、というやり方で応えていたのですが)
 音圧で感謝を伝えるわけではありません。
 今はただ静かに、全身でささやくように、語るように歌う。
 そのことをもってのみ、みなさんに気持ちを伝えようと思いました。

 そしてそれがみなさんにとっても良い夜になるようにと願いました。

 ノコギリ奏者の稲山さんとギタリストの岡部さん。
 独特の、本当に希有な世界を創っていらっしゃる。
 ノコギリの音もギターの土台もひとつひとつが雨粒のように胸にしみこんでくる。
 ただ勢いだけの電気の音が氾濫する中、
 こうした(鉄なのに)温もりと霊気がある音はいいよなあと思う。
 
 続いてボクらの出番。
 みなさん集中して聴いて下さって、ありがたかったです。
 小学校の時の音楽の先生もお見えになって。

 授業の邪魔ばかりした先生。
 それなのに一度もボクを叱ることなく、
 いつも笑顔で歌を愛する子供たちにしようとしていた。

 そのおかげで一人、
 こんな変なのが世に放たれることになってしまったわけですが、
 お詫びもお礼もしていなかったので、
 ステージからひとことだけ
 感謝の気持ちを伝えました。

 それと・・・お酒を置いていって下さった方。
 名前を確認してびっくりです。
 故郷に近い場所でライブをやると、
 やはり時間が逆戻りするようなことが起きるのですね。

 青春の神戸・芦屋・大阪。
 唯一の関西弁の歌「日本の男」が胸にしみました。


 しかもこの夜は、逗子の鮎丸の船長まで駆け付けて下さり、
 「やっぱりオープニングのBGは『パリの空の下セーヌは流れる』だよ」と
 ありがたいメセージをいただきました。
 さっそく次回「青い部屋」から試してみます。


 


 7月16日(木)

 明日から関西方面のライブツアー。
 大阪と滋賀で歌い、京都のライブハウスに挨拶をしてくる。
 共演するノコギリ奏者の稲山さんから
 「動員があまり・・・」と申し訳なさそうなメールをいただき、

 いえいえ、申し訳ないのはこちらでして・・・と、
 滋賀に向けて腰を低くした。
 もう最近ははっきりわかってきて、
 ボクは生涯、少数精鋭のファンの皆さんに歌や詩を届けるし、
 物語を送っていくのだと思う。

 今回はそういう人生だ。

 でも、だからこそ、
 来ていただく皆さんにはていねいに、心から接したい。
 そういうわけで今回もまた、
 練習後にミツ君とクッキーを焼きました。

 ミツ君、最近はまじめに小売値段などを考えるようになってきた。
 いずれ本当に開くことでしょう。
 「アルルカン洋菓子店」直営「青熊クッキー」

 


 7月15日(水)

 今日はピーナッツチョコで頑張ります。
 南の島の小説を書いています。
 カラスもネズミもジョン・レノンもオニカサゴも出てこない小説を書いているのは
 きっと生まれて初めてで、
 そういう意味では初体験なのだけれど、

 ずいぶんと同じことをくり返してきたような気もして、
 椅子に座った瞬間に徒労はある。
 それをつかの間忘れさせて、
 だましだまし、お前にはまだ可能性があるよ、
 少数精鋭の読者もいるぞ、と言い聞かせるのが、
 百円で十粒ほど入っているピーナツチョコ。

 ロマネ・コンティの後で、ピーナツチョコ。

 


 7月14日(火)

 ロマネ・コンティというのはずいぶんと狭い葡萄畑で作っていて
 年産六百本ほどである。
 それが全世界のホテルに流れていくわけだから、
 手に入る、というよりは目に留まることも難しい。

 開高健さんの『ロマネ・コンティ1935』を読んでいて、
 実際にそれをいただいた時のことを思い出した。

 思い出す、というよりは、これはいつも頭の片隅にいて
 出番を待っている確かな細胞核で、
 ボクはこれを思い出にしないし、
 終生の幸福アンド不幸として抱えていくのだと思う。

 越前で、蟹の甲羅に酒を入れて炭で炙ったものを飲んだ時と、
 このロマネ・コンティ体験がとにかく脳皮にとどめを刺している。

 O沢商会という輸入代理店が消滅することになった時、
 倉庫にあるものが破格の値段で関係者に売られることになった。
 その時、ある先輩がこれを手に入れてきたのだった。
 数万円で手に入れたとおっしゃっていたので、
 世が世なら車ぐらいの値段がしたかもしれない。

 そいつを、みんなで囲んで座り、
 数百円のワイングラスですっと流し込んだ。

 ボクはその瞬間に夕焼けになったし、
 煌めいたし、溶けたし、
 どういうわけか、葡萄のくせにどこか柑橘系の香りがあるような陶酔の中、
 気付けば口の中の宝石は蒸発していた。

 飲んでいない。
 なのに、消え去っていた。
 そして永久にボクの脳にその痕跡を残した。

 

 7月13日(月)

 サプリメントとして、毎日ビタミン剤の他に
 アーモンドを二十粒食べている。
 これは最低の数なので、時には四十粒食べることもある。

 アーモンド十粒で、ビールロング缶一本分のカロリーだという。
 「ナッツは太る」という警告もある。

 ところが、これは一時、自身を糖尿病ではないかと疑った時に
 あれこれ調べて到達した考え。
 カロリーイコール太るではないし、
 ビタミンイコール摂ればいいでもない。
 また、
 脂イコール摂ってはいけない、でもない。

 総合的に観て、
 縄文時代の人が食べていたものは、その質感とバランス比が絶妙で
 薬がない時代のそれの役割もあったと思われる。
 ナッツ類はその典型で、
 ビタミンEや食物繊維、ミネラルのことなどを考えると、
 アーモンドの量が増えた分、炭水化物を減らせばいいわけ。
 これでカロリー過多の弊害からは身を守れる。

 最近はいたって体調がいい。
 メタボでもないし。
 洞くつに絵を描いていた頃、
 人類はすでに進むべきところまで進んでいたのではないか。

 その後のことは、たとえ月面を歩いたとしても、
 猿と人間との距離を考えれば
 進歩とも呼べない些細なことだったりして。




 7月12日(日)

 一月繰り上げで、9月中に発売されることになった
 筑摩プリマー新書の「悩む前のどんぶり君」
 ゲラのチェックが終わり、
 徐々に本の体裁の全貌が見えてくる。

 これは良い本ですよ、皆さん。
 作者自ら言うのはなんですが、
 各自の人生に一冊、常備薬として必ず携えておいてもらいたい逸品となった。
 ゲラの終盤に差し掛かるにつれて、だんだんと感動していく自分がいて、
 「本当にこれは私が書いたのだろうか」と疑心暗鬼になるほど。

 その頁の中にね、
 冬を迎えた時の姿勢というものを書いている頁があって、
 これはもちろん季節的な冬ではなくて、
 人生の諸時期としての冬なのだけれど、
 「焦るなよ、慌てるなよ、望むなよ」というイメージの言葉が並んでいる。

 でも、このクソ暑い時期もいっしょですね。
 どうも惚けてしまって、特にライブの後などは
 小指一本動かそうという気にならない。
 こういう時は心身が休憩を欲しているのだから、
 まず今日一日、一行でも書ければいいかなと思ってしまう。

 いや、記憶の方かな。
 この日も生きた、という記憶さえあればそれでよし。

 しかし・・・蒸し暑いねえ。


 7月11日(土)

 定番となった人生相談コーナーで客席を明るくしてもらえたせいか、
 今日は珍しく、お客さんの顔がきっちりと見えた。
 といっても、両目とも0.1でドーランがにじんでいる状態なので、
 ほんの数人しかわからなかったが、
 ああ、あの方が来てくださっている。
 ああ、この方も来てくださっている。と、
 心の中は感謝の気持ちでいっぱいなのです。

 鮎丸の船長らしき輪郭の方が見えた。
 案の定、あとでミツ君の携帯にメールが。
 船長はいつも逗子からいらして下さる。
 きっとその日の昼過ぎぐらいまでは
 大アジ大サバ、シイラなどと対決。
 そして一杯やって、それから
 「んでは、ライブに行ってくるかな」と腰をあげられるのだろう。

 その全行程を想像しつつ、小なりとはいえ舞台に立つ。
 頑張る、というよりは
 丁寧に運んで行こうと思う。

 北海道からのNさんもいらっしゃったし、
 名古屋からのお客さんもいらっしゃった。
 そして今回は「叫ぶ詩人の会」のヒロキ君も。

 「叫ぶ詩人の会」の頃の作品。
 恋歌を除けば、それを混ぜ始めたのは前回の阿佐ヶ谷のライブから。
 今回もどっと入れました。
 そこにヒロキ君が来てくれたのはやはり縁があるのかな。

 結局、ヒロキ君らと朝まで飲むことになり、
 気持ちのいいライブ、気持ちのいい酒となり、
 皆様に感謝しつつ、ようやく良い風の吹く週末となったのでした。

 元気を取り戻した。


 


 7月10日(金)

 明日、ライブです。
 やっぱり、フランス菓子は難しい。
 味は悪くないのだが、どうにも形状が・・・。

 できそこないも含めて持っていきます。


 7月9日(木)

 チカパンのパントマイムを銀座まで見に行った。
 チカパンは先月の国際フール祭ですっかりファンになってしまった
 マイム・アクトレスだ。

 チカパンはチェコから凱旋帰国をしたところ。
 小柄な女性だが、
 舞台に立っただけで世界規格の道化空間がぱーんと現われる。

 これは希有なことだ。
 花がある、という言葉だけで済ますことができず、
 おそらくはどこかに「ねじれ」や「とんま」もある。

 銀座の小劇場は満員だった。
 汗が飛び散り、拍手が鳴り止まない舞台をチカパンはやってのけた。
 ボクは帰りに、
 なぜか小劇場が配っていた酢昆布をもらい、
 周りの背の高いビルを見ながら歩いた。

 ビルはすべて明るく輝いていて、
 その窓の奥ではまだ大人たちが働いている。
 もうずいぶんと大人の年齢なのに、
 そうはなれなかった。

 みんながそれぞれの持ち場で
 汗を飛び散らせて、おのれになっている。
 知り合いとばったり会って、その気持ちはふと消えたが、
 ボクは幾ら歩いても進まない道を歩いていた。


 7月8日(水)

 秋葉原のライブのために、ガレット・オ・ブールを焼き始めた。
 フランスのレモンの焼き菓子。
 そんなのあかしちゃ面白くないじゃないか、と今自分の中で声があがったのだが、
 中腰になって七面倒臭い手順を追った割には
 まったく別物がオーブンから現れた。
 
 一日がんばってもせいぜい二十個ぐらいしか焼けないので、
 お客さんの人数を考えると今日ぐらいから動かなければどうにもならない。
 それなのに別物。


 歌も大事だが小説も大事で、
 このガレット・オ・ブールのために何時間も失うわけにもいかず、
 といって、仕上がったものがまったく別物であればやはり心悔しく、
 明日も挑戦となるのだ。

 ああ、そうそう・・・ガレット・オ・ブールだけじゃありませんよ。
 もうひとつあります。


 7月7日(火)

 七夕。強風。満月。金星。その他、いくつかの星。
 西調布の飲み屋。
 存在マスター。激しく面白くない客。
 ねじれた空間、時間。股。

 本名。ペンネーム。
 忠告。
 がんじがらめでしか生きられない人。

 湿気。
 顔色を変えず。
 優雅。
 舞踏。

 平静のふりをして、平静ではない人。
 平静ではないふりをして、
 平静ではない人。

 


 7月6日(月)

 親しくもさせていただいたし、
 ライブも観にきてくださった方が、
 自害された。

 害という字はよくないかな。
 本人はずいぶんとリストカットを試みていて
 念願が叶った、というところかもしれない。

 以前からそういう果て方を宣言されていたので、
 思い通りの締めくくり方をされたのだろう。

 部屋には、ヘルムート・ニュートンの巨大な写真集があり、
 朝起きたら一枚ずつめくるの、とおっしゃっていた。
 そして、やはり自ら命を断った恋人の写真も飾られていた。

 写真の中の恋人は、
 70年代のある時から表情を変えない。歳もとらない。
 でも、彼女だけが日々を積み重ね、
 風で飛んできたパンの紙袋のように、くちゃくちゃになっていった。

 ボクは思います。
 あの恋人がああいう別れ方をしなかったら、
 彼女の去り方も違ったのではないか。

 もちろん、もしもはないのだから、
 彼はああして去り、彼女はこうして去った。
 これだけが必然で、動かしようのないこと。

 誰のせいにもせずに逝くなら、そういう去り方もありだと思う。
 生きていたいと思う人もいるんだぞ、という脅しは
 ここではまったく意味をなさない。

 人はやはり、それぞれだと思う。
 


 


 7月5日(日)

 ぶら下がり健康器を買うのは恐ろしい。
 アトリエにしろ、自宅にしろ、それがあるだけで不意に首を吊りそうな予感があった。
 一日に一度自殺を考えない人間はバカだ、という言葉が西欧にはあるらしく、
 亡き開高健はよくそれを用いている。

 この人はフランス通だから、ラブレーとか、コクトーとか、
 なんだか紫の斑点で人を観そうな目を持った人物たちの言葉からの引用が多々ある。
 しかし、そうと見せ掛けて自分で創作するのも
 昭和の早い頃の作家にはよくある手法である。

 だから、毎日自殺のことを考えていたのは実のところ、開高さん御本人かもしれず、
 それはそれで良いのだが、
 ボクが自殺の匂いがするものをよく書くのは
 それは自分にその可能性がかなり濃厚にあったからであり、
 道徳的・宗教的な意味で「死ぬなよ」と綴っていたわけではないのだ。

 気持ちがわかるだけに、
 ここで終わらせるのはお互いつまらないのではないか、
 となんだか釈然としないまでも、そういうもがきのようなものが自分にはある。

 だから、ぶら下がり健康器は買えなかった。
 ところが、ある程度の年齢になってきて
 (実は平均的自殺率はこれぐらいの年齢から急に高まるのだが)
 半ば捨て身のような気分になり、
 「そうだ。老けて若くなろう」とコペルニクス的転回の自己があったことを
 思い出したところで、
 急激にその衝動が過去へと押しやられてしまった。

 別に・・・死ななくてもいいや。
 どこか先の気のきいた日に、その瞬間はどうしたってやってくる。
 それまで生きていようと思った。

 すると、ぶら下がり健康器という言葉、あるいはイメージに近付いても
 ボクはもうそこに縄をかけない、という気がする。

 まだ、不安だけどね。
 買うのに勇気がいります。
 っていうか、まだ売っているんですかね、
 ぶら下がり健康器。

 

 

 
 7月4日(土)

 寝ながら考えていたのか、
 今書こうとしている小説の台割表が起床の十分ほど前に
 (去った夜のとばりを追い掛けて、背中から引き込まれそうになっているところで)
 一気呵成に仕上がった。

 夢で「書ける」と思った時は、
 たいてい起きてみれば愚にもつかぬことを指先で握りしめているのであって、
 それは脱いだシャツや、あるいは本棚よりこぼれ落ちたほこり玉のようなものでしかなく、
 しかし本人は明日への宝だと思い込んで後生大事に抱えている。

 誰しも経験のあることだと思うが、
 目が覚めてものの数秒もすれば、
 その大事は萎びて、霧散するだけの影となり、アヘヘヘなんて笑いながら
 戸口から出ていってしまう。

 ところが今朝がたのは別物であった。
 目が覚めても布団の横にちょこんと座ったままだ。
 それで、「アタシで良かったら使っていただけませんか」と礼儀正しい。

 使うも使わないもあんた、困っていたところなんですよ、とこちらも
 寝起きそうそうきちんと会釈し、
 手招きして、ノートに入っていただいた。

 これまで、人間が主人公のまっとうな小説というのはあまり書いていないが、
 怒濤の、それでいて等身大の青春小説が今朝から一気に走り出した感がある。

 もっとも、青春といったところで
 そんなものが現実にあるのかボクにはまったくわからず、
 ただ単に、若いという意味だけの時期を指し示すなら、
 ボクはその頃からすでに老けていたし、
 それは高年齢に従って若くなっていくことへの多いなる助走として
 主格を持たずにただ茫然としていたような日々であったことは否めない。

 つまり、若い時期、ボクは早く老けて若くなりたかった。
 そういう意味での青春小説だから、
 まあ、ひねてますね。最初から。

 しかしそれにしてもよく来て下さった。客人よ。


 7月3日(金)

 中洲通信に於いて、「曲のストックは数あれど、客のストックが足りなくて」
 とぼやいているのが、
 けっこうボクとしては本音だったりして、シャレになっていません。

 ええーとですね。
 来週の土曜日、11日に秋葉原のDRESS AKIBA HALL でワンマンライブをやるのですが
 最近ライブの数が増えてきたせいもあって、
 「あれ、そうですか?」とチケット予約枚数に思わず質問口調になってしまった
 アルルカンAです。

 なので少し宣伝をさせて下さい。
 今回のライブ、テーマは「恋」です。
 そのものずばりの「恋」
 もちろん、道化師の歌と演奏ですから、
 そこにはなんらかの屈折や哀感が秘められているかと思われますが、
 今をされている方、を失った方、いやいやこれからですという方、
 鍵言葉が「恋」の11日のライブにいらっしゃいませんか。

 この日は、DRESS AKIBA HALLの一周年とあって、
 手裏剣クッキーも特別なものを用意する予定です。

 土曜日の夜。
 道化師とのひとときをお楽しみ下さい。


 7月2日(木)

 中洲通信8月号(今月売り)の見本誌が届いた。

 編集部の皆さん、ありがとうございます。
 特に、いつも応援して下さる和田さん。
 いぶし銀のような仕事の中にボクらを入れていただいて、
 率直に大感謝!

 表紙がポップな我らなら、
 巻頭からカラーぶち抜き10頁の大特集!

 大きな本屋さんならだいたいどこでも扱っています、中洲通信。
 今回は立ち読みで済まされる文章量、写真量ではないので、
 皆さん、お買い求めください!

 あとにもさきにもボクらをこんなふうに大事にしてくれる雑誌は
 ここしかありません。きっと。

 中洲通信の編集長がいらっしゃる博多にも
 足を向けて寝られません。
 いつか博多でライブやりたいなあ!

 
 7月1日(水)

 ある編集者と会い、
 今後のことなどについて話しながら焼酎を楽しんでいたところ、
 彼が携帯で撮った写真を見せてくれた。
 「アルルカン」というお店。
 井の頭線の某駅にあるらしい。

 表向きの看板には、
 軽食、お酒、カラオケとある。
 まず、これだけでは入りたいと思う店ではない。
 でも、アルルカンだもんな。
 やはり一度挨拶にはうかがった方がいいと思う。

 そういう意味では、環八沿いにある
 「ドリアンマンション」は一度住んでみたかったし、
 これまた環八沿い、上野毛の「サロン ドリアン」でも
 一度飲んでみたかった。
 もうドリアンじゃないので、関係なくなっちゃったけれど。

 ああ、京王線から見える千歳烏山の焼肉屋「モンタサン」も行ってみたいのです。
 寺山修司さんの競走馬の詩、朗読したCDをまだ何枚か持っていて、
 ボクはオープニングのハギノカムイオーを詠んでいるんだけれど、
 モンタサンは誰だったかな・・・小林薫さんだ。
 これがいい。
 実にいいCDだった。

 あれを差し上げにモンタサンに伺おうと思って、まだ実現できずにいる。