ドーランが目にしみる
 2008年12月

 撮影:半片ブラザース

 12月31日(水)

 幼い頃大事にしてもらったおじさんを亡くした、ということもあったし、経済的にはちっとも良くない一年だった。
 
 でも、まるでお風呂からお湯があふれるように自然と始めることになったミツ君との道化師ユニットが、
 かなりの刺激と安定をボクの心に与えた。

 ボクは執筆者だ。
 しかし、どういう方向性を持った執筆者なのか、ということが今ひとつ漠然としたままだった。
 ボクはステージに立つ人間でもある。
 その方向を模索し続けた十余年だった。

 もうダメだと思ったことは何度もある。
 人に会いたくない日々もあった。

 けれども、すべてのため息と涙、すべての無謀と葛藤が、今ひとつの大きな流れになって
 元ドリアン助川、明川哲也の中でうねり始めたのがわかる。

 ボクにはやはり使命があったらしく、地上でそれをやらなければいけない。

 長い長い迷いからまた歩き始めた2008年。
 ライブに来て下さったり、本を買って読んで下さる皆さんの気持ちがあって、今ボクは存在しています。

 どうもありがとうございました。

 そして2009年もまた、よろしくお願いします。

 道化師ユニット「アンド・サン・スー・チー」は、2000年よりの8年間の看板を下ろし、
 新たに「アルルカン洋菓子店」の名をもって活動をスタートさせます。

 さあ、新しい年が始まる。

 
 12月30日(火)

 たいへんお世話になっている六本木のバーに年末の挨拶を兼ねて飲みに行く。
 で、午前3時を回った頃、ある画家の方に誘われて、これまで入ったことのない地下のバーに吸い込まれる。

 じゃあ、ここで始発まで飲みましょうとなったところで、スケッチブックを持った老人が店に入ってくる。
 「似顔絵はいかがですか?」

 お店の女の人が老人を追い出してしまったので、別にいい人ぶるわけじゃないが、ボクは追い掛けた。
 だって、午前3時過ぎだよ。真冬だよ。もう一緒に飲むしかないではないですか。

 老人はお湯割りを飲みながら、本当に似顔絵を描いてくれた。
 「お酒をもらったから、千円でいいや」って。

 千鳥足になって、老人は出ていく。
 また次の誰かを描かなければいけないのだという。


 
 
 老人が出ていった後、ボクは似顔絵を見ていた。
 酔っぱらっているので、描いてもらったことが嬉しく、
 けっこうはしゃいでいた。

 画家の方が、「なかなか力強い線でいい絵だ」とおっしゃる。
 「ずっと持っていた方がいいよ」と。

 それで、なにげに画用紙をひっくり返した。
 
 あれ、いつ書いたんだろう。
 そこには人生のことが幾つか文字で書かれていた。

 「本は心読せよ」と。
 その他にもたくさん。

 奇妙な夜だった。
 あの老人はいったい何者だったのだろう。
 ボクの人生の予言までしていったよ。


 12月29日(月)

 多摩川の水辺ぎりぎりでギターをかき鳴らし、絶唱していると、なぜか背後で拍手の音が。
 あら、誰かしら? 近所のおばさん?

 振り向けば、以前よくライブやイベントにいらして下さったSさん。
 「本当にこんなところで練習をしているんだ」と近付いてきてくれた彼女であったが・・・

 どうも様子が変。
 顔に打ち身の傷のようなものが。
 「あれ、どうしたの?」

 Sさん、実は多摩川べりをランニングしている時、全速力で走ってきたサイクリング車に正面衝突されてしまったのだ。
 24日間も入院されたということで、かなりの怪我である。くも膜下出血にはなるし、意識は失うし。

 それで、以前から気丈な人であることは知っていたのだが・・・
 Sさん、入院していた病院まで、今は走って通っているのだという。
 そうやって多摩川に勝たないと、事故の思い出に負けてしまうからと。

 ボクは生きているSさんに会えて本当に嬉しかった。
 Sさんもぽつりと「生きていて良かった」と呟いた。

 そうだよね、Sさん。
 生きている間は、やはり生きていることに意味がある。
 その瞬間瞬間を一生懸命に追求していった方がいいもの。
 ひねくれている暇なんて、もう今のぼくらにはないもの。

 生還したSさん。おめでとう。
 また一歩ずつ進んでいきましょう。


 12月28日(日)

 ノコギリ演奏者、稲山訓央さんが新宿ロフト・プラスワンでゆるゆる講演アンドライブをやるのだ。
 それで我々二人はNHKの番組で取材をしたこともあって、このイベントにゲスト出演することになった。

 稲山さん、午前10時半に新宿というのは辛いよ。
 だって俺たち、前日のライブの打ち上げで、午前3時まで飲んでいたのです。

 というわけで、当アトリエにて毛布くるまり人間になり、顔だけ洗って新宿へ出発。
 リハーサルを終えて...出番が午後3時ですわ。

 稲山さんには悪いけれど、楽屋でミツ君と飲みだす。
 ちょっと二日酔いぎみなので、こうなったら本格的に酔ってしまおうということで。

 でも、今度は飲み過ぎてしまった。
 歌わなければいけないのに・・・こんなことでいいのだろうか。よくないわなあ。

 ロフトプラスワンは、アンジーの三戸華之介さんのトークライブの時と、オーケンの時に二度(ええと三度?)出演したことがある。なぜかボクはいつも酔っぱらっていて、いつだったかは一升を空けてから出た。あの頃に比べれば、すごく常識的な酔っ払いになったものだが、まあ、それでも・・・・お客さんには良かったのだろうか、悪かったのだろうか、今ひとつわからず気合いで歌いました。拍手はいっぱいいただいたから、良かったということにしておこう。

 稲山さんのノコギリの音もさすが。
 魂が吸い取られそうな音。
 ずっと聴いていると、あの世とこの世を行ったり来たりしているような気分になる。

 イベント終了後、お世話になっている店に顔を出す。
 モツにら炒めをいただきながら黒糖焼酎の湯割り。

 ミツ君。
 経済的には相変わらずトホホな状態だけど、今年は「生きる方向性がひとつ見えた」という意味では、意味のある年だったねえ。と、乾杯。夜は更けていく。


 12月27日(土)

 お客さんはたくさんの拍手を下さったが・・・
 実に反省点の多いライブであった。

 突然ギターが奇妙な音を立てるようになり、弾けなくなるというアクシデントから風向きが変わった。
 言葉のとちりが、歌と朗読でそれぞれ一回ずつ。
 (これは信じられないミス。いいところでやっちまった)
 高い声でシャウトするところで、声が出なくなり、はずしが1回。

 ステージでの声質そのものはいい方向に変化している最中である。
 ボイトレと毎日の鍛練の結果が出始めている。

 でも、そっちに意識を集中するあまり、普段できていたことが(できていると思っていたことが)
 すこーんと抜けてしまった。

 ああ、俺ってばさあ・・・と、終演後はかなり落ち込んだ。
 半片ブラザースや編集者の皆さんと酒を飲みながら、シュンとなってしまった。

 でも、でもね・・・また次のステージがある。それに声そのものは太く大きくなってきているのだし。
 落ち込んでいる場合じゃねえだろ!

 ということで、今回の個人反省会。
 1)練習できつめのものは本番でもしくじる可能性がある。キーに対してもっと慎重になれ。
 2)ギターのジャックが中途半端な刺さり方をしていたのが原因。流れを焦って前に持っていこうとせず、
   道化師なのだから、余裕をもってことに対処せよ。これ、本当に反省。ぷんぷん。
 3)そして最大の反省は・・・珍しくとちってしまった・・・この最大の反省点は!

   ライブ前にカツ丼なんか喰うな。

   
普段でも、何か喰えば眠くなる年令なのだ。
   なぜライブ1時間半前にカツ丼を喰ったのか。
   不思議だ。今でも不思議だ。体が欲っしていたのか。どうだ。しかしそれにしても・・・

   腹が減っては歌えない。でも、腹にいれ過ぎればミスも出る。

   ちょうどいいところで、これからはコロッケうどんぐらいにしておきます。


  アクシデントとミスの出たライブでしたが、詰め掛けていただいたお客さま。
  本当にありがとうございました。
  アンド・サン・スー・チーという名前では最後のライブ。
  今年は皆さんのお陰で、人生の再スタートにふさわしい、とても充実した一年になりました。

  心からお礼を申し上げます。

  今回大評判の半片ブラザースともども、いっしょに精進していきます。


 12月26日(金)

 今回お配りする焼き菓子は、チュイルだ。
 フランス語で瓦という意味。すなわち西洋の瓦煎餅ということになるが・・・

 基本はアーモンドとオレンジピール。
 オレンジの皮の部分だけを使い、白いところは使わないのがレシピの常識となっている。
 白いところを使うと苦味が出てしまうからだ。
 製菓学校の実習でもそこのところを気をつけるようにと教えられた。

 でも、どうなんだろう。
 大人の味としては、柑橘系の苦味はあっても良いのではないかと考え、
 当チームは柚子を使用。その白いところまでたっぷりと使った。

 案の定、焼き上げてみると非常にふくよかで、奥の深い味わい、香りとなった。
 先日の昆布クッキーの失敗があるから、なんでもかんでも試してみればいいということではないが、
 それでもやはり「常識は疑えよ」という部分は創作物だからあるのではないか。

 明日のライブ、この「柚子チュイル」をお配りします。
 柚子の按配がいいと、とりあえずは洗練されるね。

 
 12月25日(木)

 スタジオでの練習が終わり、いつもの自由が丘の蕎麦屋さんでミツ君と二人、カツ丼セットを食べている。
 いつからこういう習わしが出来てしまったのか思い出せないが、ライブ二日前はここでカツ丼となった。

 バーミヤンで生ビールという時もあったのだが、練習が終わる夕方は高校生たちでごった返していて、
 何となくどこかの高校の食堂に紛れ込んだような気分になる。

 それって楽しいだろう、と思われるかもしれないが、
 周りでじゃれあっている高校生たちのまん中でビールを飲むというのは、実はあまり愉快ではない。

 それに、二日前だからビールでほろ酔い気分というのも難がありなのだ。
 飲まずに済むならそれが一番、ということで好物のカツ丼になった。

 ボクはただ、蕎麦とミニカツ丼のセットというのがどうも物足りない。
 ならばと、普通のカツ丼とざる蕎麦を注文したこともあるのだが、これだと今度は食い過ぎ。

 理想としては、蕎麦と「控えめカツ丼」ぐらいがちょうどいい。
 そういう絶妙のバランスでセットメニューを考えてくれる店、どこかにないかしらん。


 12月24日(水)

  相変わらずクレージーになっている。
  叫ぶ詩人の会の頃から、ライブ直前になると、頭の中を都電が時速100キロぐらいで暴走しているような
  気分になる。

  もっとも、そのままではいけないわけで、都電はきっちりタラタラ速度を落として、学習院下とか面影橋とかに
  停車してくんないとどうにもならんわけです。

  その沈静化が起きるのが、おそらく明日のスタジオ練習後ぐらいで、
  今年はパターンと言えるほどに脳内で同じ現象が起きている。

  ところで今日はクリスチャンの皆さんにとって「聖夜」だったのですね。
  昔、「東京聖夜」という作品を世に問うたことがあり・・・

  基本的にボクは、こういう時にもじっと息を潜めている皆さんの方に親近感を覚えます。

  


 12月23日(火)

  昨日力が入り過ぎていたせいか、今日は信じられないミスをしてしまった。
  声質も悪く、大ぼけの大失敗。

  今日俺は、レギュラーのボイストレーニングを終えて、それから大尊敬しているボイトレ界の神様みたいな先生に
  個人教授をしてもらうことになっていたのだ。
  先生は大変忙しい中時間を割いて下さった。
  
  先生は時間通りに待って下さっていた。
  俺はどういうわけか、いったい何の勘違いが起きてしまったのか、それから二時間半後だと思い、
  時間潰しで新宿をぶらぶらするのも何だなあ、と我がアトリエまで戻ってきてしまったのだった。

  アトリエに着いたら、先生のマネージャーさんからメールが入っていた。

  ・・・ああ。俺ってばさあ。ああ・・・もう、どうして・・・

  平謝りに謝り、また新宿まで戻る。
  先生はまたまた忙しい中時間を作って下さり、「誰にでもミスはあることですから」と笑顔で迎えて下さった。

  ・・・ああ。俺ってばさあ・・・・

  なんだろう。どうしてこんなミスが起きるんだろう。
  ひょっとして、ボケの始まり?

  人を待たせるのは大嫌い。
  ましてや、好意で時間を割いて下さった方に対して。

  今日は灰色気分。


 12月22日(月)

  クレージーみたいになってライブの練習。
  集中力が額を突き破るような時があり・・・しかしその割に原稿が進まず。

  鮭いくら親子丼を作った。
  これは次に作る本のためだ。
  いくらに小松菜の刻んだのを混ぜた。
  ヒットだった。

  なぜ忙しい時にこんなことをしているか。
  読者の皆さんの愉しみが減るのであんまり教えたくないのだが、
  ミシュランだ、反ミシュランだ、そういうグルメ指向ってもう時代じゃないという感じで
  いい加減やめてもらいたい。

  俺、男の丼料理で充分っす。
  菓子も焼けるし、酒のつまみも釣ってこれる。
  そういうのでいいんです。

  知らんもんね。座ってうん万の寿司屋とか。
  俺の知っている寿司屋。
  四人で一万円でした。

  そういう人生で、一歩一歩アートしていきまっせ。


 12月21日(日)

  ライブに向けての練習を終えた後、
  お客さんにお配りするクッキーの新種を開発しようということになった。

  前回の下北沢の教会ライブでは、トマトクッキーの評判が思いのほか良かった。
  いただいたメールなどから判断するに、ライブの中身よりもクッキーの方がずっと人気者だったのでは。

  で、あの時はちょうど良い質感のドライトマトが手に入ったのですべてうまく事が運んだのだが、
  皆さん知っていますか? イタリア産、アメリカ産、メキシコ産と、それぞれ全然違う品物なのね。

  ドライトマトなんて水でふやかせば一緒だろうと思われるかもしれないが、
  洋菓子は計量をミスるとあっという間に違うものになってしまうので、
  酒のつまみを作るような大胆さがかえってあだになってしまうことが多い。

  案の定、今日のトマトクッキーは大失敗。
  非常に硬いアメリカ産だったので水を含ませ過ぎ、それが生地をだらだらにしてしまった。
  絞り袋でシェルを作ってから焼いたが、マドレーヌのようなものになってしまった。

  ついで、ミツ君担当の新作「昆布クッキー」。
  話になりまへんわ。
  ドライフルーツぐらいの硬さにしようと、二日水に戻した昆布を使ったのだが、
  焼いてみると水気が飛んでジャリジャリ。
  砂を噛んでいるようで、これは今年一番の失敗作。

  でもね、でもね・・・素晴らしいものもできたんですよ。
  ボクは洋菓子に「えっ、その組み合わせですか」と言われるものを入れたいと思っているので、
  パリジャンがそれなら、日本男児はこれだもんねというものを加えた。

  これが大成功。
  27日のライブではこの新作を配ります。
  お楽しみに。

  というわけで、お祝を兼ねてワサビ飯を作り、ミツ君と二人、涙腺をゆるませながらわっせわっせと喰う。


 12月20日(土)

  新宿区民オペラを見に行った。
  区民オペラというからには、新宿区民だけで構成されている舞台なんだと思う。
  台東区の人や亀有の人や松戸の人が歌っていたら、新宿区民オペラとは言わないもんね、きっと。

  でも、そのへんですれ違う新宿区民の人が歌っているかというと、
  何だかパンフレットに出ている経歴は皆さん凄いのだ。
  音大の声楽科を出ている人ばかりで、イタリア留学で誰々に師事したとか、
  ジャンニ・スキッキで娘役をやったとか。
 
  考えてみればそうだよな。
  物凄いオペラ歌手だって二町目でよく飲んでいるし、普通にすれ違っているのだ。

  しかし、ボクの知っている物凄い歌手(テノール)の人は夜はあまり会わない方がいい。
  完全に人格が逆転していて、というか、本当の地の部分が出てしまって、
  「オッホッホ。本当のアタシはオフェラ歌手よ」と言いながら太ももに手を這わせてきたりする。

  別にそれはそれでいいのだが、昼間とあまりに違うから目が点になるのだ。

  もとい、新宿区民オペラ。
  歌い手のレベルがそれぞれで、ちょっと凹凸がある感じなのだが、ストーリーに感情移入してしまう部分もあり、
  何だか泣けてしまった。

  お子さんを亡くされたお母さんが、あの世まで死神を追っていく話。
  子供が帰らないことを知り、絶望のあまり他の子の命まで断とうとするが、
  たった数年の子供との日々、その別離を通じて、自分もまた変わったのだと知り、
  最終的には人としての愛情を全方位的に惜しみなく与える存在になる・・・と、あまりに短くすると
  ちょっと乱暴になってしまうのですが、こういうストーリーでした。

  弦楽の皆さんが一生懸命に演奏されていて、ストーリーの盛り上がるところで泣きながらバイオリンを
  弾いているおばちゃんがいた。
  そのシーンが凄く良かった。
  さすが区民オペラ。

 


 12月19日(金)

  27日のDRESS AKIBA HALLのライブですが
  何と!

  前売りチケットが売り切れごめーんとなりました。完売です。

  少数精鋭のお客さまを対象にしているとはいえ、SOLD OUTなんてここ十年は経験のなかったこと。
  早いうちに動いて下さったお客さま、ありがとうございます。

  あとは当日券ということになりますが、椅子席はもうこれでなくなってしまいましたので
  立ち見ということになります。
  でも、歌と語りとギター、それから毎度手裏剣のようにお配りする特殊クッキーは公平に行き当たりますので
  「しまった、遅れをとった」という方、当日お並び下さい。

  そして今日、すべての歌と語り、曲などが決定いたしました。
  ミツ君ともども雄叫びを交えながらすでに燃えております。
  ここからライブ終了までは酒一滴入りません。

  さあ、今年最後のライブ。我々の集中力もぐーっと増していくところです。



  


 12月18日(木)

  朝っぱらから製菓学校で実習です。
  9時から夕方4時まで、昼飯時以外は立ちっぱなしの作業。
  今日はモンブランと、リンツアートルテ、それからオーストリアのクッキーを焼く日だ。
  トルコ料理屋のラクがよほど強力だったのか、どこかおかしな配分で飲んでしまったのか、
  モンブラン用のクレーム・ディプリマートを絞り袋に入れている最中に、う、う、うー、と
  目の前がちかちかするほどの込み上げに襲われたが、

  どういうわけかマラソンの君原(ふ、古い!)の、
  「辛い時は次の電柱まで、次の電柱までと念じながら走る」を思い出し、

  あと5分頑張ろう。あと5分頑張ろうで、あなた・・・やってみりゃできるもんじゃありませんか。
  気が付けば作業台の上には立派なモンブランが並んでおりました。

  しかも、夕暮れの上野毛を歩いていれば、「あれ、おっかしいなあ。さっきまでむかむかしていたのに、
  気分は黒ホッピーじゃねえですか」と奇跡のような立ち直りを見せ、今夜は製菓学校通信教育生の忘年会。

  甘いものの話をしながら酒を飲むというのはしかし、奇妙な体験ではあります。

  

 12月17日(水)

  夕方までゼットンの繭のようになって、発光したり、薄幸したり、醗酵したりしながら転がっている。
  頭痛、胸焼け、やっちゃった感。
  色々と混ざりつつ、ああ、いつまでたってもこういうことの連続か。

  情熱を手もとから逃さないようにと原稿に向かうものの・・・字を見ているだけで込み上げてくるものが。
  しかも、明日も忘年会。
  しかも、明日は・・・。


 12月16日(火)

  野性時代の「物語のうぶごえ」担当の皆さんと忘年会。
  ビールをくいっとやって、ワインも切れ味いいところで勝負して、ついでに水で割ると白濁するラクもやって
  (そう、トルコ料理です)
  そのままお湯割りで焼酎をやる店に入り、皆さんをお送りしたらもう午前3時でした。

  こういう場合、二つの選択肢があります。
  1)タクシーで帰る。 2)始発まで飲む。

  で、どちらにしようかなと財布の中身と相談した結果、やっぱり2)だよな、ということになり
  いつもの焼き鳥屋さんに入ったのですが・・・

  1)同い年のミュージシャンにボブ・ディランの歌を知らないと責められていたこと。
  2)今度中野新橋にラーメン店を開業する兄さん二人組に「来て下さいよ」とくり返し言われたこと。
  3)中で焼き鳥を焼いているイケメン(彼も同い年)に「大丈夫?」と心配されていたこと。

  の、3つぐらいしか記憶がないんですわ。

  で、次にうっすらとした記憶が実在時間につながったのが昼前の我がアトリエで、
  倉庫にしている奥のところで毛布にくるまって寝ておりました。


  

 12月15日(月)

  毎月ライブをやっているし、来年1月からはレコーディングにも入ります。
  なので、インフルエンザは大敵。
  大人になってからは一度も記憶がない予防接種をしたよ。

  調布の大病院だとかなり待たされる上、もうすでに罹患している人もいらっしゃっているだろうから
  待つことがない近所のヤブ医院に出向く。
  昨年このヤブ医院の誤診のお陰で長い間の甲状腺トラブルを招き込むことになった
  いわくつきのセンセ。

  やはり待ち合い室には誰もおらず、行ったらすぐに打ってもらえた。

  インフルエンザの予防接種は保険がきかないから、センセの言い値なのね。
  でも、だいたい常識路線で決まっているらしくて、2000円から4000円ぐらいだそうです。

  ヤブ医院は3000円でした。


 12月14日(日)

  12日の夜、天啓のように降ってきた、あるいは影をつなぐように闇から爆発的に生まれたアイデアによって
  これまでの迷いがなんだったのかと思うほど筆が進む。
  世界が、耕すべき畑が見えているということだ。
  もう自分の意志ではない感じ。心霊現象では? と思うほどに文字が次々と生まれていく。

  まあ、ボク自身の意志が存在することが、一種の心霊現象には違いないのだが。

  それで・・・この作業は文字を書くだけではだめなのです。
  写真も必要。
  久々に愛機の登場でもあります。

  この一連のエネルギーの放射が、春先に若芽の上できらめく水滴のように世界を溶かし込み、
  なおかつころころと転がり出すことを祈る。


  
 
 12月13日(土)

  今日は神奈川大学で桜井邦朋先生の講演会があった。
  桜井先生は元神奈川大学の総長で、京大で宇宙物理学を修められた後、NASAの主任研究員として
  宇宙の生命体を探し続けた人だ。

  ボクは『宇宙には意志がある』(徳間文庫?かな)という本で、先生の主張に出会い、
  激しく動揺し、また激しく感動して、
 「なぜ西洋的な科学は突き詰めていくと、東洋的な哲学に近付いていくのだろう」という視点を得、
  それをきっかけに、仏教や禅に新たなアプローチを試みることができた。

 『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』(文春文庫)や『孤高を噛む、ピーマンも噛む』(スリーエーネットワーク)などは、すべて桜井先生の主張である人間原理(宇宙はその存在を認識してもらうために、知的生命体を作った)を受け入れた上での表現なのだ。

  だから、桜井先生はボクにとっては恩人。

  神奈川大学そのものも何だか懐かしかった。
  10年ほど前にこの大学に呼ばれて講演をしたことがある。
  六角橋のラーメン屋さんがたくさんあるところから、ぐぐっといい感じの町並みを抜けたところにある大学。

  先生の講演は、理論的な部分はかつて読んだ通りのことでことさらの新鮮さはなかったが、
  先生がなぜ学問に道に進まれたのか、という部分はじんじん来るものがあった。

  先生は、埼玉の農家の長男である。
  家は裕福ではなく、高校を出たら農家を継ぐつもりだったらしい。
  ところが、高校の先生が先生のお父さんに「この子は大学に行かせろ」と説得。

  お父さんは逡巡した挙げ句、たった一度のチャンスを息子に与える。
  牛やブタの世話だけでいい。受験まで農作業はもう手伝わなくていいと。

  それから先生は京都大学に的をしぼり、勉強をされたわけだが・・・

  農業のために植物学をやろうとしていた先生が、
  大学の中でもまれている内に世界的な宇宙物理学者になっていくのだから、
  人の運命というものは面白い。

  そしてそれは、出会った人間によるところも大きい。



 12月12日(金)

  ミツ君と年末のライブに向けて練習をした後で・・・ここ2ヶ月ほど格闘している原稿をあっさり捨てる。
  そこそこの本にはなるかもしれないが、そこそこでしかない。
  何か爆発的な力。誰も考えたことのなかったアイデア。
  そういうものが欠如していると自分で感じていたからだ。

  高校生に爆発的な力を要求するなら、まず自分がそれをしてみせるべきである。
  
  しかしどうするんだ。
  これまでやった原稿を捨てて。

  悶々としつつ、梅酒をかっくらって夜の道を歩く。

  ボクの場合、こういう「捨てちゃったよ」状態の時に、とんでもないアイデアが閃くことが多い。
  方法論ではアイデアにたどり着けないし、閃きがなければ仕事に命が宿らない。

  さあ、どうする。
  さあ、どうするんだ。
  この2ヶ月間に生み出された文字を放棄して、そこから得るものなどあるのか。
  もう一度考え直して前の原稿に戻った方が・・・。

  と、大勝軒というつけ麺屋さんの裏を通り過ぎた時だった。

  ふいにそれがやってきた。
  ズドーンと降り掛かってきた。
  ボクの中で稲妻のように走り抜け、ぐるぐる回って、すっと抜けていった。

  ああ、そうだったのか。
  そういうことだったのか。

  閃きは作品の核になるだけではない。
  忘れていた自分を映し出してくれる瞬間でもある。

  よし! 行ける! 突破した! 書ける!


 12月11日(木)

  冷え込んでくると、このアトリエは床がコンクリートなために、もの凄く冷え冷えとなる。
  すると、30代ぐらいまでなら気にならなかったところが寒くてどうしようもない、という現象が起きる。
  足腰ならジーンズの下にタイツを穿くとか、ひざ掛けをのせるとか、ヒーターを近付けるとか
  具体的な方法は幾つもあるのだけれど、
  何とも心もとないのが、首周り。

  ごく普通に服を着ているのに、首の周りから冷たい空気が流れ込んでくる。
  マフラーとかしちゃうと仕事がしにくくなるし・・・と、立ったり座ったりして落ち着かなくなっているところに
  見つけましたよ。

  我々アルルカンの衣装を買いに横浜ビブレの屋上の古着屋に出かけた時、
  一枚百円で売っていたスカーフ。

  MADE IN ITALYとだけ書かれたポリエステルのスカーフ。百円。

  これが気持ちいいんだわ。
  暖かいし、肌触りがいいし、邪魔にならないし。

  世の中にスカーフがあることの意味がようやくわかりました。
  



  
  


 12月10日(水)

  今日も休肝日。
  PHP「デリダのこと」の校正が終わり、あとは掲載を待つばかり。
  酒は好きだけれど、飲まない日も好きだ。
  日がな一日ミルヴァを聴く。
  

 12月9日(火)
 
  今日は休肝日にしよう。
  ボイトレをして、ゆっくり原稿を書く。
  ただそれだけの日。

 


 12月8日(月)

  67年前の今日、日本の戦闘機と潜水艦が真珠湾の米艦船を攻撃した。
  そうしなければいけない状況に日本は追い込まれていたとか、
  真珠湾に攻撃を許したことそのものがアメリカの罠だったとか、
  色々と言う人達もいるけれど、
  とにかくこの日から太平洋戦争が始まった。
  (すでに中国は戦場と化していたが)

  そして4年後、広島と長崎に原爆が落ちる。
  人類史の地獄絵に通じる道が、この日の戦勝をきっかけに始まった。

  今日ボクは、アメリカのラジオ番組の取材を受けた。
  アルルカンとしての活動や、長年やってきた人生相談から見えてくる日本人の現実、みたいのが
  取材のテーマだった。

  その後、アメリカ人のパーソナリティや通訳の人といっしょに中華屋で酒盛りになった。
  乾杯をする時、アメリカの人が「ブッシュがついに消え去ることに」と盃をくり出した。
  ボクは「今こうして我々が乾杯できること」に乾杯をした。

  明日(アメリカ時間の12月8日)は、ジョンが撃ち殺された日。


 12月7日(日)

  今日は埼玉県の尚美学園大学が主催する「高校生映像フェスティバル」の日。
  審査員兼コメンテーターで、いそいそと出かけました。埼玉のk市まで。

  ボクの隣は大林宣彦監督でして・・・何だかものすごいエネルギー放射を感じる人です。
  で、それは間違いではなかったようで、大学側から審査のコメントは短く行きましょうと言われたにも拘わらず、
  大林監督、しゃべるしゃべる。

  だいたい大林監督が15分はしゃべり続けて、ボクら他の審査員が30秒ぐらい付け足すという感じ。
  監督のところには最後の方、大学のスタッフがにじり寄って「もう時間をオーバーしていますから・・・」と
  さりげなく(あからさまか?)指示を出すのだが、それからまた監督はしゃべるしゃべる。

  あの、俺がルールだ、俺がしゃべりたいんだからしゃべるんだ、という姿勢はしかし気持ちがいい。
  表現者というのはこうでなければいけない、と改めて感じたような。

  でも、それは監督の話が年長者の愛情と、表現で食べてきた人の智恵と情熱に満ちていたから。
  あれで話がつまらなかったら空気が鉛のように床に張り付いていたと思うのだが、
  うむうむ納得、なるほどそうであったか、おおおおっ、そういう視線があったかと
  横にいてこちらも気付かされることばかりだったので、
  できれば監督のトークだけでもCD化して売りたい気分でした。

  力の突出している人というのは、枠組からとにかくはずれますね。
  これはもう自然なことで、気配りや満遍なくといった感覚も大事かもしれないが、
  こと表現者として生きていこうとするのであれば、もっと必要なものがあるのだなと思ったよ。

  高校生たちの作品は、自分が高校生だった頃のことを考えると・・・
  実によくできています。

  ただ、爆発的なパワーみたいなものをもう少し感じたかったかな。


  
 
 12月6日(土)

  製菓学校の実習も残すところあと4回。
  今日はフィナンシェという焼き菓子とガトーショコラ、それからフルーツをいっぱい載せてグラサージュした
  ムースを作ったよ。

  フィナンシェはずいぶんとシンプルなレシピだ。
  粉合わせは焦がしバターが基本で、
  とりあえず焼く前にあの色を付けておかないと黄金色には仕上がらないのだけれど。

  昼御飯の時、学食で幕の内弁当を食べていると、
  和菓子科の先生が、「星の降る町 〜六甲山の奇跡〜」の感想をわざわざ言いに来て下さる。

  「で、どうやって二人はあそこから脱出したの?」
  先生の奥さんもそれが大変気になっているらしい。

  そうか。
  自分の中では完結したつもりだったのだが、読者にはそのあたりが謎のまま物語が終わることになっているようだ。

  ヘリコプターが飛んできたんだから。
  きっと、ねえ。
  だと、思うのですよ。

  「生徒全員に読ませてあげたいなあ」
  ありがたいです。
  言って下さるだけでありがたいです。
  でも本当なら、もっともっとずっとずっとありがたいです。

  担当のN井さん、大口の注文あるかも!

  

 12月5日(金)

  打ち合わせの後、翻訳者のしもんさんが催す宴会へ突入。
  名の通っている人もばらばらいらっしゃいましたが、あまりこういうところで誰がいた彼がいたと言うと
  問題がありそうな気もするので、「魅力的な人たちの集い」だったということにしておきます。

  しかし・・・昨日の港での酒がまだ腰から下に残っていて、何だか今日はエネルギーダウン。
  珍しく聞き役に徹し、足腰が半分海鼠に化けたような気分で宴会というものを受け止める。

  外は雨が降っているね。
  神田川の暗渠も、冬の底でズボズボ音を立てている。
  高田馬場だけに棲息するクラゲがいて、どこかのマンホールのふたをこじ開けて這い出てきそうな夜だ。

  しかし妄想はそこまで。宴会に並ぶ品々を見ていると、視線を光の中へと戻される。
  半分影になりながら、やはりその刺身はいただきます。

  今日は肝臓をあたためておきたいので、焼酎をお湯割りで下さい。



 12月4日(木)

  毎回お世話になっている小坪の「鮎丸」で出漁の日。
  狙い目は甘鯛。
  
  ミツ君とか、半片ブラザースの半ちゃんとか、曼陀羅アーティストのマリオ君とかのいつものメンバーに加え、
  今日はUSAからジェフ選手初めての乗船。

  ジェフ選手、そう言えば来日したばかりの頃、四ッ谷の寿司屋でさんざん摘みまくった後
  「なんで日本人は魚にいちいち名前を付けるんだ?」と聞いてきたのでした。

  ソシュールの言語論を持ち出すまでもなく、言語とは区別と認識の証。
  ジェフ選手は「魚にはそれぞれ名前が付いていて、たとえばヒラメとカレイは違う」ということが
  今ひとつわからなかったのです。

  それが証拠に、その後「Fish is fish」と言っていたからね。
  もう二度と寿司をおごるのはやめようと思った。
  今度から君は焼肉。(でも、ロースとかカルビとか、これも区別が付いているかどうか不安だ)

  そのジェフ君、リールの使い方もわからずに竿を持っているので、こうするんだよ、ああするんだよと
  教育的指導をしていたところ、ズズーンとさっそく魚信。

  一応深場なので電動リールだけれど、最初だから手巻きで味わってもらおうと・・・。
  ああ、けっこう時間かかります。100メートルから上げてくるのは。

  で、登場したのがジャンボトラギス。
  天婦羅種にしたら極の字が三つ付くほどの極上品。
  
  「天婦羅にしたら最高だよ!」と言うと、「オー! テンプーラねえ!」とやっぱりアメリカ人の喜び方なのでした。

  なんていちいち書いていると大変なことになりますので、釣果のみ申し上げると

  全員で甘鯛2匹(ちょっとうなだれ模様)。あとは金魚の化け物みたいなアカボラが大量、っていうか大漁!

  しかし、魚とは食べてみなければわからないもの。
  この後、港で恒例の宴会が始まり、我らが布施船長や、いつもいっしょに乗船してくれる横須賀のマスター、
  それから陶芸アーティストの海さんらがこのアカボラを捌いてくれて、天婦羅になった日にはあなた!

  どれだけ旨いか、旨いか、旨いか、旨いか、旨いか・・・旨いか!

  比較できるものがないので比喩に困っているのだが、夏の積乱雲の卵を天婦羅で食べているような密度の濃さ、
  その迫力なのである。

  アカボラは流通していないからね、これは釣り人だけが食べられる味わい。

  それに加え、船長がカジメだけを喰わせたサザエやホラガイが炭火の上に載り、カワハギは肝付きの刺身にされ、
  どぶろくの瓶が出てくるわ、焼酎が出てくるわ、トラギスの天婦羅に炊きたてのタコメシ。

  ああ、そしてまた今日も小坪の港は、御機嫌な笑い声が延々と続くのでありました。

  船長、海さん、マスター。ありがとうございます。
  甘鯛釣れなかった人はリベンジね。




 12月3日(水)

  山本光洋さんのパフォーマンス・ライブを観た。
  
  光洋さんはパントマイムの第一人者だが、トークもするし、とにかく観客を笑いの渦に巻き込むよう、
  足の指の先っちょから髪の毛の先端(かつらだったりしますが)まで全身全霊取り組まれている方なので、
  単にパントマイムの、という表現ではもう全然紹介し切れていないアーティストなのである。

  道化師研究家の大島幹雄さん曰く、「日本一の道化師。メイクはしていないけれど」とのこと。
  おそらくこの表現が一番ぴったりくると思う。
  そしてボクが興味を持ってしまったのも、大島さんのこの言葉を聞いたからだ。

  しかしそれにしても・・・お腹が痛くなるほど笑いながら、今自分が観ているこの人はいったい何なんだろう、と
  不可思議な気持ちになる。

  人間とかたつむりのあいのこを見せてくれたかと思えば、片手一本でとんでもない存在芸を客席に向けて放ち、
  最後は自らあやつり人形と化けて、生き物の枠からはずれた生き物を演じてみたりする。

  物語を書く時も、歌を作る時も、それはもちろん孤独な作業で、いちいち孤独だなんて感じている暇もないほど
  一人っきりの作業なのだけれど、
  光洋さんだって、あれらの芸を創造し、自分のものにするまでは大変な「ひとりぼっち」の時間があったのだろうと
  思われる。
  
  あやつり人形を演じるために、たった一人のうん十年!
  
  それが感じられるから、あれだけ笑わせてもらいながらも、つい飲まずにはいられくなったのだ。
  明日は釣りなのに。

  (光洋さんのパフォーマンスはYou tubeでもかなり観られます)


  

 12月2日(火)

  そういえば、昨日は徹夜をしたのだった。
  PHPで前編、後編に別れて掲載される小説を書いたよ。
  短編だけれどね。
  まだ掲載号とかよくわからんのですが、タイトルだけ言って今から煽っておきます。

  「デリダのこと」

  
何だか難しそうなタイトルだ。
  でも、全然難しくないよ。無理しないって決めたから。

  今日はボイトレに行った。
  人前で歌うのはいまだに緊張する。
  ましてやお客がいるところではもっともっと緊張する。
  でも、そこが家だという気もする。
  やりたいことがある場所が、きっと家だ。

  1000人単位のお客さんがいたのはもう遠い昔。
  たった一人のボイトレの先生に緊張してどうする。
  でも、そこが家だ。


 12月1日(月)

  さあ、一年の締めくくりの月が始まった!
  思いきり働け! 思いきり創作せよ!
  と、紋切り型の言葉しか浮かばないところがいかにも市民Aという感じ。

  なんかこう、12月だからピーマン喰いまくってみるか、とか
  年の瀬なんだから泥棒でも見つけてみる?

  みたいなはずれ方をしなくなっているところが妙に自分で座り心地が悪く、
  まっとうなことしか書けないのならこういうサイトをやっている意味がないのではないかとも
  思うのよねえ。

  でも、そんなにまっとうでもないとも思うのよねえ。
  ライブの写真とか見ていると。

  しかも、頑張らきゃっ、と紋切り型になりながら、どうせ2、3日中に一度は酒で壊れるだろうという
  予感がひしひしして、カスでも芝刈り機みたいに朴訥に生きていこう、それしかないのだと、
  何だか自虐的になるよ、年末ってやつは。