ドーランが目にしみる 2009年9月

 

 

 


 

そうだ。
東北に行こう。


 9月30日(水) 断酒28日目

 ある新聞社の記者の方が話をされに、当アトリエまでいらした。
 (掲載が確実になったら、その新聞の名前を明らかにしますね)
 叫ぶ詩人の会の頃から作品には触れていただいていたようで、
 実に希有な、ありがたい方であった。

 三時間、その方とあれこれ喋りながら・・・。

 テーマは、詩を書くことと詩を生きることの意味。
 その一致点と相違点に始終していたように思う。

 詩のような気配のものを書き出して二十余年。
 正直なところ、なにが詩であるのかもわからずに歩みだした道だった。
 もちろん、詩人という言葉も謎に満ちていて、
 反発や軽蔑もすくなからずあった。

 叫ぶ詩人の会というグループ名は、
 いわゆる詩人では困りますよという、
 アンチテーゼ的な突き上げから始まったのだ。

 ところが、
 悪漢小説ですら人の凝視から始まるという意味で、
 やはりそれがまぎれもないヒューマニズムであるに等しく、
 「詩なんて照れちゃうじゃないかよ」と叫び倒してみても、
 それならその対象である詩とはいったい何なのか?
 その正体をどう定義付けるのか、
 という部分で迷走、また迷走となったのであり、
 こんなにシンプルな感慨に辿り着くまで、
 ボクは人生の半分以上を費やしてしまったのだった。

 わかったようなことは言いたくないが、
 かろうじてそうかなと、
 近付けば逃げてしまう詩のしっぽをつかんだような気になれたのは
 本当に最近のことで、
 たとえばそれは言葉の並びだけで説明できるものでもなく、
 言葉が美しくないから詩にならないかというと、そういうものでもない。

 世の中で詩ですと言われている中也の作品を、
 俺の朗読ってどうよ、とアナウンサーがしたり顔でやってしまえば
 それはやはり詩ではないだろう。
 一転、新聞の番組欄だって、
 読む人が読めば詩になる。

 では、そこを分けるものはいったい何なのか。
 これは詩という文芸の一ジャンルに限らず、
 絵でも写真でも音楽でも、すべての表現にとって生死を分ける、
 根幹となる部分の定義である。

 ミラノコレクションが終了し、パリコレが始まったが、
 ステージで試されるモデルたちの服を観ていても、
 詩的な服と、そうではない服にきれいに分かれる。

 それは何なのか?

 自分の思うところでしかないが、
 10月12日、KICK BACK CAFEのライブで明らかにします。
 創作の沼地でもがく友よ。
 ライブにいらっしゃい。
 これは君にとって大きな日となる。



 
 


 9月29日(火) 断酒27日目

 アルチュール・ランボー→ポール・シュミッド→明川哲也

 酔っぱらい船

 船である俺は前後不覚で川をくだった
 船乗りにロープで引っ張られることもなくなって
 彼らはアワワワワッと叫ぶ原住民につかまって
 裸にされ、色鮮やかな杭に釘で打ち付けられた

 他の船や荷物のことなんて俺は知らない
 イギリスの綿、フランダースの小麦、全部なくなっちまった
 船乗りたちが俺を引っ張らない以上、
 俺はすべてを忘れ、川をくだる

 激しい飛沫と渦巻く潮を越え
 その冬は、いっちまった子供のように聞く耳をもたなくなり、
 俺は走りに走った
 海にすべり落ちていく半島ですら、これだけのノリを感じることはないだろう

 コルクよりも軽く、俺は波の上でぐるぐる回った
 そいつに巻かれると永遠に浮上できない波さ
 十日間、俺はちらりと陸地を見ることもなく、
 嵐に祝福され、海の上で目覚めた

 子供たちの好きな甘酸っぱい果物よりも甘い、緑色の水が
 松の板でできた船である俺にしみ入ってくる
 ゲロが飛び散り、安酒で汚れた俺を洗い流し、
 錨も舵も消え失せた

 今俺は、詩の海ってやつを漂い、流れていく
 青空を飲み込み、星々を溶かし、乳白色の空を映す詩の海
 有頂天の遭難船
 時には青ざめた、思い詰めた表情の水死体も飲み込んで

 海の唐突な青を褐色に染め、ゆっくりとした音が
 精神の錯乱が光る空へと走っていく
 酒よりも 歌よりも強い
 そいつは沸騰していて、苦くて、赤くて、つまり愛だ!

 俺は見た 稲妻が空をぶっち切るのを
 海の上の竜巻を 逆に流れる波を
 羽撃いて上っていく翼を持つ日の出を
 
 そして俺は見た 人々が夢でしか見られないものを
 俺は見た 不可思議な恐れに黒ずみ 紫のもやを通じてきらりと光る太陽を
 波は、忘れられた古代の芝居の役者のように
 行進して果てる 叩き付ける

 俺は夢を見た 緑の夜に雪の輝き
 海に向けてゆっくりと口づけをする
 見知らぬ精気がみなぎり
 青色と黄色が燐光きらめくメロディーをかき乱すのを

 何ヶ月にもわたって俺は押し寄せる波を見た
 ヒステリーな家畜の群れが岩礁帯を襲うのを
 輝けるマリア様の足がぜいぜい喘いでいる波を黙らせるなんて考えてもみずに
 
 俺はたどりついた 知っている? 信じられないことに、そこはフロリダだった
 花々の間に人間の皮をまとったパンサーたちのやばい目が見える
 虹は水平線の下で 盲目の羊たちに橋をかけている

 臭い沼地で 俺は巨大な残存物を見た
 葦の原で大きな海獣リバイアサンが腐っている
 静寂のなか、水は渦巻き
 それが這い上がってきて泡になる

 氷河 銀色の太陽 真珠の波 激しく燃える空
 うじむしに食われた巨大なヘビはひどい臭いで
 ねじれた枝から暗黒の海の底へと落ちていく
 俺は子供たちに輝く魚たちを見せてやりたい

 青い波 歌う金色の魚
 花々の泡は 俺の放浪のゆりかごだ
 はかない風は 俺に羽根をつけてくれる

 時には、極地の旅の殉教者である俺を
 海は溜め息をつきながら優しくゆすってくれる
 そして海は俺に
 黄色のとげを持つ日陰の花を運んでくれる
 まるでひざまずく女のような花

 まるで島にいるようだ 俺は船の釣り合いを保つ
 肉食の茶色い目をした鳥たちが 糞を垂らして叫んでいく
 俺は漂う 壊れやすい、もつれあった線を越えて
 溺れた男達が目を見開いたまま流れていく 眠るために沈んでいく

 ああ 俺は今 渦巻くガレキのなかの小さな迷い船
 嵐に押され 鳥もいない空へと追いやられた
 俺はべろべろに酔っぱらって海にいる
 監視船もハンザの船も俺を助け上げてはくれない

 自由に舞い上がり 紫の煙を吐き
 赤く染まった空の壁を突破する
 そこは詩人の感性で呑めるって場所で
 太陽のかさぶた、明るい青空のはなみず

 俺はカバの群れの中で転がる迷子の小枝
 電気を帯びた動物たちに踏みにじられる
 絶えることのない七月の攻撃
 輝く空と、激しく燃えるそのジョウロ

 分厚い渦のなかで発情しているベヘモス
 永遠に死を紡ぎ続けるその化けものが吠えている声に俺はおののき
 ヨーロッパとそこを囲む古代の壁に思いを馳せる

 俺は星々のなかで島々を見て来た
 熱っぽい空で俺は自由に叫べた
 無数の黄金の鳥たちよ 来たるべき強靭さよ
 この底なしの夜は追いやられたお前たちの巣なのか?

 たしかに俺は充分に泣いた
 夜明けは俺の心を傷付ける
 月は苦く 太陽は痛い

 愛は俺を焼き 俺は腫れ上がって麻痺していく
 船よ、壊れてくれ 俺を海に沈めてくれ
 もし俺がヨーロッパの岸辺を望むのだとしたら
 はずれた場所の、暗くて、冷たくて、小さな池だ
 夕暮れの香りであり、
 壊れた紙の船まで這って進んでくる哀しみいっぱいの子供だ

 海よ お前のけだるさにどっぷりとひたり
 俺はもう 冷たさを抜けていく船の航跡を辿ることができない
 ペナントや旗を誇示することも
 奴隷船の臭いに耐えることも



 9月28日(月) 断酒26日目

 アルチュール・ランボー→ポール・シュミッド→明川哲也
 
 感触(センセーション)

 夏の青い夕暮れ時に 俺は小道を歩いていこう
 麦の穂に刺されながら 草を踏んで
 足の裏に新しい草の感触 その鋭さ 夢を見るようだ
 吹く風に柔らかく髪をそよがせて

 ものを言わず ものを思わず
 でも、無限の愛が俺の心に湧き上がる
 遠くへ 遠くへ ボヘミアンのように
 天地を通じて幸福だ まるで女といるように


 


 9月27日(日) 断酒25日目

 アトリエに泊まり込み、
 アルチュール・ランボーの英訳からの日本語訳を試みる。
 伝言ゲームみたいなもので、
 ボクの訳したものと堀口大学訳、小林秀雄訳などを比べると
 あまりに違っていて愕然とする。
 (この二人もかなり違う)
 
 でもそれはボクの翻訳力というより
 米国の翻訳者の方に問題があるのかもしれず・・・
 たとえば、下記『我が放浪』の「ワインの雫」という部分、
 堀口大学訳では「養命酒」となっていて、
 時間がたち過ぎているという意味で、
 やはり堀口さんを今使うのは無理があるなと思うのだが、
 英訳だとワインも酒も出てこず、
 ただ雫をなめた、「lick」という表現のみで終わっている。

 ところが邦訳を三種類ほど比較してみても、
 「なめた」は出てこず、
 つまりランボーの原稿にはその表現がないらしい。

 うーん・・・これはとんでもないところに踏み入ってしまったぞ。

 「日本人の翻訳者も米国の翻訳者も意訳してんじゃねえ?」

 という素朴な疑問を抱きつつ、
 自分もたぶんにそのきらいがあるので、なんとも言えず、
 仏語ができればびしっと原文から訳せるのにねえ。

 とにかく今回は難物です。
 米国経由でぼやけている上、
 ボク色のランボーになってるいるため、
 仏語堪能な方には笑止千万なことになっている可能性があります。

 でも、敢えて宣言した以上、
 英語版ランボーを中心に詩を再構成するという方法でいきますね。
 (英語版でも韻を踏ませる努力は放棄しているため、
 日本語でもやりません。っていうか、できるのか?)

 さて、いつものアルルカン洋菓子店と違って、
 今回は一度聴いただけではわからないような
 難解な詩『酔っぱらい船』に挑戦します。
 なので、すでにこのサイトで、
 10月12日(仙川KICK BACK CAFE)
 で朗読予定のランボーの詩を公表していきます。

 ライブにいらっしゃる方、
 これがどんなふうに読まれるのかを想像しながら、
 アルチュール・ランボー16才の世界観を膨らませておいてください。

 アルチュール・ランボー→ポール・シュミッド→明川哲也

 「我が放浪」(ランボー16才)

 俺は歩いた 破れたポケットに両手を突っ込んで
 外套も穴だらけで幽霊みたいだった

 俺は歩いた 大空の下を
 詩の神ミューズを道案内にして
 ああ、なんという愛の奇跡を俺は夢見たことだろう

 一張羅のズボンにも大きな穴が開いていた
 俺は夢見る親指小僧のように道々詩に韻を踏ませた

 今夜の宿は大熊座
 頭上の星々は空いっぱいに衣擦れの音をさせた

 道端の石に腰掛けて 俺は星々のささやきに聴き入った
 9月の素敵な夜だ

 夜露がワインの雫となって俺の額に落ちてきた
 俺は真っ暗な奇怪な場所で、詩の韻を踏むのに夢中になっていた

 竪琴を弾くように、ぼろ靴のひもをつまびいて
 片足は胸の下に抱いて

 

 

 

 


 9月26日(土) 断酒24日目

 とにかく素晴らしいよ。
 と、東ちづるさんに教えていただき、
 六本木のテレビ朝日一階ギャラリーで行われている
 障害者アーティストの企画展示に行ってきた。

 今日は東さんが司会進行をされ、
 現実の、自閉症アーティストの創作風景を生で観ることができた。
 (葬儀があった関係で最後まではいられなかったが)
 いやー、もう・・・本当、行ってよかったあ!

 たとえばこういうことなんだよね。
 2年前にイタリアに行った時、
 その数カ月前からイタリア語に本腰を入れたんだけれど、
 万遍なく適度にできるようになるっていうのはやはり無理で、
 仕方がないので、ごく基本的な会話以外は、
 魚の名前だけをイタリア語で覚えていった。
 どこかの防波堤で釣り人に話し掛けようと思ったのだ。

 それで、ナポリの海岸はゴミだらけで釣り人がおらず、
 ようやく見つけたのがソレントの港だった。
 ボクはその兄ちゃんのクーラーボックスの中に
 シロギスとカサゴを見つけ、
 それをイタリア語で言って、ただニヤニヤしただけなんだけれど、
 あの瞬間のイタリア釣り人の驚き方といったら!

 だって、もし茅ヶ崎の防波堤で釣りしていて、
 日本語まったくできない外国人が寄ってきて、
 「メゴチ! ウマヅラハギ!」と言ったら、
 とにかく濃厚な数秒になるでしょう。

 ひょっとするとボクらは、
 言語の学び方ひとつとっても大間違いをしてきたのではないか。
 好きな分野の名詞をいびつにガーッと覚えるようなパワーの方が、
 言語の推進力として本物なのではないか。
 現実の場でも、その方が人間と人間をひきつけるのではないか。

 というようなことがいたるところにあるわけで、
 なまじ平均的な生活ができるからといって、
 平均的でおおまかな授業を
 平均的に受け、平均的に忘れていく学生より、

 そんなことよりも巨大な世界がひとつあり、
 ここぞとばかり、精神のエネルギーというものを
 一点突破で噴出させること。
 そのいびつさがあって、ボクらは初めて心を動かされるのではないか。
 それを物凄く今日は感じたのだ。

 未知の領域に入っていくためには、
 大多数受けすること、
 予想できることや気楽なことに嫌悪する時代も大切だと思う。
 その姿勢が、
 一般的な市民像からは離れてしまうこともあるかもしれないが、
 表現者とはまさにそこに生きる人なのだから、
 落伍者、障害者、いびつ者、大歓迎なのである。

 ただ、もうそうなると、
 いちいちアーティストの上に「障害者」
 という言葉をもってくる必要があるのか?
 という素朴な疑問も湧いた。
 それぐらい作品に「新しい目」がある。

 MY MONA LISA 
 林原国際芸術祭2008-2010 希望の星「モナリザを描く」
 テレビ朝日ギャラリーumu  (10月1日まで)

 創作で悩みを抱えている人。
 強烈なパンチをもらえる展示です。
 ありがたい!


 
 


 9月25日(金) 断酒23日目

 逗子は小坪港の鮎丸。
 鮎丸の鮎はきっと、船長の娘さんの鮎美さんの鮎の字だ。

 もう十五年も前、
 ボクがまだ叫ぶ詩人の会というグループでマンスリーライブをやっていた頃、
 高校生だったこのお嬢さんがよく来てくださり、
 それがきっかけで鮎丸にのせていただくようになった。

 断酒中ではあるが、
 今日は日本が誇る世界の天才(こんな表現しかできなくてスマンです)
 サクラヤスユキ画伯などと鮎丸にのせていただき、
 主に巨大サバとの格闘、
 そして港にもどってからはメジマグロやイナダとの格闘になったのであるが、
 船尾灯がやさしく照らす港の宴会場(『老人と海』の小屋を想像してください)で、
 酔う人は酔う、語る人は語る、ちゃかす人はちゃかすなどしていると、

 本当に久々に・・・お嬢さんが現われたのであった。
 船長、
 お嬢さん、美しい女性に成長されましたね。
 はしゃがない感じの、しっとりとされた方。

 時は流れた。
 なにもかもが変わっていく。
 女子高生は湘南の優雅な女性になり、
 鮎丸はだんだん船が大きくなり、
 その船に乗るメンバーも徐々に顔ぶれが変わり、
 麻布十番のナポリタンのおいしいお店は駐車場になり、
 一度疲れ、壊れたボクは再生しようとしている。
 その予感があるなかでのお嬢さんとの再会。

 時は流れる。
 しかし・・・それでいいのだ、と思った。



 


 9月24日(木) 断酒22日目

 地図をもたない旅でも、
 足は前を向くのであり、
 とりあえず進んでみようかという気持ちにはなる。

 では、前とはいったいなにをもって前なのか?
 そもそもなぜそれが進むことになるのか?

 となると、話はややこしい。
 ごく勝手な想像ではあるが、
 誰もがうっすらとした地形図のようなものを思い浮かべ、
 そこを横断していく自分を
 この世に生を受けたことのひとつの価値としているのではないか。

 でも、その地形図というのはあくまでも想像でしかなく、
 現実の未知ははるかに入り組んでいる。
 前だと思ったら後ろだったり。
 後ろだと思ったら上だったりする。

 だから、基本的には迷う。
 迷わない、という人は観ていない、考えていないというだけである。
 でも、迷う時、
 いじわるな地平に尻込みしながら、
 ある種の歓喜が背筋を這い昇る、
 といった感じ方をする人もいるのではないか。

 未知の道を行くこと。
 詩のようなものを書いたり、
 物語を書くというのはひょっとするとそういうことで、
 精神の探訪で迷いながら、
 一歩踏み込む度に
 まだ観ぬ地平からのささやきに「前」を感じている。

 すると・・・ぐっと現実的な話になるが、
 詩のような時を過ごすと決めた日は、
 なにか普段のルーティンなことも、
 未知の分野にもっていければ、
 ひとつの地図のない旅になる。
 「前」になる。
 進む。

 今日、ボクはスーパーマーケットで、
 味が想像できないものだけを買うことにした。 
 ほとんどの食材は舌の上の感触や広がりが想像できてしまう。
 ああ、その・・・なんともいえない薄っぺらな不幸。

 で、買ったのが、
 白ウリ、冷凍ナン、フグの薩摩揚げ、ゲタンハ、そら豆とうふ、食用菊の紫色だった。

 レジのお姉さんは、「なんだろう、この並び」と思ったかもしれない。
 自分でも異様な買い物をしているような気がした。

 でも、菊の花を茹で、それを薩摩揚げにのせ、
 温めたナンでくるんで食べたら、
 インド人も日本人もまだ一度も到達したことのない領域に踏み込んだと思えた。

 ただ、これが「前」で、進んだことになるのかどうかはわからない。
 (ただのゲテモノ食いという気がしないでもない)

 

 

 
 


 9月23日(水) 断酒21日目

 三年前、当アトリエを借りる前に、
 どちらにするかで迷った物件があった。
 JR武蔵境駅の北側、ある交差点の飲食店鋪。

 かなり狭い空間ではあったが、
 テークアウトのものを作るには持ってこいの立地で、
 そこでトマトを焼きながら、
 詩みたいなものや物語みたいなものを書いて、
 「交差点の目」となって生きていこうかと考えた。

 あとは手付け金、というところまで行った時に、
 今の三十平米以上ある空間が廉価で出ていることを知り、
 数日間足が止まった。
 
 その間に武蔵境はだれか他の人にお金を振り込まれてしまい、
 つつじが丘にくる運命になった。

 武蔵境の交差点にどんな店ができるのか、
 ちょっと気になってそれから見に行った。
 そこはやはりテークアウト用のなにかの店として改装され、
 オーブンやフライパンなどが並んでいた。
 オレンジのテントがまぶしくて、
 なんだろう・・・モダンなお惣菜屋さんか何かになるのかな、
 と考え、
 人知れず胸のなかでエールを送り、
 頑張ってください、と交差点を後にした。

 今日、三年ぶりにそこを通ってみようと思った。
 つつじが丘までは遠回りになるが、
 天文台通りをぐんぐん自転車で走っていった。
 武蔵境の駅横を抜けて交差点へ。

 店は消滅していた。
 どこにでもあるような不動産屋になり、
 壁という壁に物件情報が貼られていた。
 こんなことを言っては申し訳ないが、
 そこに「センス」は微塵もなかった。
 ただ、オレンジの幌テントだけが残っていて、
 埃をかぶり、うなだれていた。

 ボクがあそこで店をやっていても、
 同じことになっていたのだろうか。

 もっとも、このアトリエもいつまでもつかはわからない。


 
 

 


 9月22日(火) 断酒20日目

 昨日は宮沢賢治の命日だった。
 ダムの水を調節して、イギリス海岸が顔を出した。
 ボクらが訪れた時は、水没していた。
 その前に訪ねた時も、水没していた。
 さらにその前に訪ねた時も、水没していた。

 お上がくれた連休だ。
 進まない小説と向かい合っている。
 なぜ進まないのか。
 連休のずっと前から連休だからだ。
 区切られた休みであれば丁々発止やりあえただろう。
 今日、エネルギーが切れたことを知る。

 羽根蟻たちがアトリエの中を飛び回っている。
 渦はサラダに落ちてきて、
 モロヘイヤの葉っぱの上でもがいている。
 そっと取り除くと、
 羽根を机につけたままもがき、
 絶命した。

 今日はちっちゃなドンキホーテの命日となった。

 
 


 9月21日(月) 断酒19日目

 ポエジーとはおそるべき孤独であり、
 生まれながらの不運であり、
 魂の病であることを知らぬ者は誰もいない。  
             
     ジャン・コクトー(1956年の講演より)

 私の人生ほど苦痛に満ちた生を送ることは不可能に違いない、
 ということがいつも私にはわかっていたのです。

     アルチュール・ランボー(1884年、家族に向けた手紙)

 なるほど、と納得しつつ・・・
 ではこれはいったいどうなるのか。

 こういう存在がその芸術に詩と童話を選んだのに不思議はない。
 選んだのはではない、自然な発現がそれになったのである。
 こういう存在が近代の小説を書かなかったのは当然である。
 近代の小説文学は賢者の文学とはもっとも遠い。
 人間的完成者に近代の小説は書けない。
 書いたらつまらないものしかできないであろう。
 常人以上に煩悩のとりことなり、
 常人以上に過ちを犯したような人がかえって偉大な小説を書いた。
 そこに近代の小説の意味もあれば、
 また近代の小説が我々のもっとも多くを惹き付ける事由もあったのである。

    谷川徹三(昭和十年、宮沢賢治の作品性を評して)

 前者フランス詩人たちは、詩の未知への到達について、
 かなりのおどろおどろしたイメージを根底に抱えている。

 宮沢賢治という特殊性はあるが、
 谷川徹三さんは時空にまたがる俯瞰的な視野からの降臨として
 詩的なものをとらえている節がある。

 どちらも過ってはいないようが気がするが、
 谷川さんが触れている近代小説の随こそ、
 コクトーが詩と記している執着と動的発露に近いと思われる。

 勝手な意見なので異論は当然あるだろうが、
 ランボーの詩は小説的構造抜きには語れない。
 一方で、宮沢賢治的なもの、
 彼自身が「心象スケッチであり詩ではない」と断っている
 あの壮大な銀河の目は、
 瞬発的な感性で遠くまで切り込む、一種の居合い道的潔さが
 そこかしこに観てとれる。

 どちらも「詩的」ではあるが、
 この極端に対立する二つの創作的精神が、
 ただひとつ、詩という言葉でくくられてしまうのは、
 考える者を絶望の底まで突き落とすだろう。

 それにしても、
 コクトーが言うようにそれが魂の病であるなら、
 人間はそもそも病んだ存在ではないのか。
 つまり大脳とは、
 生物種の中でたったひとつだけ「肥大」という病気を患らってしまった
 あわれな生き物の脳の成れの果てであるのかもしれない。


 



        


 9月20日(日) 断酒18日目

 滋賀県のノコギリ演奏家、稲山訓央さんの尽力により、
 今年の夏は大阪・滋賀でライブをすることができ、
 なおかつ琵琶湖のほとりの里山にて、
 煌めく時を過ごさせていただいた。

 あの時、ボクらの横に座っていただいた方が、
 染織家の玄匠先生であった。
 今日先生から、銀河を染め抜いたとしか思えない、
 宇宙を立体で切り取って大生命ごとドンと鋳込んだような
 生涯ものの大作をいただいた。

 今ボクのアトリエには十一面観音像の大きな写真があるのだが、
 その横に広げると、
 観音像の微笑みと溶け合って、にゅーっと動きだす。
 物凄いものが来てしまった。

 小林秀雄さんが講演の中で、
 子供の頃、
 絶対に開けてはいけないと言われている石蔵をいたずらで開けたら、
 中に小宇宙があって失神した、ということを言われていた。
 (という録音テープを聴いた)

 その時小林さんは、
 こういう話は信じようとする人と、
 「そんなの嘘だ」と頭から否定する人の二通りに別れる。
 で、むろん、否定する方の人物には
 何の可能性も残っていないと、
 手厳しいことを言われていた。

 そこまでボクは言わないが、
 写真の観音像はやはり生きた微光を放っているし、
 染め物も当然、玄匠先生の理屈を越えた思いがそこで呼吸している。
 これはポエジー以前の事実で、
 この出会いによってアトリエにはまた瑠璃の風が吹き、
 ボクを介して芯から噴き出そうとするのだ。




 9月19日(土) 断酒17日目

 何年も前にいただいたキューバ産のトマトの種を
 今年も梅雨時に蒔いたのだけれど、
 さすがに仕込みが遅過ぎたのか、
 あるいはもう年数がたち過ぎていたのか、
 数十の穴ぼこに埋めた種は押し黙ったままで、
 トマトはたった一本しか発芽しなかった。

 その一本は今、高さ五十センチぐらいにまで成長し、
 でも、それ以上は伸びず、花もつけず、
 そのまま秋を迎えようとしている。
 
 ずらりと並んだ鉢は、トマトに関しては空振り。
 土のままただ置いておかれ、
 そのうち雑草たちのサンクチャアリとなった。
 意外とこちらの方が面白く、
 名を知らぬ彼女たちは、
 けなげな花をつけたり、
 面白い葉っぱを揺らせたり、
 テントウムシのつがいを載せたりして、
 つくづく雑草というやつは奥が深いと思う。

 キューバトマトの一本、
 枯らさないために毎日水を撒き、
 それでもいつか花をつけるのかなと
 やはりどこかに期待はある。
 (東北に歌いに行っている時、水のことを考えていました)

 しかし実際は、
 雑草たちが見せる日々の千変万化に目がいってしまうわけで、
 こちらにも当然水をやりつつ、
 この過ぎ行く季節、彼女等は豊かだったなと思う。

 種を蒔く必要なんかなかったんだね。
 雑草だと軽んじない目があれば、
 虹彩も珠玉も、すべて勝手に現われてくれる。

 不器用な自分にはそれがちょうどいい。
 ボクにできることは、
 毎日二、三百人の皆さんが観てくれるこのサイトに
 (アルルカンのサイトも御覧あれ)
 つたない言葉の明滅を書き込むこと、

 それから、
 いっしょに頁を作りたいと思ってくれる編集者と、
 その一頁一頁を生み出していくこと。

 そしてたまに歌を作り、
 あなたの前で歌うことぐらいだ。
 もはや大観衆は我の前になく、
 ぽつんと立っている自分を
 その最後の姿まで想像して観ていることも多い。

 でも、この鉢はそう簡単に不毛の土には戻らない。
 未知の花をそっと咲かせてみせよう。
 そしてあなたの喉元に
 らりるれろと舌を這わそう。

 
 


 9月18日(金) 断酒16日目

 創造とは、
 ひとつの事象を多角的に捉えることができる能力があって、
 そこで初めて成り立つ人間の精神的行為である。

 若さとは、
 その多角的に観られる能力を宿す時代のことだ。

 歳を経てきたから、
 経験を積んできたからといって、
 一方的なベクトルを我が意と振り下ろすのは
 なによりも老いの証明。

 従って、
 人生相談なんてものが職業になってしまえば、
 若さからもっとも遠い動脈硬化に苛まれる可能性がある。

 若い人からも学べる間のみが、
 若さである。

 つまり、理想の人生相談というものがもしあるとするなら、
 ボクが若い人の悩みに答える代わり、
 ボクの悩みもその若い人の考えで料理して欲しい。
 もちつもたれつ、
 異文化が並立する時の在り方こそ、
 創造を失わない人間関係というものだ。



 9月17日(木) 断酒15日目
 
 デトロイト・ライオンズ、
 セインツに敗北を喫し、18連敗。
 2007年のシーズンから記録更新中なので、
 選手たちのヒリヒリ感、
 その自虐のブルーズ進行は今や最高潮であろう。

 それはたとえば、
 紀伊国屋に不用意に足を踏み入れてしまい、
 平積みされている本をつらーっと眺めている最中に、
 一山だけ誰からも相手にされず、
 まるで高層ビルのように突出して売れ残っているのが、
 すべて我が子たちだとわかった時のような
 新宿午後二時の阿鼻叫喚、
 靖国通りの地割れ感覚であろうか。
 しかも隣のうつ病の本が売れていたりして。

 しかし、
 溺れながらカスピ海ヨーグルトをつかむような日々が続いたとしても、
 まさにこの一秒一秒が
 富士そばの麺の一本一本のごとく、本体の実質、その正体。

 ライオンズも横浜もボクも
 この透明な穴の中で呼吸困難に陥りながら、
 それでもタッチダウンやホームランを狙い、
 ああ、ああ、生きていくのだ。

 今シーズンは、ピッツバーク・スティーラーズのファンをやめ、
 デトロイト・ライオンズのみを応援します。
 もちろんBGMは「KISS」ね。
 メイクつながりということで。

 


 9月16日(水) 断酒14日目

 いつかサッカーボールを蹴るんだと思って
 空き缶を蹴っていた日々。
 それは練習に過ぎなくて、
 だから空き缶が鳥を打つぐらい高く飛んでも、
 弾道計算したくなるような放物線を描いても、
 あるいはくるりとひっくり返って鎮座ましましても、

 いつかやってくる日の予行演習として
 ボクも空き缶も存在していた。

 でも、どうやらそれは違ったようだ。
 ボクは空き缶を蹴るために生まれてきたのだと、
 最近よくわかる。

 実は毎日が本番で、本物で、本当で、
 この一時間、この一分の中にしかボクはいなかった。

 ここで、「キミもね」
 なんて言う気はしない。
 人にはそれぞれフィールドやピッチがあり、
 きちんとサッカーボールを用意されている人もいれば、
 それを観ているだけで満足する人もいる。

 だから、それぞれの本当は、みな、本当に違うのだ。

 たとえば、今この一行だって、
 ボクにとってはもうすっかり、本当のことだ。
 電線から落ちる雫。
 水素がたくさん詰まっている。
 きらりと光った時、
 輝きはどこを抜けた?

 それぐらい本当のことだ。


 9月15日(火) 断酒13日目

 ヴォイストレーニングのスタジオに
 眼鏡を置いてきてしまった。
 代々木の町が
 札幌オリンピックの記録フィルムのようにぼやけてしまって、
 世界になにか起きたなと思ったら、
 ボクはただ、眼鏡を忘れていたのだった。

 日の丸飛行隊。
 笠谷の七十メートルジャンプ。
 銀と胴は誰だっけ。
 青地という人がいたような。
 それぐらいぼやけた明治通りを
 アルルカンのCD30枚をぶら下げて歩く。

 今日は流通の会社にCDを納める日だ。
 最近また少しずつ注文があるらしい。

 誰かは知らないが、ありがとう。

 なぜスタジオにすぐ戻らなかったのかというと、
 もう次のレッスンが始まっていたからで、
 そこに割って入っていく気はしなかった。
 この精神がボクの致命的欠陥である。

 でも、職安通りも
 ジャネット・リンの記録フィルムのようにぼやけて見えて、
 韓流スターのブロマイドを漁るお姉様たちの尻さえ色っぽく、
 新宿は発情しながら
 どこもかしこもトワ・エ・モアだった。


 9月14日(月) 断酒12日目

 舞台に上がった時だけ歌い手。
 そんなの、あり得ない。
 毎日どこかで歌を意識し、実際に歌っていなければ
 舞台の上で歌うことなど不可能だ。

 原稿やキーボードに向かった時だけ言葉を綴る。
 そんなの、あり得ない。
 風の一吹き、木漏れ日の揺らぎ、刺すような視線、
 あきらめた路面、肉のようなにおい、
 その瞬間その瞬間に未知と出会っていなければ
 切り取ることも、増幅も不可能だ。

 文字や歌であらわれるのは
 常日頃の神経である。
 仮に努力という言葉を置いてみても、
 なにかそれはとても座りが悪くて、
 そういうことではないのだな、という気がする。

 視線だったり、聴覚だったり。
 おそらくはこっちの方であろう。
 雲がひりひりしたものを抱えたまま霧散しようとしている。
 その航跡に我もまた散っていく。


 9月13日(日) 断酒11日目

 宮城県村田町、願勝寺でライブ。
 精神の上で築き上げたライブと、
 実際の演奏、歌がうまく重なった瞬間がもっとも多かったのは
 ここかもしれない。

 三日目という神経の慣れのようなもの、
 あるいは本堂の扉という扉を開け放って
 風や陽光を入れながらやる、
 その一種の鷹揚とした構えが、
 歌い手には良い方向に作用するのか。

 それにしても、
 専立寺といい、この願勝寺といい、
 須弥壇を背負って本堂という大きな空間の中で歌えるのは、
 この道を歩むボクにとって幸せなことだ。

 背後でそっと手を差し当てられているような気さえする。
 
 (このあたりの感覚についてはライブ欄でレポートします)

 願勝寺。
 ライブのお客さんのために、
 毎回大量のちらし寿司を用意して下さる。
 昨年は今年よりも開演が一時間早かったため、
 バスの時間までに余裕があり、
 多くの人が残って下さった。
 すなわち、酒や食べ物も適宜に消費された。

 だが、今回はバスまで時間がなかったためか、
 誰も残らず、
 お寺の家族、関係者と我々のみになった。

 ちらし寿司。
 食べました。六皿分。
 さすがに仙台の駅についたら、
 屈むのも苦しくなっていたが、
 三連戦を無事終了し、
 また最後にアンコールの拍手までいただいたこともあり、
 大変に幸福な思いでした。

 盛岡、専立寺の住職御一家、
 花巻、大迫町の若者グループ、
 村田町、願勝寺の住職御一家、
 お世話になりました。
 ありがとうございました。

 そして、はるばる遠方からみえたお客さん。
 もちろん東北のお客さんも含め、
 秋の花のように澄んだ時間を味わうことができたのは
 皆さんのお陰です。
 ありがとうございました。

 


 


 9月12日(土) 断酒10日目

 花巻、大迫町でライブ。
 ごめんなさい。
 辿り着くまでこの町を知らなかったのだが、
 花巻市街からは丘や川や森や線路をずいぶんと通り越え、
 けっこう離れたところに来ちゃったなあ、
 というのが率直な感想の丘陵地帯。
 (関東や新潟からいらした皆さん、御苦労様です)
 葡萄とワインの名産地。
 早池峰山の山影も近いのかな。

 お寺の若い住職さんらが中心になり、
 この町の活性化のための第一弾として
 アルルカン洋菓子店を招待していただいた。
 (岩手日報の一面に出ていたよ!)

 差し入れに葡萄をいただいたり、
 お客さんのために住職さんらが焼そばを作ったりと、
 手作り舞台の雰囲気があちらこちらにありました。

 そして我々は翌日行われる予定だという
 早池峰神楽の迫り舞台の上での演奏、歌となったのだが、
 ほぼすべてのお客さんが初めてのアルルカン体験とあって、
 どんなふうに受け止めていただいたかは、
 これまた未知数。

 でも、拍手はずっと続いていたし、
 CDや本の販売の列にもたくさんの方が並んで下さった。
 ありがたい。

 クッキーと一緒にお渡ししているメッセージカード。
 尼僧の方が微笑まれながらカードを見せて下さった。
 「私、こんなのがきちゃって」
 と、そこには・・・。

 『髪型が正直過ぎます』

 盛岡で、大迫町の若手の皆さんと打ち上げになった。
 一人の住職は高校生の頃、
 ボクのラジオの深夜放送を聴いてくれていたらしい。

 みんな大人になっちゃったなあ。
 なれていないのはこのアルルカン一人。
 (もう一人のアルルカン。あれは大人です)



 


 9月11日(金) 断酒9日目

 今日は盛岡、専立寺でライブ。
 そして、あれから8年目の9月11日。

 ボクはマンハッタンの40丁目のアパートから、
 ミツ君はユニオン・スクエアのそばのバイト先から、
 経験したことのない巨大な煙の柱を見ていた。

 あれからの日々。
 この歳月はいったい何だったのだろう。
 世界はどう転じたのか。
 ボクはどう変わったのか。

 あるいは何も、特筆すべき変化はなかったのか。
 水道の横で、名の知れぬ草が
 十年一日とばかり揺れている。

 でも、一秒の奥行きが今とても大切に感じられる。
 この指の動き、呼吸さえも。

 (と書いたのが東京を発つ直前、ライブ三連戦とあって、
 過去と未来を渡り歩くイマジネーション、
 その水球の底を泳ぎながら、とろとろと漂う光芒をつかもうとしている時だ)
 (以降は盛岡駅で降り、専立寺の住職と一年ぶりに会い、
 あんまり寒いので肉まんを食べ、その後一気にライブへとなだれ込み・・・)

 突出は戒めて、
 ひとつひとつ草の道を歩むようにと冒頭に心掛けたのだが、
 どうもお寺の本堂の深閑とした空気、
 またライブハウスと違い、
 お客の誰もが酒を呑んでいないという状況に緊張を覚え、
 少し息が浅くなりながらの始点となった。

 来ていただいたお客さんはどんなふうに感じて下さったか。

 歌と言葉をつむぐ側。
 歌と言葉を受け取る側。
 その双方に歩み寄りがあり、
 ぽっとランプの灯がともったのなら、
 新幹線が福島駅を通過する際、
 瞬間的に見えたベンチの少女の物憂気な魂も
 連れてきた甲斐があったというものである。
 (詳しくはライブレポートを

 
 終演後、
 お寺で打ち上げとなる。
 ボクは今断酒をしているので、
 せっかく持ってきたいただいた酒を呑むことができなかったが、
 汁ものや握り飯が充分にうまく、
 住職や奥さんの思いやりがありがたく、
 夜の風の一吹きつつ、小雨の一滴一滴が温かくしみ入った。

 ミラクル人生相談で悩みを打ち明けて下さった専立寺の住職。
 助けていただいて、ありがとうございます。

 
 

 

 


 9月10日(木) 断酒8日目

 新刊の感想をかなりの勢いでいただいている。
 読んでいただいた皆さん、本当にありがとうございます。
 お客さんがいなければライブができないのといっしょで、
 読者がいなければ本は成立しない。
 
 宮沢賢治の孤独は
 未来の読者がいようがいまいが、
 まず作者自らの律動によって
 作品が(幻灯の輪の中のみに)生まれ、
 それを読む者がいない状況で推敲ばかりが重ねられた状況だと、
 なにかの評論で読んだことがある。

 おそらくは多くの作家にとって、
 この原点は共通する。
 でも、それが続くことは想像するだに辛い。
 羅須地人協会で彼は読み聞かせもしたが、
 ほとんどの作品は彼の生と寄り添うのみで、
 外側への開闢を持たなかった。

 つながりを断たれた作品。
 氷雪の中で眠る童貞の彫刻のようだ。

 でも、だからこそ己の幻灯の中で
 完璧なる自由を謳歌できた、その命の羽撃き。

 我々が宮沢賢治作品の時代を越えた垂直性に感動するのは、
 この絶対的な孤独があってこそである。
 
 とはいえ、
 誰も読んでくれない物語や、
 誰も聴いてくれない歌を産出し続けることは
 絶海に独り海胆の針を数えるにも似て、辛い。


 9月9日(水) 断酒7日目

 立原道造は夭折しなかったら、
 四十代の後半とか、なにをしていただろう。

 ランボーが十代ですべての作品を書き上げ、
 その後砂漠の商人になってしまった気持ちは
 なんとなく、わかる。

 なにもかもが、無理をしてやるべきことではないだろう。
 溢れる時、自然とそこからこぼれ出る時、
 文字は血や虹を吸い込みながら命あるものとしてそこに咲く。
 
 そして、詩的な力は時に文字を越え、
 その実践者を求めることがある。

 アルルカンになったのも、
 クッキーを焼いているのも、
 それはすべてイメージの輪郭にまつわる冒険。

 あ、そういえば・・・

 

 立派な卒業証書をいただきました。
 通信教育だから緩いよね、
 と思ったらつまずくほどの大間違い。
 実習などのスクーリングが200時間あって、
 夏冬がほぼ投入された感の二年間でした。

 このアトリエも
 クリームの匂いに何度呑まれたことでしょう。
 深酒して、かなりの二日酔いで実習に参加し、
 朝9時からモンブランを作り上げた日。

 二子玉川の空は葡萄よりも青かった。
 


 9月8日(火) 断酒6日目

 どこかの町の書店の、
 少しくもったガラスを通じて差しこむ午後二時の陽光。
 街路樹が風に揺れる度に
 本の上に投げかけられた木漏れ日もあちこちに躍り、
 今梢に一羽とまっている傷心のムクドリ、
 彼の影もまた本の上を行ったり来たり。

 その横に、今日生まれたばかりの本が並んでいます。
 「なやむ前のどんぶり君」(筑摩プリマー新書)

 一年ぶりの新刊です。

 もし良かったら、手に取って数頁読んでみてください。



 9月7日(月) 断酒5日目

 お山を耕して、
 段々畑を作って、
 そこに苗を植えて
 まじめに世話をして、
 風の日は空を睨み、
 雨が続けば手で空を斬り、
 炎暑の中では馬鹿みたいに水を運んで、
 そうして育てても、
 地滑りが起きて何かもが崩れさることはある。

 民事再生法申請。
 
 来月出ると告知した『トンネル3』。
 版元の倒産により、流れるようです。
 昨年からの創作や労働、
 二冊続けてなので空が割れました。

 でも・・・。
 またお山を探そう。
 また段々畑を作ろう。
 そこに苗を植えよう。




 9月6日(日) 断酒4日目

 炎熱の環が、
 道を囲むようにゆらゆらと回りながら抜けていき、
 今、畑では農夫がトマトを摘み入れ、
 校舎では歌がよみがえり、
 空には澄んだ青があふれ、
 古い靴のままのボクは
 詩のようなものを探している。

 トンボが二匹、互いに羽根をぶつけ合いながら
 電線の間を器用に飛んでいく。

 トマトの後には何が植えられるのだろう。
 葱?
 では、葱が育った冬の畑を見た時、
 ボクはそこにトマトがあったことを思い出せるだろうか。

 中学生たちは、雨の日も風の日も教室で歌うだろう。
 でも、二学期の終わりに、
 夏休み明けに歌った曲のワンフレーズを、
 あるいはハーモニーが崩れながら終止したことで
 音楽の先生が変な顔をしたことを思い出せるだろうか。

 空には澄んだ青があふれ、
 一歩ずつ歳をとっていくボクは
 詩のようなものを探している。

 今日という日の模索と栄光を
 ボクは冬の或る日の午後に、
 窓辺の煌めきのかけらとして
 そこに見ることができるだろうか。



 

 

 9月5日(土) 断酒3日目

 小さな部屋の中を旅している感じだ。
 普通、ではない。

 たとえばこの覚醒感というのは、
 頭が冴えてきりきりとものの奥が見えるような
 神経の透明性をともなった眺望能力とは無縁で、
 ただだるく、疲れがたまっていて、
 それでいて眠れない白夜のバスケットボール選手といった風で、
 (ゴールポストの位置さえわからなくなっている)
 身体だけを持て余して『漠然なる王』と向かいあっている感がある。

 2、3日酒を呑まないなんて幾らでもあるし、
 何年か前に半年ほど断ったこともあるので、
 断酒を軽く見ていた。

 でも、これまでとちょっと違う。
 かなりの部分で酒がボクの普通を支えてくれていたようで、
 簡単に言ってしまえば、
 本当にそれだけの小説を書き上げる間呑まないのか、
 という自問自答から始まる恐怖が、
 普段なら姿を現わさない部分までの禁断症状
 を炙り出し始めたのかもしれない。

 つまりこれも一種の、
 依存症の症状です。

 呑んでいないから頭がおかしくなり、
 薄皮一枚下の変態性があらわになり、
 なにごともやり過ぎたランボー少年の詩などどマッチして
 普段よりもぐいぐい食い込んでくるから
 極端は純に通じる、という言葉をあらためて確認できる。

 ランボー少年がヴェルレーヌの肛門を突き、
 (彼は同性愛の時はタチであったらしい)
 女性の肛門を虫眼鏡で見るように描写して『ミューズ』と題するなら、
 ボクは色々な街の街路樹に裸でよじのぼり、
 街路を歩く年上の女性たちを見ながら
 手淫、手淫、手淫の炎と化し、そこに白き火炎樹の花を咲かせたい。

 密度が壁を破壊しだした。
 こなくそ我慢の大気が毛穴から噴き出し、
 智恵さえも煽り始めた。


 9月4日(金) 断酒2日目

 本当は、適度にお酒を呑みながら、
 酔いどれ気分で詩や物語を書き、
 それで生きていけるのなら、
 何よりもそれが一番いいと思う。
 酒は十六歳の頃から、ボクとずっとあったものだ。

 大学生の時、一度だけ知人を殴ったことがある。
 居酒屋のレジを抱え上げようとして取り押さえられたこともある。

 でも、基本的には楽しい酒で、
 ただただ長々とあれこれ話しながら呑んでいるだけだ。

 一度酒が入ると、十時間でも十五時間でも呑んでいられる。
 おまけに肝臓は、酒を呑んでいない人より数値がいい。
 スーパー肝臓というやつだ。

 ただ、他の部分がだめになってきた。
 朝まで呑むと、午前二時ぐらいからの記憶がなくなっていることに気付く。
 そして夕方までつぶれている。

 ボクはそれでもいいと思うのだが、
 ボクという創作家がいたことをボクが納得できる作品を
 そろそろ生み出さなければいけない時期にきたことを知っている。

 こいつは取引というわけだ。

 酒を恨んだことはない。
 むしろずっと助けてもらってきた。
 断酒なんて、冷たい態度だ。
 人はその方がいいと言うかもしれないが、
 酒呑みは酒に沈んでいくことをもともと求めているもの。
 その陶酔の中の詩編はもう少し後に残しておくことにして、
 まず肉体が頑張れるうちの作品を
 今ここで固め打ちしていきたい。

 それで、七本の作品を世に問うたら、
 ボクはもう二度と書かないかもしれないし、
 果てていく酔っぱらいとして
 澱のように世の底に沈んでいくかもしれない。

 酒よ、しばしの別れだ。
 

 


 9月3日(木) 断酒1日目

 新刊「なやむ前のどんぶり君 〜世界は最初から君に与えられている」
 (筑摩プリマー新書)
 装丁をアップしましたので、ぜひこちらを御覧ください。
 今回の東北お寺ツアー、何十冊か持っていきます。
 サイン本が欲しい方は、ライブ終了後に声をかけて下さいね。

 心の本を、
 と編集部から依頼があったのがもう何年も前で、
 でも、上からものを言うような姿勢はとりたくなく、
 書いては消し、書いては消しをくり返していました。

 『がぶ呑み相談室』のようなアイデアが欲しかったのです。

 それで、天啓というか・・・ぱっと閃いたのが、
 昨年の12月に調布の大勝軒というラーメン屋さんの裏を通った時。
 ラーメンスープのだしの匂いの中で、店員の方がぐたっと疲れて休まれていて、
 あ、そうだ・・・悩みと食べ物というマッチでいけばいいのではないか、
 なんとなくそういう本であれば力が発揮できる上、
 目の前のこの青年も喜んでくれそう。
 という気持ちになったんだよね。
 
 しかもオリジナルの創作料理で。

 合計二十の創作丼。
 それをひとつずつ作って食していけば、
 悩みとは何なのか?
 そもそも人間は悩みから解放される必要があるのか?
 といったところでの気付きがあるかもしれない丼コースとなっています。

 それにしても、編集の吉崎さん。
 すべての創作丼を実際に作って食べられ、
 そして帯に「おいしいよ!」と入れていただいたこと。
 あなたは編集人の鑑だ!
 まず担当編集に喜んでいただき、ボクは嬉しいです。

 そう。そして話題は変わって・・・断酒一日目。
 酒を断つなんてちっとも潔いことじゃなくて、
 自分自身にファッショしているみたいでバツが悪い。
 でも、楽器が壊れてきちんと鳴らなくなりだしたのだから
 これは仕方がないね。

 孤独という友がまたやってきた。
 にこやかに迎えたいと思う。
 まず、アルチュール・ランボーと
 ニック・ジョンストンを抱き入れた。
 この中毒者たちの明滅するイメージで遊び過ぎ、
 ほとんど眠れず。

 

 


 9月2日(水)

 突然ですが、今朝5時までの飲酒をもって、
 しばらくの断酒生活に入りました。

 今書いているものを含め、
 構想している全7冊の本がすべて書店に並ぶまで、
 静ひつなる闘いに挑もうと思います。
 
 お客さんもいらっしゃるので、
 近隣の居酒屋、バーなどには顔を出しますが、
 以前の断酒時といっしょで、
 ホッピーや炭酸水を楽しみたいと思います。

 今回は長くかかりそう。
 一年はもちろん越えるでしょう。

 でも、久々のノンアルコールライフとあって
 喜ばしい(崖っぷちの)気持ちでいっぱいです。

 


 9月1日(火)

 アルチュール・ランボー。
 ボクはフランス語ではなく、
 英語訳をもとに新訳をぶちかましたいと思っています。
 
 フランス語じゃなきゃ訳したことにならない、
 という考えもありそうですが、
 ランボー自身ロンドン暮らしもしていたわけで、御本人は英語も堪能。
 すなわちぶつかりながらも(いつの時代も)
 英仏の表現者はいとも簡単に言語のドーバー海峡を越えていくわけで、
 六十年前の堀口大学訳よりは、
 英訳の方がよりアーサー・リャムボーに近いと思われる。
 ここに乗っかっちゃおうってことです。

 とはいっても、神田の北沢書店あたりに行っても見つからず、
 三省堂の洋書売り場でなんとかペンギンブックスのフランス詩人オムニバス版みたいのを発見。
 そこに十編ほど出ていましたが、
 これではまったく足りない。
 (その代わり、現代のアメリカの若者が考察したランボー論みたいのはあったよ)

 東北ツアーの前にはなんとか手に入れたい。

 今日は夜、集英社で『ヤング・ジャンプ・イメージソング・コンテスト』の審査があった。
 ボクが押した曲がひとつあって、
 これは鳥肌ものでした。
 世に出るかどうか?