ドーランが目にしみる
 2009年1月

 撮影:半片ブラザース

 1月31日(土)

 大学生三人がアトリエを訪れる。
 「一志創伝」というグループを作ってらっしゃる皆さんで、講演の依頼だった。
 ボクは基本的に講演はやらないのだが、じかじかにいらっしゃるとやはりその熱意にほだされる。

 大学生、を意識しなくなって久しい。
 大学生が時代を変えようとしていた・・・というのはその真偽はともかく、もうずいぶんと昔のイメージだ。
 ボクらが学生の頃には、すでに大学生は消費者でしかなかった。
 世代論をかます気はないが、団塊の世代の思うつぼになっていた。

 それで今は、どうなんだろう。大学生。
 間違いなく就職活動は厳しいし、そういう意味では迫りくるものがちゃんと見えていて、
 それで『蟹工船』のヒットや、共産党を見直そうという動きにつながっているのかもしれないが、
 高校生や大学生との接触がここ十年ほどなかったので、
 肌で理解しているとは言いがたい。

 だから楽しみ。
 訪ねてくれた三人のためにも、有意義な時間を創り出せたらと思っている。




 
 
 1月30日(金)

 一生懸命レコーディング中!
 本日は3曲収録。
 この勢いでやっていると、ゆうにアルバム1枚分を越えてしまう。
 ということは、2枚目も睨んでの作業ということでしょうか。

 未来を感じつつやるのはいいことだ。



 1月29日(木)

 レコーディングで使う機材のすべてを無償提供してくれている上、
 スタジオでは毎日ディレクターも務めてくれている半片ブラザースのはんちゃん。

 今や、半片ブラザースがいないとアルルカン洋菓子店は稼動しない状況になっています。

 その半片ブラザースが、来る2月6日、DRESS AKIBA HALLに再登場します。

 なんと! 昨年末のボクらとのライブを観たオーナーが一瞬で半片ブラザースに惚れ込み、
 ライブハウス側からの依頼という形で出演することになったのです。

 それもそのはず、ボクらを観に来てくれたお客さん方からもたくさんの『半片に寝返った』メールをいただきました。
 『実は半片ブラザースで泣いてしまいました』
 『実は半片ブラザースで濡れてしまいました』
 『実は半片ブラザースで越えてしまいました』と、感想も様々。

 実際、あれはライブを目撃した人にしかわからない「ふりきり感」だったと思いますが、
 半片ブラザース自身がロマンチックな魂と化したライブだったのだと思います。

 珍魚シリーズはさらに発展するとのことで、爆発的な魚の群れに遭遇できるかも。

 半片ブラザースのファンになったという人も、まだ未見だという人も、
 2月6日(金曜日)、DRESS AKIBA HALLです。



 


 1月28日(水)

 レコーディング、諸処の事情により、当初発表していた計画より遅れることになりました。
 1ヶ月遅れぐらいでしょうか。

 よって、2月に行うとしていた西調布パブライブは3月後半へ(お店の人と話さないと)
 3月に行うとしていたCD発売ライブは4月にずれ込みそうです。

 ただ、焦って作るよりはいい音源を出したいのでご了承ください。
 具体的な日にちが見えてきたところでまた報告させていただきます。

 楽しみにしていた皆さん。待たせてしまってすいません。



 1月27日(火)

 ごめんなさい。
 何だかここのところ、かりかりしていますね。
 村上春樹さんに対して何か妙な気持ちを持っているということではないのです。
 ただ、ボクにはシャーマン的な気質があり・・・
 叫ぶ詩人の会の頃から、宮沢賢治の詩を朗読すれば自身が賢治になったような気分になり、
 地雷原の悲痛を叫べば、自身が地雷で足を失ったカンボジアのお父さんの気分になり、
 カラスの小説を書けば、自身が黒い翼をもって大空を滑空する気分になってしまうのです。

 ガザの空爆がひどくなってきてから、ボクは時折パレスチナの心になりました。
 この時期、トルストイの『復活』に入り込んでいたことも大きな理由かもしれません。
 だから、イスラエル軍、政治家のやっていること、空爆を支持する95%の国民性というものが
 とても認めがたかったのです。

 村上さんがエルサレム賞を受けるのは、彼個人のこと。
 外野でうやうや言うことではなかったのかもしれません。
 しかし、ボクの意志はこういうところにあります。
 今後もたぶんそうです。

 良心的兵役拒否をしたイスラエル兵、今回は三名で監獄に入れられた模様です。
 中にはやりたくないなと思いながら、パレスチナの人々に銃を向けている兵士たちもいるでしょう。
 それを書くのも文学かもしれないし、
 あるいはここで百人以上殺して、勲章をもらって、
 でも老いてからとんでもない悪夢に苛まれる人もいるかもしれない。
 それを書くのも文学かもしれない。

 ただいずれにしろ、文学と時代、文学と背景というものは切り離せない。
 イラクで戦争が始まった時、無抵抗な人々が一万人も殺された時、
 声をあげた作家といえば、池澤夏樹さんぐらいでした。(他にもいるでしょうが)

 何だかその状況が残念なのです。


 


 1月26日(月)

 ボクはやはり、根底で許せないことがある。
 ガザの虐殺は、今、同時代に、この瞬間に起きていることとして許せない。
 よって、砲撃をくり返したイスラエルが与える文学賞を、村上春樹さんが受けることを「まあ、まあ、いいじゃないの」で済ませることができない。
 なぜなら、ボクは作風は違うけれども、彼の作品の中に出てくる風景、及び心象風景を愛した者として、彼が血塗られた勲章を受けることを絶対に拒否したい人間の一人である。

 エルサレム賞受賞おめでとうと騒いでいるファンの皆さん、もう一度本当に人間の魂として捉え直して下さい。
 今、彼は時代のひずみの中で汚されようとしている。
 受賞を拒否しての村上春樹じゃないのか。
 虐殺国家の紋章を受けるのか?

 
 哀しいかな、ボクは村上さんとは何のパイプもない。
 出版社とか通せば何か言えるのかもしれないが、これはボクの個人的な噴出であり、戦いである。
 あれだけの構造文学を世に問うた人が、賞のまやかしに呑まれないで欲しい。

 ガザの空爆がまた始まった。
 エジプト国境との密輸トンネルを破壊するためだとしているが、
 軍事で囲んで物と人の往来を許していないのだから、中の150万人は餓えた上の孤立状態だ。
 壊滅させる気なのだろうか。
 力の理論で、物凄いことが今行われている。


 1月25日(日)

 村上春樹さんが、イスラエルの文学賞であるエルサレム賞を受けることになった。
 やっかみでもなんでもなく、日本を代表する作家だと紹介されるならなおさら
 受賞しないで欲しいなと思う。

 ガザでの人々の殺され方。
 たくさんの人を民家に閉じ込めて砲撃するやり方は
 どこからどう見ても虐殺でしかない。
 150名を越える子供たちも殺されたわけだし。

 今のイスラエルは、かつて自分達を存亡の恐怖に陥れたナチス・ドイツと同じことをやっている。
 ナチから文学賞を与えられるようなものだ。

 文学と政治は違う、という言葉はたしかに有効かもしれない。

 でも、一歩進んで・・・文学はそれがどの方向を向くにしろ、人の心を書くものだ。
 その視点から見るなら、文学と政治は切り離せない。
 文学者が虐殺に目をつぶるなら、いったい誰が閉じ込められ、火を放たれた人々の心を書くのか。
 それはメッセージであって、文学ではない、という意見もあるだろうが。

 それとも村上さんは、敢えて受賞して、その場で何か言う気なのだろうか。
 それなら納得だけど。

 時代は変わっていく。
 イスラエルのやっていることに、いつまでもアメリカの大イスラエル主義が後押しを続けるとは限らない。
 SSであったことが露呈したギュンター・グラスのようなことにはならないにしても、
 エルサレム賞を拒絶しなかったことが村上さんの汚点にならなければいいのだが。

 大きなお世話かな。


 1月24日(土)

 日本菓子専門学校の実習最終日。
 あとはレポートをきちんと出せば卒業ということになり、菓子衛生士の受験資格を得られる。

 もともとなぜボクが専門学校に通うことになったかというと、
 世界を斬るひとつの手段として菓子に目を付けたのが始まり。
 その第一弾が『星の降る町〜六甲山の奇跡』(メディア・ファクトリー、一生懸命販売中!)であり、
 我ら『アルルカン洋菓子店』の命名となったわけだが、

 つまり、取材をするぐらいなら、自らパティシェの勉強をしてみよ、
 ということで通信教育講座に申し込んだのであった。
 ところが、入学後にカリキュラムの変更があり、講習と実習合わせて年間200時間のハードスケジュールとなった。

 和菓子、洋菓子、製パンが一年目のカリキュラム。
 二年目が専門で、ボクは洋菓子コースだったので、先生に教えていただきながら、まあ、本当に色々と作りました。
 まさか自分でモンブランのクリームの山を絞ることになるとは思わなかったです。

 で、今日が学校に通う最終日。
 バナナムースとチョコムースの二段重ねと、オーストリアの伝統菓子レーリュッケン、
 あとは雪玉クッキーのシュネーバーレンを教えていただいて実習は終了。

 学校を去る時、ああ、もうここにはこないのだなあと思うと、何だかちょっと寂しい気もして、
 すなわち学校というものは、大人になってからはやはりいいものですね。
 大人になる前はたまらなく嫌な日もあったりするのだけれど。

 菓子で世界を斬る小説はまだまだ始まったばかり。
 頭の中だけですが、これからいよいよ欧州に出かけていきたいと思います。


 

 1月23日(金)

 一生懸命レコーディング中! 本日も2曲収録!
 半片ブラザースと宴会。雄でもない雌でもないという鮭をいただいた。
 ルイベをもっと甘くしたようで、それでいて寒ブリのような歯ごたえ。


 1月22日(木)

 一生懸命レコーディング中! 本日は2曲収録!


 1月21日(水)

 娯楽サークル『ノーベル文学賞受賞作家を一人残らず読む会』の第一号ターゲットは、1900年第一回の受賞予定者
 だった(しかし幻の受賞となった)トルストイ。つまり、ノーベル文学賞第0号作家である。

 最終的にトルストイが選定されなかった理由は、彼が軍や武器を否定していたからだと言われている。
 だって、ノーベル財団って、もともとはダイナマイト成金だもんね。
 富国強兵こそ近代国家の礎と謳っていたわけだから、そこを叩く作家はまずいわけです。

 でも、やはり前哨戦としてトルストイから始めないという手はないので、
 当娯楽サークルでは、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』と攻めていっているわけですが・・・
 今日『復活』を読み切りました。

 後半、長い長い。
 いったい何人出てくるんだよ〜と、登場人物表を作りながらの読書だったのにそれも途中で止まり・・・。

 あれ、このイワーノヴィッチは、あのイワーノヴィッチと違うイワーノヴィッチだったけ? 

 と格闘しつつも、主人公のものわかりの良さに頭をひねったり、トルストイ的理想にちょっと戸惑いを覚えたりしつつ、
 しかしやはり圧倒的な筆力、ニコライ時代の農民の凄まじい窮状というものがありありと迫ってきて、
 『蟹工船』の次はもう一度ロシア文学が来るのではないかと(今、『カラマーゾフ』は来ていますが)、
 もう誰もが気付いていることを今さらここに記したりしているのです。



 1月20日(火)

 パブロ・カザルスのチェロの音。
 ヴォイス・トレーニングの先生に貸していただいたビデオを観て・・・その最後でまたもや空が動く。

 スペインの一部となってしまったカタロニア。
 彼はカタロニアの出身で、生涯そこを「国」と呼んだ人だった。
 
 国連に招聘されて(国連平和賞受賞)チェロの演奏をしたのが95才の時。
 もはや車椅子で、何を話しているのかもよくわからない状況だ。

 しかし、世界各国の大使や職員を前に、彼は一語一語区切りながら、慣れない英語でこう言うのだ。
 「カタロニアの鳥はこんなふうに鳴きます。peace、peace、peace!」
 95才が腹から振り絞るようにpeaceの連呼をしだした時、国連職員たちがみんな泣き始める。

 そしてその・・・エリック・サティも逃げ出すほどの超スローテンポなチェロ演奏。
 これがまたいいっ!

 壮絶テクの人の、最後の姿。
 神は細部に宿ると言うが・・・宿れば不必要なものはすべてなくなり、おっとりした、銀色の光となって
 ただただそこに佇むのではないだろうか。

 木の葉の上でとろとろと揺れている雨粒の輝きのように。

 


 1月19日(月)

 河瀬直美監督『萌の朱雀』を観る。
 どうも奈良のフォーラム以来、感受性のどこかのチャンネルが空とつながってしまったようで、
 ボクは世界を初めて見た幼児のように、何もかも新しく捉え直している。
 だからこの作品を観ている時も、画面の奈良吉野の風景の向こうに(それはそれできっちり観つつ)、
 幼児の頃、親元を離れて暮らしていた自分の心象風景というものがオーヴァーラップして、
 どうにも何とも・・・何とも、何とも、画面が滲むのである。

 しかし・・・新聞の映画解説や映画評というのは善し悪しがあるなあ。
 この作品で河瀬監督がカンヌの新人賞を受賞した時、それはもう大変に騒がれたし、
 監督の紹介もさることながら、映画の内容もまたほぼ浮き彫りという感じで解説され尽くしていたような記憶がある。
 するとボクなどは、幾つかの記事を読んだだけで、もう映画を観てしまったような気分になり、
 あらためて映画館に行こうという気持ちにならなかったのかもしれない。

 でも、実際に観てみると(当たり前の話なのだが)、つまりまったく、何もわかっていなかったのだ。
 劇中の風鈴の音、鳥の声、高校生の授業の漏れ声・・・そういったものまですべて神経が入り込んでいて
 こんな作業を延々とやったらボクなら頭がどうにかなってしまうかもしれない。
 そしてその神経の果ての果てに訪れる、人間の中の木漏れ日のような部分。
 風が吹いていて、でも温かくて、誰もがそれを知っているのに、誰もがもはや失ってしまったその部分。
 そこに映画は到達する。

 二十代でこれを作れる人がいるということに、ボクは率直に驚嘆する。

 へりくだる、というのはあまりいい意味では使われない言葉だが、
 ボクはどうも今月、河瀬監督を始め、秦万里子さんや、コラアゲンはいごうまんや、
 それからレコーディングの作業を通じて、相棒のMITSU君や半片ブラザースなどに打ちのめされ
 言葉の意味はともかく・・・完全にへりくだっている。

 表現で生きている人。そうせざるを得ない人。
 みんなルビコン川を渡った人ばかりだ。
 素直に頭が下がる。尊敬する。

 同時に、これらの皆さんから与えてくれた力によって、
 自分が見ようとしてこなかった大きな平原をすぐそばに感じている。

 


 1月18日(日)

 今日の感動をどう伝えよう。
 感動なんて言葉、仮にも物語や歌を作っている人間が簡単に表に出す文字ではない。
 でも、今日のことを皆さんに伝えたい。
 一番わかりやすい言葉として、それはやはり感動なのだ。

 ステージを見ての感動ということであれば、
 ブロードウエイの「オペラ座の怪人」パット・グリーンを軽く越えてしまった。
 上京して初めてみたミュージカル、東京キッドブラザースの「SHIRO」に匹敵するかもしれない。
 とすると、四半世紀に一度の感動を今日ボクはいただいたのか。

 もう、笑った笑った。泣いた泣いた。
 お客さん全員が笑い泣きしながらのスタンディングオベーションである。
 その拍手が鳴り止まないこと。とにかく延々と続いた。

 ボクは打ち上げを経た後、お腹が減っていたのでリンガーハットでチャンポンセットを食べた。
 食べながら思い出し、また泣いた泣いた。
 ツボに入ったままなのでとにかく仕方がない。
 チャンポン食べながら泣いている中年男というのは実に無気味だったであろうが、
 今日はボクは芸事の神髄を見たのである。だから許して欲しい。

 体験ノンフィクション芸人、コラアゲンはいごうまん。(ワハハ本舗所属)

 この字面だけでは、誰もお金を出して見にいくような芸人だとは思わないでしょう。
 たしかに。
 本人、見た目はぱっとしていないし、吉本でずーっと頑張ってきてクビになり、ワハハに拾われた人だし。
 年齢的にももう若くないし。年収は百万円ぐらいだって本人も言っていました。

 だけど・・・新宿ゴールデン街劇場で行われた今日のステージは・・・。

 昨年9ヶ月かかって日本中をライブしながら放浪。
 全国五十ケ所で体験してきたことを、一話30分ぐらいの語り芸で話してくれるコラアゲン。
 ステージにはホワイトボードがあり、1から50までの場所と、
 そこで体験し、答えを見つけたことの表題が書かれている。

 たとえば、「正岡子規の写真はなぜ横顔ばかりなのか」(松山)
 「貧乏神の彫像を見つけた」(岡崎)
 「宝くじがあたる専門の神社」(熊本)
 「究極のホームレス、レイコさん」(中山)
 「後期高齢者がソープ嬢」(帯広)
 「たった二人のラグビー部」(苫小牧)
 「新潟刑務所慰問ライブ」(新潟)といった感じである。

 くじで当たったお客が好きな番号を言え、コラアゲンはそれを語り出すというやり方だ。
 ぱっと見、興味を引く話もあれば、そうではないものもあると思うが、
 おそらくどれをとってもはずれがない。

 きっとこの後、コラアゲンのライブを観に行って下さる方もいらっしゃるだろうから内容はあまり紹介できないが、
 たとえば刑務所の慰問ライブなら、それがどれだけ難しいことなのかを、受刑者の顔、看守の硬い前説、
 びびりあがって受刑者に来週のライブ会場の告知をしてしまう芸能プロの社長の話など、
 とにかく本物のドキュメントと、
 涙が出るほど笑える本人の「気弱さ」みたいなものを語りながら、最後は本当に人間の悲しみや弱さ、
 それでもめげない心の在り方の方にすーっと引っ張っていき、笑いながら泣かせるのだ。

 脳性マヒの芸人が、受刑者たちを笑わせながら、よく回らない口で「人間には耐えられない試練は与えられない」
 と語るところを、コラアゲンは再現するのだが、何かが乗り移ったような芸で、もう・・・これが凄い。

 笑いながら泣かせる。
 これこそ、道化師の夢だったことで、もうめためたな顔になってボクは座っていたよ。

 北海道の留萌で、猛烈な雪の中、偶然にもであったヨネスケの隣の晩御飯。
 ヨネスケ師匠は、コラアゲンが放浪芸人だとわかると、
 急に「この人ちょっと映ってもいいかな」とスタッフに許可を得、
 さも突然に会ったかのように「おやあ、こんなところにノンフィクション芸人のコラアゲンさんが!」と
 わざとらしいことをやったそうな。
 もちろん後でカットされるのだが、ヨネスケさんは雪の中、車を立ち止まって見送るコラアゲンに、
 いきなり車から飛び出してきて一万円札を手渡したそうだ。
 だってヨネスケさん、物凄い生い立ちを経て生きてきた人だから。
 雪の中で人が立っているだけでダメなんです。

 ヨネスケの株、ボクの中で爆発的に急上昇。
 いや、本当、コラアゲンのその時の凍えるような留萌の気候と合わせて話すと、もうこれが笑いながら泣ける泣ける。

 台風の日、交番のおまわりさんと話し込んだこと。
 家があるレイコさんが、なぜホームレスになってしまったのか。

 障害や、精神異常や、下ねたや、人間の欲望の凄まじさを語りながら、
 コラアゲンはそれでもロシア文学でも読んでいるかのように、人間の希望も語っていく。

 そして中休みがあり・・・。

 コラアゲン、なぜか真顔になったなと思ったら、
 「ボクが今取材をしているのは、広島と長崎の原爆の語り部です」ときた。
 「原爆がどれだけむごたらしいかということを語る気はないのです。
 原爆の語り部がどれだけ物凄い人生を歩んできたかということを、ボクが継いで語っていくのです」

 あれ? コラアゲン、お笑い芸人なのに・・・え?

 でも、ここからが気合いが入った。
 語り部の人たちが一番きつかったことを、コラアゲンはまるでシャーマンのように語り出す。

 広島で焼かれた語り部のお姉さんの七人の家族。
 七人は結局死んでしまったが、二日間生き延びたたった3才の女の子が、
 大火傷の中でも自分が最後だということを知り、
 「私が死んだら、お墓参りをする人がいなくなる」と唸り続けた話。

 それをコラアゲンが顔に心の芯を通して言う。

 「ボクの取材はどこでも一度やれば終わりです。そして語ることもあれば語らないこともある。
 でも、原爆の語り部を語るという行為は、ボクは生涯続けたいのです」と言い切った時、
 こっちは大袈裟じゃなく、彼の背後で笑っている車寅次郎が見えたよ。
 ついに二代目の寅次郎が現れたと。

 渥美清亡き後、日本人の心にぽっかり穴があいたようになっている部分。
 寅さんいたら、ブッシュがイラクに爆弾を落とし始めた時、「それをやっちゃおしまいよ」と言ったかもしれない。
 産みの親が山田洋次でなくてもきっと言っただろう。

 でも、コラアゲンが出てきた。
 キャバレーで酒瓶を投げられながら、ひもじい思いをしながら、この日本列島をてくてくと歩き、
 民家の軒先きでライブをやって、旅から旅へとさまよって、
 やっとステージに立てた新宿ゴールデン街劇場5日間ライブ。 
 人の心を、寅さんみたいにつかんでいるよ。

 前説も本人がやるので、そこで「夢はスタンディングオベーションです」と言ったのをみんなが覚えていて、
 3時間に渡る命がけの語り芸が終了した時、もうとにかくみんな立ちました。笑い泣きしながら立ちました。

 そうしたら、本人がわーっと泣き始めて・・・もう、こっちもダム決壊しているし。
 なんだ。俺たちはいったい今、何を体験したんだ?
 今日はなんという日だ!
 
 とにかく、素晴らしい時間をありがとう。
 コラアゲンはいごうまん。

 あなたの実力とやってきたこと。
 おそらく何かのきっかけでばんばん花火が上がる日もくるでしょう。
 でもボクは忘れない。
 今日のこの、たった五十名のお客を相手に、誠心誠意やり切った奇跡のようなライブを。
 打ち上げの時、スタッフが横でこっそり教えてくれたこと。
 あなたが開演十分前まで、涙でぼろぼろになりながら、原爆の話をくり返ししていたと。

 若い人に学ぶというのは、もっと違うことだと思っていた。
 自分が本領だとしていることで、今日は根本から学ばせていただきました。

 大感謝です。
 コラアゲンはいごうまん。

 最後に、ボクが打ち上げであなたにこう言った時のことをここに書きます。
 「コラアゲン、寅さんの二代目がついに出てきたね。
 ただ寅さんの格好をしてその気になっている芸人より、コラアゲンが出ていくべきだよ」

 「でも、そんなことをすると、その芸人さんたちが食べられなくなりますから」

 
 
 


 1月17日(土)

 14日にデビューされたばかり、秦万里子さんのコンサートを観に行った。
 ボクの本をよく紹介してくださるマザール(http://www.motheru.jp/)のあべさんから
 「半径5メートルのことしか歌わない凄い歌手がいるのよ」と招待されていたのだ。

 凄い、という意味ではあべさんも光輝ある人で、
 皮膚の下はすべてエネルギー体ではないかと思わせるほど希有なポテンシャルを持った女性だ。
 どこからどう見ても美人なのに、風をまっ二つにぶった斬って歩く。
 社会も、常識も、困難も手刀で斬って斬って斬り捲りながら、しかし温かく生きてらっしゃる。
 本もたくさん出されているし、社会貢献でも手を抜かない。
 そういう凄い人の推薦なのだから、秦万里子さん、さぞかし女丈夫なのだろうと期待しつつホールに赴けば・・・

 音大からバークリー音楽院を経たというだけあり、ピアノの技術は確かな人だ。
 それでいて歌の内容が、「洗濯物から引きずり出しても臭いさえなければまた着られる黒のタートルネック」
 だったり、「レジ待ちの列でつい前の人の買ったものを見てしまう。大根、豚肉2パック500円、私と同じ広告の品」
 だったりして、場内を9割以上占める主婦の皆さんの爆笑が渦となってホールを揺らすのだった。

 聞けば納得、なるほどだが・・・ぴか一の技術でこれを歌われると、
 ああ、こんなところにも芸術の一ジャンルは隠れていたのだ、俺たち男には見えなかった宝の山ではないか、
 と新鮮なショックを受けること間違いなし。
 そしてそして・・・「昔ははきはきと、『ハイ、お母さま』と言ってくれた娘が
 最近は『あー?』としか返事をしてくれなくなった」歌や、何やらともかく御自身のお母さまへと捧げる歌で
 最後はホール中をすすり泣きに変えるのである。

 みんな一生懸命に生きているなあと思った。
 そう。背中にお肉がついていようが、みんな一生懸命に生きている。

 秦さんは四十代の後半かな。ボクよりは年上のよう。それでデビュー。
 最近毎日、色々な人から励まされているし、気付かされている。
 ありがたい日々だ。


 


 1月16日(金)

 本当ならデモテープ録りの日。
 咽がいかれちまったので中止。
 代わりに原稿を書く。

 直木賞。天童荒太さんは受賞できて良かったと思う。
 納得できたし、励みにもなる。

 以前、ある編集者から「何の受賞歴もないくせに掲載されていることをありがたく思え」と言われたことがある。
 たしかにボクは賞というものをもらったことがない。(ノミネートが一度あるだけだ)
 それでも掲載される時はそれなりの小説誌で、目次を見ると立派な人ばかり。違和感がある。
 だから他誌の編集者から見れば、「そこそこの人間関係があるんでしょう。だから載せてもらっているんでしょう」
 ということになるのだろうが、現実はそんなに甘いものではない。

 ボクは今のところ、掲載させてもらうのが精一杯、
 単行本も同じく、出るだけで力尽きてしまっているようなところがある。
 でも、そこにはその作品を純に評価してくれる編集者がいて、よりよくしてくれようとするデザイナーや画家がいて、
 そうやって一冊の本が世に出ていく。

 自分の本を少しでも多くの人に読んでもらいたいという気持ちは、
 作家個人だけではなく、苦い酒もともにしてきた編集者とのチームワーク、情熱、
 そのかけがえのない日々からの願いでもある。

 だから、今ぽんと人気があるとかないとかではなく、
 力強く一歩一歩を踏み締めてきた感がある天童さんみたいな人が受賞されるのは、
 嫉妬を越えて理にかなっている。

 ボクも創作の中でもう一度原点に戻りそうな気配があるので、
 まず何よりも自分の中で価値があるもの、そして編集者がそこに共感でき、惚れ込めるものを
 あらためて地道に耕していきたい。

 畑の中に、銀の器が眠っている。


 1月15日(木)

 やっぱり富山の薬では抑えきれなかった。
 いつものつつじが丘のお医者さんが休みなので、別のつつじが丘のお医者さんのところへ行く。
 すると、待ち合い室に、いかにもインフルエンザの塊です、という青年が入ってきて、
 「すいません。注射を打ってもらいたいのですが」と受付の看護師さんに単刀直入な申し出。
 「あの、それは先生が決めることですから」と看護師さんが当たり前に答えると
 「ええ!」とかなり青年は動揺し、「打ってもらいたいのに」と崩れ落ちるのでした。

 重症な彼、と軽少なボク。
 二人ともインフルエンザチェックで鼻の奥の粘膜を採られ鼻血吹き出し状態。

 彼はもともと重症なので、鼻血がよほどこたえたらしく、「むおーっ」と低い声で唸っている。
 それで時々うなされたように、「注射が・・・」と言う。
 すでにタミフルをかなり服用されているのでは、と心配な感じなのだが、携帯に電話がかかってくると
 急にかしこまって声でデスマス口調の会社員風言語を連発するのである。

 会社員は偉いなあ。
 自営の道化執筆家はだめだなあ。

 薬局で薬を待っている時に聞こえてきた女性の歌、悔しい、哀しい、嬉しい、とやたら韻を踏むその歌詞が気になった。
 作品の中に本当のその人がいる。顔を出す。
 あれは誰? 欲しいと思った。

 


 1月14日(水)

 やっぱり・・・やってしまいました。
 もともとの鼻風邪に氷点下での河原歌謡ショー。ほんで、ボイトレの頑張りもたたり、咽がぱーんと熱を帯びている。
 事務所で編集者の人と話している時も、ぐんぐん熱が上がっていくのがわかる。
 悪寒。節々の痛み。咳はまったくでないのだが、これは明らかに風邪をこじらせた感じ。

 今週はデモテープ録音とかあるのに、まずいなあ。
 ああ、編集の人が帰ったら、薬局にルルを買いに行かないと。
 と、思っているところに、あらあら、やっぱり奈良からの不思議な力が続いている。

 ルルを買いに行かないと、と思ったその時にですよ。(証人、幻冬舎のYさん)
 アトリエのガラスドアのところに知らないおじさんが立っているじゃないですか。
 
 Yさん   「誰か来ていますよ」
 ボク   「はい。(ルルを買いに行かないといけないこの忙しい時に)どちらさまでしょう」
 おじさん 「あの、富山からきた薬売りなんですが・・・」

 即決で置いてもらいました。富山の薬セット。さっそく葛根湯を飲んで、気分的に少し症状が和らぐ。

 さあ、今日はこれから別の編集者さんと打ち合わせを兼ねて熱燗を飲む約束。
 と・・・盛り上がり・・・あれ、なんか・・・帰りの地下鉄でやっぱり・・・だめか、これ。

 どうした富山の葛根湯。
 もう少し効いてくれないか、頼むぜ。
 これが効かないと、あの置き薬の箱自体の信頼性が著しく下がるぞ。
 さあ、どうだ!
 

 


 1月13日(火)

 昨日の、あの奈良県立図書情報館の重なる輪の中で蘇った力。
 それが衰えることなくボクを叩き起こした。
 朝の8時から多摩川の河原でギターを弾いて歌う。
 あたりはバリバリ凍っている。
 車の温度計は氷点下だ。

 でも、歌う、歌う、歌う。
 指がかじかんでコードを押さえられず、咽がしゃかりきになってきても、歌う、歌う、歌う。
 府中東高校の生徒たちが河原沿いを走りながら声を合わせてくれる者、一名、二名。

 午後はボイトレの先生の体育会的(筋トレ的という意味です)発声の洗礼を受け、
 すべてオーバーヒートぎみ、夜にはがらがらの声に。

 ちょっとやり過ぎたかしら。
 調子にのった時が一番危険なのだ、と草葉の陰でセネカが囁くが・・・何かが起きそうな。

 
 1月12日(月)

 どうも昨日、ホテルの空調に慣れなかったようで鼻風邪ぎみ。
 奈良県立図書情報館に着いてから鼻水が定期的に滴り落ちるようになった。
 おまけにひさしぶりの講演とあって、どうもステージとは違った緊張がやってくる。

 仕事を考える、といってもなあ・・・自分の場合、この十年は世間的に成功したと言えるものはなかったし。
 心理的には今ものすごく安定していて、
 道化師という「表現と仕事の座標軸」を得たことによって新たな時代を迎えようとしているのだけれど、
 そんなことを言葉にしたところで、お客さんは聞いてくれるのだろうか。

 そういう不安がここのところずっとあったのは確か。
 でも、昨日河瀬さんに呼び止められてから、意外なパワーに包まれていることを感じ始めたのも確か。

 ライブがお客さんの力によって、ぐいぐい昇っていくように感じられることもあれば、
 ステージの上でどれだけしゃかりきになっても、それがお客さんに受け入れられない時もある。
 あらゆる「起承転結」は、個々の物語だけで進行するのではなく、周囲の様々な力との関係によって
 右にも左にも上にも下にも泳いでいくものなのだ。

 だから、この日のフォーラムの花びらがぐいぐい内側から咲いていくような空気は、
 お客さんの力というものが非常に大きく、またそれ以上に何か独立した見守り神の視線さえ感じた。

 しゃべりは苦手じゃありません、と内心豪語できた三十代の頃のボクはもうおらず、
 ひとことずつ区切るようにしか話せない、もう本当に不器用な魂がひとつ、という状態だったのに、

 言葉に替えていく作業、それからお客さんの視線を浴びながらの自己分析とあって、自らを顧みる力は強く、
 あらたに歩き出した方向も、過去の様々な彷徨も、すべて肯定できたようで、
 それがとても本人としては嬉しかった。
 言葉を発しながら、雲間から差す光を感じられるような2時間半であった。

 そして圧巻だったのが、午後の講師の河瀬さんだった。
 

 河瀬さんの生い立ちは、新聞や読物などで目にして知っているつもりではあった。
 だが、それはただの、つもり、でしかなかった。

 河瀬さんは必要以上のことは何も語らず、ただ淡々と、起きたこと、くぐり抜けてこられたことを語られる。
 そしてその時代時代の映像作品がダイジェストで流れる。
 そのシンプルな構図の向こうから押し寄せてきた一人の少女の絶対的な孤独、震え、かすかな光芒。

 本当のお父さんに初めて電話をする時のドキュメント。
 まだ二十歳の河瀬さんが感情を抑えながら、しかし抑えきれずにかけた電話。その声。
 驚いて息を飲んでいるお父さんの声。

 やっと再会できたお父さん。
 でも、それから何年か後、河瀬さんが知らないうちにお父さんはなくなっていて・・・。
 しばらくして決行した、父親の背中の和彫りを自分の背中にも入れるという作業。
 自分を捨てて出ていってお父さんなのに。
 死、すら知らせてくれなかったお父さんなのに。

 墨を入れる時の、彫刻刀が背中にザク、ザク、ザクと刺さる音、音、音。
 その時の河瀬さんの表情。

 そして、ついに刺青が背中に入った時、全裸で駆けていくその後ろ姿に、
 なんかもう・・・鼻水吹き出し、世界が滲み、精神注入棒で側頭部をばんばん殴られているかのような・・・
 映画の四角いスクリーンの中にみんなが入り込んでしまったよ。
 四角いのに輪が重なっていく。

 その輪の中で、河瀬さん、出産。胎盤を食べる。

 なんだろう。ここに今溢れている力の正体って。
 えぐいと言えばえぐい。でも、そんな簡単な表記など通り越えた遥か向こう、輪の中心から吹いてくる風。
 この振動が、波長がとてつもなく気持ちいい。

 それはたとえば、カンボジアの地雷原を歩いたり、ベルリンの壁が崩れてからルーマニアまで旅をしたり、
 そうしたことから生まれてきた数多くの詩を、歌を、物語を、こんなものは平成の日本では売れっこないのだ、
 認められないのだと、自ら封印してきた自分の「幻に過ぎなかった足枷」が解けた瞬間でもあった。

 破壊された。
 過去が原色で蘇ってきた。
 不死鳥のように。ええーとそれは、たとえばトトロの森のあのぐいぐい伸びていく木のように。

 俺は間違っていなかった。
 それを間違いだと思っていた俺が間違っていたのだ。

 なんと言うことか。
 奈良まで講演をしにいって、教えられた、蓋を開けてもらった、引きずり出された。

 俺には、世界中を歩いた、民を見てきた、あの時代からの息吹がちゃんとあったじゃないか。
 それをなまじ、作品が売れる売れないの世界に入ってしまったばかりに見失っていた。
 糞の入った爪で土を握る人間の気持ち。
 その根本を書かずに、なぜこの十年を流してきたのか。

 でも、ほら、ここにちゃんとありますぜ。
 まだ火を絶やさずに、ここで燻ってら。

 凄いことが起きた。

 

 河瀬さん、図書情報館の皆さん、西村さん、そして集まって下さった皆さん、ありがとうございます。
 俺、冬の雲みたいに巨大に光るプレゼントをいただきました。



 1月11日(日)

 富士は風の輪の中にあるようで、楕円になった傘雲が裾野まで駆け降りていた。
 という記憶を新幹線の窓辺に、次に目を覚ましたらもう京都駅が近付いていた。
 京都からは近鉄線に乗り換え、奈良を目指すのだ。

 奈良県立図書情報館で行われるフォーラム『自分の仕事を考える3日間』。
 最終日の12日、ボクは講師として呼ばれていたのだ。
 呼んで下さったのは、このフォーラムを毎年構成され、会場で司会もされる西村佳哲さんだ。

 西村さんの著書『自分の仕事をつくる』(晶文社)はボクも過去に読んだことがあって、
 「人生の正体は時間」という彼の言葉にはっとさせられたことがあった。
 なんつーか、こう・・・現代版のセネカに会ってしまったような。

 興味がある方だったので、講演はもうしないことにしていたのだが、話にのってしまった。
 そして迎えた今日。
 実は奈良にはあまり立ち寄ったことがなく、駅弁の本を書いた時に一度、河島英五さんのお墓参りで一度、
 あとは何か講演を頼まれて一度と、たったの三度、しかも泊まったことがないのである。

 なので近鉄奈良駅で右往左往して、えーと、どっちに行ったらJR奈良かしら、そこからどう行けば図書情報館なのかしらん、と迷っていると、親切にも声を掛けて下さる女性がいらっしゃるではないですか。

 「明日、図書館で講演される方ですよね」
 「はい」

 あ、お客さんの方なのかな・・・と思いきや、その瞳きらきらの女性は自ら名乗られた。
 なんと、最終日の講師二人のもう一人、映画監督の河瀬直美さんであった。

 こちらは挨拶もぎこちなく、河瀬さんはてきぱきとタクシー乗り場や名所がある方向を教えて下さる。

 あ、これはエネルギーに満ちている、と感じたのはこの瞬間であった。
 カンヌ映画祭で二度受賞されている河瀬さんはもちろんのこと、この奈良という場、そしてボクにもその力が
 降り始めたのが肌のどこかで予感された。

 


 1月10日(土)

 ガザで起きていること。
 CNNなどのアメリカ資本系ニュースで確認すると、必ずイスラエル領内に撃ち込まれた砲弾の数が報じられている。
 ガザ地区からと、レバノン南部からと。
 でも、イスラエルの戦車がガザに撃ち込んだ砲弾の数はどこにも記されていない。
 おそらく、4、5発の反撃に対し、何万発もの砲弾を撃ち込み、空からもミサイルを落としているのだろう。
 しかしそうは書かず、イスラエル領内が被弾という発表ばかりだ。

 イメージとして、暴力対暴力、つまりガザ地区のパレスチナ人たちとイスラエル人たちは対等にやり合っている
 という印象を国際社会に築き上げようとしている。

 今回、イスラエル軍はガザに外国人記者が入るのを許していない。
 イスラエル軍に同行を許可された「おかかえ」のわずかな記者が報じるばかりだ。

 ガザでは1000人以上の人々が死に、その半数以上が民間人だという。
 女や子供や老人だ。
 だが、イスラエルの後押し国であるアメリカは「ガザからの攻撃が止まらないからやむを得ずこうなった」という。
 イスラエル側に即時停戦を求める国連決議で、アメリカはその本音通り、拒否権を発動した。
 日本も続いた。

 どうしたんだろう。日本政府。
 空爆されている家屋の中にいる子供たちは、かつての東京・広島・長崎で、炎に焼かれた子供たちと同じなのに。

 イラクの空爆を、「世界平和のために」と謳ったブッシュ政権。それを支持した日本政府。
 また同じことがくり返されようとしている。

 地上戦が始まれば、ハマスと民間人の区別なく爆撃は続き、さらに何千人もの犠牲者が出るだろう。
 これは虐殺以外の何ものでもない。

 そしてこの虐殺が行われている理由。
 それは、迫りつつあるイスラエルの総選挙のためだ、という話もある。
 票を得るために、これが行われているのだとしたら。

 あまりにも虚しい話だ。

 

 
 1月9日(金)

 寒い。氷の国から転がってきました、という感じの風。
 雨粒のひとつひとつまで肌に触れると切れるようだ。
 なぜこれだけ寒いのに雪にならないのだろう。
 寒い時は雪が降れば、寒くなくなるのにね。
 雨粒が迷っているから、よけいに寒いんだよね。

 自由が丘。
 蟹とたわむれ系の居酒屋に入るが、客もおらず、店員の皆さんも沈んでいらっしゃる。
 不景気だなあ・・・と闇が囁いているかのように店の照明も落ちぎみだ。
 衛生法上、厨房に置かなければいけない生ゴミ箱がどういうわけか客席でむきだしになっており、
 しかも溢れ落ちている。
 店内は雑然、酒も料理もまずい。
 料金設定は高め。音楽は暗いモダンジャズ。
 あまりにも負の空気なので、ここで酒をお開きとすることができず、ミツ君お薦めの割烹を覗く。

 我々アルルカン洋菓子店や半片ブラザースが逗子の鮎丸で釣りをする時、
 獲物のサバやアジを持ち込んで料理していただく店だ。
 といっても、ボクはまだここに入ったことがなく、ミツ君やはんちゃんから話を聞いていただけ。

 明るい笑顔の御夫婦に、これまた明るい表情の和服の女性二人、計四人で切り盛りされている。
 店の照明がぱっと煌めいていて、カウンター奥の生け花も盛大である。跳ねている感じ。
 メニューも豊富。
 このわたを板状に干して炭火で炙るようなものもある。
 そして、本日入荷のつぶの刺身。
 これがその前の蟹とたわむれ系のお店よりずっと安かった。つまり、ほとんどの料理が決して高くはない料金設定。
 そしてそれぞれの料理に個性があって言葉があった。

 で、どういうことが起きるのか、というと
 この店はぎっしり満員です。
 入りきれないほど人が入っているのに、次々と電話がかかってくる。
 御夫婦はお子さんを持たれたばかりで、二階では乳児が寝ているのだ。
 泣き声がするとマイクとスピーカーを通じて階下の厨房まで聞こえる仕組みになっている。
 そこまでされて仕事をしていて、でも店は七福神が居座ったみたいに大繁盛。

 あまりにも対照的な店をはしごしてしまった。
 蟹とたわむれ系のお店の雰囲気は、実はボクの体質に近い。
 だから非難する気は毛頭ないのだけれど、街が不景気で沈みがちな時は、
 どういうところに人が集まってくるのかという勉強をしてしまった。

 店が明るければいいということではなくて・・・お客さんの立場になって誠実に仕事をしていらっしゃる。
 それが完璧にできた上での明るさ。やり切った感。
 これがきっと、本当の照明なんだ。


 
 1月8日(木)

 製作予定のCDについて法務的な問題についてちょいと考え、
 関係者の方と会う。

 その帰り・・・今日の昼御飯は新しいところに入ってみようと考え、渋谷のラブホテル街を出たところにある
 韓国料理屋さんに入ろうとすると・・・。

 入り口から一番近いところのテーブルでサラリーマンがぶはーっと煙草をふかしている。

 やめた。
 煙草の匂いが充満しているところで飯を食うのは絶対嫌だ。

 昔、喫煙者だったので、煙草を吸う人の気持ちは非常によくわかるのだが、
 勝手なもので、食事となれば今は本当にその煙が苦手だ。(酒場は別よ。いくらでも吸ってちょうだい)
 特に蕎麦屋とか寿司屋とかで横でもはーっとやられると、高校生に戻ったみたいに暴力的衝動さえ起きてくる。

 それで、何だか中途半端なちゃんぽん屋に入った。
 入ってすぐに失敗したと思った。

 「食事中に本や新聞を読むこと、食事後に読むこと厳禁」と書かれた札がさがっている。
 何だか恐ろしいのだ。
 長崎ちゃんぽん定食を頼んだのだが、ちゃんぽんを食べた後で本を読みそうな自分がいて恐い。
 いや、きっと読んでしまうだろう。
 するとあれだろうか、店主が包丁とか持って出てきて、
 「お客さーん。読めねえんですかい」と札を叩いたりするのだろうか。

 と、考えながらちゃんぽんを食べ出した時、1メートルも離れていない客が煙草を吸い出した。
 御丁寧に、こっちに顔を向けてむわーっと吐いてくる。

 おい。
 この間の新幹線のねえちゃんといい・・・
 どうしてみんな、他人を思い遣る気持ちがないのだ。

 気配りと等しく、社会から丸みがなくなってきている。
 と言いつつ、実はカリカリきているのは自分だったりして。

 だから許容量が少なくなっている。
 どうしよう。
 釣りにでも行こうかしらん。




 


 1月7日(水)

 原稿。
 お待たせしている出版社がありまして。
 詳しくはここで書けないのですが・・・ホームページを書いている暇があったら早くやれよって。
 そう言われそうで。

 はい、一日こもっています。


 1月6日(火)

 今日はボイトレの日。
 実は、昨年末の秋葉原のライブで太い声の芯をつかんだような気持ちになれたので
 「よっしゃ、前進あり!」
 と、内心(19才の春のように)喜んでいたのだが。

 先生の前で声を出したらあんまり変わらなかった。

 そりゃそうだよね。一朝一夕で声が根本から変わるなんてことはまずあり得ないだろう。
 と、わかっていても、ぬか喜びだったのかなあとちょいと寂しい気分。

 年齢的にもそう悠長なことは言っていられない。
 何とか今年中には、ばしっと納得のできる声になりたいのだ。

 こうなったらもう、普段の買い物の時なんかからオペラ声で鍛えていくしかない。
 つつじが丘の商店街の果物屋でも「500円のみかん下さい」って、腹から歌うようにお願いしよう。

 もう、歌人間だ。
 というわけで今日は、目下の原稿も文章を歌のように口ずさみながら書いた。
 不思議な気分だ。
 ラップのような、いい加減フォークのようなリズムで書いていると、のらない言葉とのる言葉がはっきり別れてくる。

 発見。
 歌人間は、書くのも面白い。
 つまり文字はすべて歌詞だ。

 トルストイの「復活」も、マーク・トウエインの「ハックルベリーフィン」も、すべて歌詞だったのだ。
 

 

 1月5日(月)

 仕事始めの日だからもう帰省客で混むことはないだろうとこの日を選んだのに。
 新幹線、すごい混雑。
 新神戸から東京まで、結局通路で立ちっぱなし。
 でかい鞄にギターを持ってさ。

 それで、通路のドアのそばに立っていたら、ミニスカにブーツの若い娘がやってきて、
 「そこに立っていると自動ドアが開いちゃうでしょ。もっと向こうに行ってくださいよ」とかなりの激高で来た。
 「はい」と返事をしたものの、もっと向こうと言えば窓に張り付いているしかない。

 こっちは荷物をもってずっと立っているのに、座っている人からまさかそんなことを言われるとは思ってもいなかった。
 
 結局、ボクは窓に本を押し付けながら蜘蛛男みたいに張り付いていたが・・・
 なんかなあ。嫌いだよ、若い娘って。
 (この部分、後に友人から指摘がありました。本当は好きなんだから、嫌いなんて書いちゃだめだよ、と)

 おじさんであるだけで無条件に顔を背けられたりするようになっちまったって、最近気付き始めたのだけれど。

 では、君はおばさんに冷たい態度をとったことはないのか?
 と誰かが声を発するかもしれないが、
 立っているおばさんに向こうに行けとは、さすがに言わないでしょう。混雑していて行きようがないんだからさ。

 金融不安の前に、人心として日本の未来は大丈夫か?


 1月4日(日)

 引き続き、神戸です。
 阪急電車にのって門戸厄神さんまでお札をもらいに行く。
 競馬の新聞を持った人でごっそり。
 府中で開催の日の京王線と同じ車内風景。

 で、門戸厄神でお札をもらい、三ノ宮方面の電車を待っていると、おしゃべりなカップルが横に座った。
 どういう人間が間抜けかを指摘しあっている。
 色々と二人で言っていたが・・・ずきっときたのがひとつ。
 「厄払いの神社にいって、お札といっしょに誰かの厄ももろうてくるやつ」

 笑えなかったのですよ。
 「どつかんのう(超運がねえ)・・・」とひとりごとを言っている親父がさい銭箱の近くにいて。
 本能的に、あ、あの親父のそばに行きたくないと思ってしまった。
 で、少し離れてさい銭を投げ、柏手を打ってちょいとお願いごとをしたところ、両手が誰かの頭に当たるではないか。
 うん? と目を開けると、「どつかんのう・・・」の親父の後頭部。

 今年の初夢。
 キャンプをしていて、テントをグリズリーに襲われるという、かなりのアクション巨編でした。
 くまパンなのに、熊に襲われて。

 変な夢だったから公表させていただきました。



 1月3日(土)

 毎日やっている発声練習。
 神戸の実家までギターごとその精神を持ち込むが、やはりここも東京と変わらず、
 大声で歌えば隣近所に迷惑がかかるのである。

 腹の底から大きな声で歌いなさい、とボイトレの先生にも指導されているのだが、
 防音室でもなければなかなか難しいわね。
 
 じゃあ、防音室を・・・と、ヤマハあたりのカタログを見ると・・・うん、百万円?
 一瞬目をこすり・・・でも、やっぱり百万円。
 中古の業者を見ても五十万円とかで。

 こうなるとやはり多摩川で歌うしかないのだが、冬は当たり前に寒い。
 神戸の港も寒い。六甲山も寒い。いのしし出るし。

 今年は歌唱面に関してはまずこの練習環境が課題。
 さあ、知恵を絞ろう。


 
 1月2日(金)

 今年、我が「アルルカン洋菓子店」は計2枚のCDを発売する予定です。
 まずファーストレコーディングのために今月はライブがありません。
 
 2月に大胆な新作(ボクら付け睫毛が必要になります)を実験的にやるため、
 西調布のパブで少数精鋭限定ライブを。

 3月にCD発売記念ライブをやれればいいなと考えています。

 本は、今年も4冊以上は出す気持ちです。
 ただ、経済的にほとんどの人が我慢を始めた年ですから、原稿はあげても、それが本になるかどうか、
 という部分は確約できません。

 でも、いずれにしろ、道化が書く物語と道化が演奏する歌を皆さんにできるだけ楽しんでもらいたいと
 思っています。

 さあ、歩いていくぞ。

 
 1月1日(木)
 
 あけましておめでとうございます。

 2009年が始まりました。
 夜、オリオンの横でおおいぬ座のシリウスが、空に穴があいたみたいに燦然と輝いていたよ。
 光は冷たくしんしんと降ってくる。
 それが胸に心地良かった。

 皆さん、今年もよろしくお願いします。
 努力が苦手な自分ですが、今年はそれをやってみようと思います。

 皆さんにとっても、平和と発展、そして安穏のある日々がやってきますように。
 
 病気で苦しんでいる人は、宇宙にみなぎる力がその痛みを少しでもやわらげ、闘志を支えてくれることを祈ります。

 心に深い悩みを抱えている人は、それがまた新たな思考の芽となって、
 ギアナ高地のように広大な地平を出現させんことを。

 恋を失った人は・・・。
 アフロディティだけを愛して、歌を歌いましょう。

 それぞれが主役の2009年にしましょう。