ドーランが目にしみる 2010年10月


 祝、ドイツ統一二十周年。あの時、ボクもまだ二十代だったのだ。(ベルリンにて。撮影・三戸華之介)


 10月31日(日曜日)

 執筆中。
 
 安売りDVD #5「若草物語」

 心に残った言葉。
 作家の卵である主役のジューン・アリスンが、
 新聞に載った小説を未来の旦那に咎められ、励まされるところ。
 彼は彼女にこう言う。

 「才能があるから言っているんだ。その才能を生かすためには、
  自分が本当に書きたいものを書かなければならない」

 その通りだよね。
 きゅうくつな気分になり、型にはめようと思い、
 自分すら
楽しめずに書いているものを、
 いったいだれが喜んで読んでくれるというのか。

 まずは自分で感じ入りたい。
 その目標設定がどのレベル、どの世界にあるかという問題。





 10月30日(土曜日)

 執筆中。
 PHPで連載中の「川辺の町の物語」。
 すでに発表した作品を来春発売の文庫本に向けて大幅に書き直している。

 一度は世に出したものに
 新たな息吹きを与え、
 生まれ変わらせる、という作業。

 こういうことを試みたのは初めての体験だが、
 これがけっこうみずみずしく、面白い。

 トライアルを通じて自分もまた新しくなっていくようで、
 得難い時間である。

 宮沢賢治は推敲に執着した人で、
 どれが本当の作品なのかわからないほど、
 各物語の生原稿には筆が入れられている。
 (おびただしい再構築!)
 一度出版した「春と修羅」でさえ、新たに筆を入れて出し直したほどだ。

 その執念があって初めて、賢治は賢治になったのだろう。

 重い病状を抱えて花巻に帰った時、
 「子供を作る代わりにこういうものをこしらえた」と、
 童話集がぎっしり入ったトランクを弟に手渡したのは有名な話だ。

 自らの分身として彼は詩や童話を書いた。

 もちろん、それが本当の人の子なら、
 いくら我が子であったとしても、
 親が執念をもって推敲を繰り返すことは道にはずれている。

 子は親の持ち物ではないのだから。

 でも、自らにはそれをやってもいいのではないか。

 理想という言葉が青臭いのひとことで捨てられてもうずいぶんたつような気がする。
 だけど様々な過剰な迷いは、それを置いてきてしまったからこその現れだとも言えそうだ。
 他人に話す必要はまったくないし、他人もまたそれを望んではいないだろうが、
 人知れず我が胸に理想を抱く季節は、また迎え入れてもいいと思っている。



 10月29日(金曜日)

 執筆中。

 夜、アルルカンはん(半)が遊びにくる。
 モツを焼いたりカキを焼いたり。
 残っていた焼酎で夜更けまでやる。

 これが年末までの飲み納め。
 12月23日の「青い部屋」のライブまで、
 11月中のたった一日の飲酒日を除いて
 例年通り断ちます。

 第四コーナーの追い上げとも言える力を
 これから出せるかどうか。

 来年、皆さんが読んで良かったと心底思える本を仕上げたい。
 今からの、理想を失わないファイトにかかっています。
 そしてその一時間一時間が、
 ボクにとっては楽しみでもあります。



 10月28日(木曜日)

 韓国のイケメン七人組(全員二十代)が、日本でのデビューを願って日夜、
 歌やダンスに取り組んでいる。

 この七人に詩を提供することになった。
 全員「叫ぶ詩人の会」のCDを聴いている。

 今日、その七人と会った。
 みんな長身。
 しかも、兵役を経てきているため、
 一列に並ぶと迫力がある。

 日本語はまだつたない。
 あ、これは母性本能をやられるなと思った。
 で、なぜかボクもどこかをやられた。

 いっしょに頑張ろうと。

 弟たち、というよりは
 いきなり息子が七人できたような気分。

 ことがうまく運んで、
 彼らが日本のステージに立つようなことになったら、
 マッコルリでも飲みつつ、
 みんなで応援しに行きましょう。


 


 10月27日(水曜日)

 沈思黙考中。

 



 10月26日(火曜日)

 本日よりミツ君、治療開始。
 10日後には出られるそうです。
 無事を祈りましょう。


 

 

 10月25日(月曜日)

 幻冬舎の「ゲーテ」で「ゲーテの言葉」を紹介しだしてもう三年になる。
 ボクにとってはエッカーマンの三冊(岩波文庫)がとてもありがたかったのだが、
 もちろんゲーテその人の著作も読みふけり、
 今は「イタリア紀行」(これも三冊)を何度かひっくり返しているところだ。

 超人的な知識欲、同じく超人的な行動力に、
 それを保ち続ける人並ではないエネルギーを感じるのだが、
 この人の場合、
 基本として「俯瞰で大きく見ている」というベースがそこにあるような気がする。

 いつもヨーロッパ全体、あるいは世界全体のなかでの「この視点」であり、
 時間的にもギリシャ・ローマ時代からの流れがあって、
 未来を見つめている。

 そうしたなかでの旅であり、著作である。

 宮沢賢治が銀河的広大さのなかでのイーハトーブや、
 沖積世や洪積世という言葉を使って時間を表していたのに似ている。
 (彼は「四次元的」という言葉を多用する)

 なにか大きな仕事を残す人というのは、
 微細を見る顕微鏡のような目と、
 一般人にはなかなか理解できない巨視の双方を持ち合わせているのではないか。

 そうした方が気分も良さそうだし。

 実際、週刊誌のネタ的な視野のみで生きるようには、
 我々の感性はできていないような気がする。



 
 


 10月24日(日曜日)
 
 ライブ中に「予感が・・・」と言ってしまった通り、
 ゴールデン街で朝まで飲んだ。
 半片ブラザースも始発まで付き合ってくれ、
 まさに尻上がり的に歌が続いた果ての夜明けであった。

 十数年ぶりにライブで「新宿」を歌って良かったよ。
 歌も映画も小説も、ホームタウンで味わうと独特の温度が生まれますね。

 ハロウイーンにはまだ早いと思われるのだが、
 新宿で行き交う外国の皆さんはみなコスプレの極みのようないでたち。
 適度に酔っていて皆さん流し目。色目。

 彼ら彼女もまた、
 母国に帰った時に新宿を思い出すことがあるのだろうか。
 あの混沌とした街は、
 胸のなかでどんな景色に抽出されていくのだろう。

 みな、幸福そうに歩いていた。
 その波長や輝きがこちらにも伝わってきた。

 いい気分でいる。というのは、自分のことだけではなく、
 社会全体にとっても大事なことみたい。


 新宿が腐って見える時もあれば、
 芳香を放つ時もある。


 

 


 10月23日(土曜日)

 ライブ。
 一秒一秒が穏やかで、気持ちのよい時間でした。
 LIVE FREAKに集まっていただいた皆さんのお陰です。
 どうもありがとうございました。

 熱唱、熱演のTOMOVSKYさん。
 そしてこのライブをプロデュースしてくださった
 東京砂漠の斎藤さんのお陰でもあります。
 お二人には大感謝。

 そして何よりも、MITSU君不在のところを
 四週間もの時を費やして練習に当たってくれ、
 真正面から取り組んでくれた半片ブラザースの二人。
 半谷貴之(一万円の賽銭)アルと片岡智浩(家具調靴下)アルに心からの感謝を捧げます。

 今日のライブの後半。
 新作の詩を幾つか朗読して歌につなげるという趣向のなかで、
 ひとつ挟み込んだ話があった。
 昨夜まではまったく考えていなかった展開。

 昨夜、中国の人のあるブログを読んでいたら、
 こんな話が紹介されていた。

 反日運動が猛々しく盛り上がっている四川省成都でのこと。

 草むらに捨てられていた赤ん坊がいた。女の子。
 その子を養子にし、育てたのはある貧しい男。
 父一人子一人の暮らしであったが、
 この子を小児性の白血病が襲う。
 
 貧しい養父は八方手を尽くすが、得られるお金は治療費にほど遠い。
 ついに養父はボロ家までを売りに出す。
 それを知った女の子は(当時八才)、
 手紙を書いて入院先の病院から姿を消す。

 もう私への治療はやめてください、というものだった。

 この八才の女の子は養父へも手紙を書いた。
 治療はもういい、ということ。
 その代わり、お願いごとが二つあると。

 まず、綺麗な服を買ってください。
 そして、写真館に連れていってください。
 私の写真を撮って下さい。

 そうしたらお父さん、
 私が死んだ後も寂しくないでしょう。

 このことを知った成都のイトーヨーカドーが、
 この子の治療費のための募金を始める。
 具体的な金額も書いてあったが、それは忘れてしまった。
 とにかく金は集まり、この子への治療はなされたようだった。
 (結果、助かったかどうかまでは書かれていなかった)

 この中国の人は怒っているのだ。
 反日運動のデモ隊がイトーヨーカドーを標的にしたことを。
 なんということをしてくれたのだと。
 それをした者に対し、法的な処罰を望むとも書いていた。

 イトーヨーカドーがその子のために動いたことを、
 成都の多くの人は知っているのだという。
 それなのになぜ? という憤りがこの人のブログからひしひしと伝わってきた。

 ところで、ボクがなぜこの話を「恋唄」の前に差し入れたのかというと、
 それはライブ前半でTOMOVSKYが、
 「中国と仲良くやっていく方法はないのか?」と問い掛けていたからだ。

 仲良くは難しくとも、
 すくなくとも視線を変えることはできるのではないかとボクはずっと思ってきた。
 「中国人は〜」「シナ人は〜」と一色で見てしまうことの愚劣さをかねがね感じていたし、
 そうした一色決めつけ派が台頭していくことが恐かった。

 どの場所に住んでいるのも生身の人間であり、そこには様々な感じ方があるはずだ。

 もちろん、
 中国が全体主義であることは間違いないし、
 チベット問題も含め、
 あの国には変わっていただかないと人類共通の脅威になる。
 しかし、そのことと中国人をすべて見下すかのような目線はまったく別のものだ。

 反日デモを繰り返している中国の若者たちは
 現実の日本人がどういう暮らしをしているかを知らない。
 愛国教育で教え込まれた「日本人=諸悪の根源」説のなかだけで、
 エネルギーを発散させている。
 おそらくはその大半が国から出た経験がないはずだ。

 中国人を一色に見る日本人も、
 中国を歩いたことがない人がほとんどだろう。

 旅をしなければいけない。
 交流をしなければいけない、とボクは思う。
 世界全体がきな臭くなってくると、
 まず断たれるのが交流だ。

 そんな思いがあったからこそ、
 「地球の上を歩いて」という歌詞で始まる「恋唄」の前に、
 中国の人の話をさせていただいた。

 
 
 

 
 

 


 10月22日(金曜日) 新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブはいよいよ明日!

 さあ、明日は久々のライブですよ。
 ミツ君に代わり、
 半片ブラザースがアルルカンとして初参加です。

 ライブ前半はこちらも初顔合わせの「ひとりTOMOVSKY」。

 初初とくれば、きっとういういしいステージになること間違いなし。
 天気もよいみたいだし、皆さんがいらして下さるのをお待ちしています。


 


 10月21日(木曜日) 新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブまであと2日!
 
 ライブが近付いてきましたね。
 アルルカン・ハン、アルルカン・ペンと最後のリハーサル。

 後、つつじヶ丘の鉄板餃子にて今後の夢を語り合う。

 これは実現せねばならない夢だ。

 最近は具体的な願望が次々とつながるように現れ、
 年齢だけ若かった時よりも遥かにエネルギー度が高い。
 どうしたのだろう。
 歳をとっていくという感じがまったくない。

  
 ところで・・・「ブーの国」「ぼく、あいにきたよ」(ともに文藝春秋)の二冊が
 絶版となりました。
 「ブーの国」に関しては、今後、タイトルも中身も変え、
 より摩訶不思議にした形で、ウエブで発表できたらと考えています。
 それをここでやるか、e-literatureでやるかはまだ決めていませんが、
 「絶版コーナー」みたいのを立ち上げようと思っています。

 一度読んだ、という方も、まだ、という方も
 ぜひぜひ遊びにいらしてください。






 10月20日(水曜日) 新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブまであと3日!

 河瀬直美監督の映画で共演させていただいた
 (主演:ボクの妻役)
 大島葉子さんの舞台挨拶があるというので、
 渋谷のハンズでドーランを買った後、 ユーロスペースへと急いだ。

 「ヘブンズストーリー」という作品。

 大島さんはこの映画に関しては助演だが、
 激しいシーンを演じてらっしゃる。
 
 あれっ、こんなに激しくても許されるのなら、
 ボクももうちょっと奮闘すべきだったかなと思ったほど。

 ただ、そうした刹那的な思いはすぐに消えた。

 この映画、観るというよりは体験です。
 どこから説明すべきか混乱しているが、
 まず、上映時間が4時間38分。休憩を入れると5時間近い。

 主題は、おそらくは現実の事件がきっかけになっているのだろうが、
 少年による殺人と、遺族(妻子を殺された夫)の復讐劇だ。

 と、書いてしまえば身もふたもないが、
 うーん・・・復讐劇はあくまでもストーリーとしての芯をなす部分で、
 本当の主題はそこではない。

 瀬々敬久監督が描きたかったのはその復讐劇が二転三転した後、
 まるで宇宙全体が絶対温度ゼロ度に落ち着いてから、
 静止した原子が再度引き付け合うような、
 途方もない絶望からの開闢というやつではないだろうか。

 第1章から第9章まで。
 この9章が本当によくて(ここに辿り着くまでに4時間経過したこともあり)、
 ラスト・・・泣きました。

 カメラはハンディがほとんどで画ぶれが気になったが、
 (すこし酔った。具合が悪くなった)
 それでもやはり瀬々監督の主題への思い入れと溢れるエネルギーに脱帽。
 
 これが映画だと言われると、映画を撮れる人はほとんどいないのではないか。
 監督はきっと、命のやり取りをしたぐらいの消耗があったはず。

 体力的にも精神的にも覚悟がある人だけ、客となることを許されるような映画だ。

 山崎ハコさんの演技も凄まじい。

 今日は昼間も映画を見たので(#4「茶碗の中の嵐」)、
 7時間ほど見続けたことになる。

 さすがに心砕け、夕飯を逸したまま京王線に乗った。


 


 10月19日(火曜日) 新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブまであと4日!

 アルルカン洋菓子店ファンクラブの皆さん、
 本日会報第二号を配送いたしました。
 明日か明後日には届くと思います。
 楽しみにお待ちください。
 
 ところで・・・
 歌うためにはヴォーカルものの名曲をたくさん聴いた方がいいし、
 (実にそれだけに一年を費やしてもいいぐらいだ)
 長く書くためには瞬発力や閃きだけではなく、古典や傑作をパワーリーディングした方がいい。
 (実にそれは生涯の付き合いとなる)
 うまい料理を作るためには、もちろんうまい店に通った方がいい。
 (これは時々でもいい。毎日だと中性脂肪値があがります)
 つまり、唯我独尊だけは避けなければならず
 ( 言ってはばからないのはお釈迦様ぐらいか)
 我々にはすべてのジャンルに於いて師が必要である。


 かのゲーテですら「独学は罪である」と言い切っている。
 それが今、よくわかるのだ。

 今年は夏以降、すこしだれてしまった日々があったのだが、
 今はすべての血肉が入れ替わったかのように、
 表現に於いてやりたいこと、
 執筆と詩表現が燦然と輝いて目の前にある。

 すぐにでも走っていきたいし、
 そうするべきなのだが、
 「読書の秋」とはよく言ったもので、
 古典に触れたい。
 先人と話しをしたい。
 パワーリーディングしたい本がたくさんある。

 時間がたくさんあればいいのにね。

 パワーリーディングとは速読ではない。
 集中力をもってじっくり読む。
 ただそれだけのこと。

 でも、通常の集中力ともやはりちょっと違う気がする。

 原稿用紙何十枚分もの詩を頭に入れてしまう時、
 (ライブ前のいつもの超集中状態)
 自分でも頭がどうなっているのかわからないのだが、
 それができてしまっている脳というものがある。

 あの脳を使って読む、ということだ。

 それと、俯瞰がいい。
 森を描きながら木を読んでいく。
 
 そんなことを喜んで書く季節になりましたね。


 


 10月18日(月曜日) 新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブまであと5日!
 
 今回、ミツ君は「先端モーヴィーディック峰・症候群」の治療のため、
 ライブには出られない。

 なにかにつけ先端が太くたくましくなり、
 なぜかディック峰の「人生の並木路」しか歌えなくなるという病気である。
 ケサランパサラン症ともいう。

 世には色々な病気があるものだ。

 入院前の気合い入れの宴会というのをやった。
 ケサランパサラン症には餃子がいいというので、
 焼き餃子とか海老餃子とか。
 亀入り、失礼、瓶入りの紹興酒がよかった。

 たいていみんなどこかに病気は持っているもので、
 深夜のバーと午前中の高尾山は病気自慢に花咲くことが多い。

 もちろんボクも方々にそれがあり、
 胃が二つあることや、
 足の指の爪が七色であることなど、
 酔わなければ告白できない症状が幾つもある。

 体のことはまあいい。
 問題は心の病というもので、
 これはいったいどれだけの病巣を抱えているのかすらわからない。

 酒を呑んでいて、三杯目から五十杯目までは区別がつかなくなる。
 五十一杯目からは呑んでないのと同じになる。
 というのも一種の病気だろうし、
 道化師の恰好をした方が素の自分になれるというのも、
 どこかいびつなのだろう。


 だが、そうしたものをひっくるめて、
 生きていく。
 ということだけははっきりしていて、
 「病んでるな」と自分で思う箇所は、
 船で言えば帆に当たる部分だったりして、
 そこに風を受けるからこそ、この海路を進めているのかもしれない。

 
 ミツ君の入院ライフ。
 色々と期待大。

 
 



 10月17日(日曜日)新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブまであと6日!

 明け方、お金の夢を見た。
 金属(硬貨)や紙(紙幣)ではなく、
 ぼんやりと蛍のように光る、丸い珠のような存在。

 それがどんどんボクのポケットに入り、
 そしてまた暗がりの街へと飛んでいく。

 やっぱりそうだ。
 お金って、循環しなければいけないものだったんですね。
 あれは溜め込んで自分のものだけにしようとすると、
 きっと熱を帯びてきて焦げ付いてしまうのだと思う。

 どんどん入ってこい。
 どんどん出ていけ。

 そんな心境の朝。



 10月16日(土曜日)新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブまであと7日!

 アルルカン洋菓子店の新規のファンクラブ申し込みの皆さん、
 作業が滞っていてごめんなさい。

 今、執筆業の方で頭の筋肉を使わなければいけないことが多々あり、
 夜八時を過ぎると闇のなかで海月のように漂い、「ただそこにいるだけ」の状態です。
 来週の早いうちに作業をしますから、
 お待ち下さいね。

 今日は一歩前進。

 (三時間経過)
 (@酒の席)

 っていうか、お前何いいかっこして、
 忙しいみたいに書いてんだお。
 日々追われると、こういう報告書みたいな日記になるのか?

 

 バカじゃねえの。

 自分で自分に喧嘩売っても仕方ねえけど、
 こうおうのダメ。

 だいたいおー、
 中国であんなに反んち胃運動起きて・・・。
 そんな時に、小賢しく自分のことだけたr4あたら書いてんなって。

 

 ここで顔を洗い・・・。

 知恵が試される時代が来た。
 他国を罵倒していればいい、という姿勢はすでに去った。
 境目があるからこそ生まれる憎悪をどう解決していくのか。

 戦争という最終的な手段には絶対に訴えてはいけない。
 小さな子らは未来を罫線なしで受け取る権利がある。
 
 では、どうすべきなのか?
 知恵の最終的な闘いの相手は、領土問題でもなく原発問題でもない。
 自らの心、人類に根を持つ憎悪である。

 こんな時だからこそ、
 中国十二億人をひとつの色で見ないこちら側の努力も必要である。

 (翌朝)
 しかし・・・酔ってるなあ。
 教訓:酔ってる時はパソコンに触れません。電話もかけません。一人静かに寝よ。
 



 10月15日(金曜日)新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブまであと8日!

 そうそう。
 昨日(14日)の日記で、
 不安や哀しみに心をかき乱されないように、
 ONE TIME, ONE THING のルールを徹底するといい
 といったようなことを書いたが、
 これはちょっと、取りようによっては誤解を招く表現であった。

 不安な時は思い切り不安でいいし、
 哀しい時は涙腺が枯れるまで泣けばいいのだ。

 そういうことがなきように、という意味ではない。
 いたずらに不安だったり、
 毎晩、何かの癖のように悲哀ばかりに押し込まれる場合は、
 こんなやり方を思い出すといいよ、
 少なくとも飲めない夜はね、という書き書きであった。
 

 だって、何千色という絵の具を持ってボクらは生まれてきたんだもんね。
 不安や孤独や悲哀がない人生なんて、
 半分も色を使っていないのと同じ。
 それはまたひどく質感がなく、
 作品としての存在自体が危ういような気がする。

 あらゆる色彩があって絵が成り立つのなら、
 土星の輪に一人取り残されたような孤独な夜があっても、
 それを何かに転化させるのではなく、
 ただ真正面から受け止めた方がいい。

 つまりやはりこれも、
 ONE TIME, ONE THINGだ。




 10月14日(木曜日) 新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブまであと9日!

 「詩と朗読」のクラスで、
 ここ十年ほどずっと実践している呼吸法の体操を前半の時間を費やしてやっている。

 ・呼吸から声を捉え直す。
 ・呼吸によりメンタルな部分での平安を得る
 ・体幹からの健康維持

 ざっとそんなところを目標にあげているが、
 呼吸なしでは生きていけないのが我々という存在なのだから、
 これを適当にやっているか、
 深く楽しんでやっているか、というあたりが、生命としてのかなりの分岐点なのだ。

 ところで、
 今お教えてしているのは体のひねり運動も含めて計三種類で、
 合計十分ほどかかる。
 これを毎朝やる。

 なんということはなさそうだが、
 毎日十分の呼吸トレをやり続けるというのは、
 実は非常に・・・飽きてくるのである。

 飽きてくると、人は色々やり出す。
 単なる呼吸なのだから、
 その間に本を読めばいいじゃないか、とか
 英単語でも覚えればいいじゃないか、とかね。

 ながら、というやつです。

 ボクも実は二年間ほど、この呼吸トレをながらでやっていた。
 すると、自分の弱さというものがよく見えてきた。

 ながらでやると、呼吸トレも本を読むことも、みんな半端になってしまうのだ。
 そして、たかだか十分の呼吸トレでさえ集中できないのかという、
 自分に対する不快感のみが残ることになる。

 人間は、一度にひとつのことしかできないのだなと思う。
 そして、そのひとつのことを通じて、どれだけの集中力を持てるのか、
 というあたりがもっとも肝要になってくるのだ。

 ひとつのことに対する熱意と深まりである。


 これが、仕事や生活を支えていく上での柱になる。

 ながらのライフスタイルは、この柱を自分で砕いているようなものだ。

 ONE TIME, ONE THING

 これが原則となる。
 ただ、ONE DAY, ONE THING ではない。

 仕事は多岐にわたっていていいし、趣味もたくさんあっていい。
 しかし、ながらではなく、今目の前のものに集中すべきなのだ。

 これがもうひとつ、大きな力を持つ時がある。

 哀しみや不安に心を乗っ取られそうな時に利用すべき原則なのだ。

 放っておけば不安で不安で仕方ないという時、
 なにかひとつの作業に集中する。

 ONE TIME, ONE THING なのだから、
 行為に集中することで、不安を心から弾き出すことができる。

 ある意味で、禅にも通じる考えだ。


 
 

 10月13日(水曜日) 新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブまであと10日!

 CNNがチリの鉱山の救出風景をLIVE映像で流していて、
 最初の人の救出風景と次の人のを見た。
 思わず拍手となったのだが・・・

 なぜ、いちいち大統領がしゃしゃり出てくるのだろう。
 このカメラ目線の大統領が救出を待っていた家族よりも先に
 助けられた人たちを抱きしめる。

 それが、すごく嫌だった。

 政治を抜きに社会は語れないが、
 たとえ相手がどこの国の人間でも、 
 酒の席で政治家の話になると、
 みんな一様に酸っぱい顔になる。

 あるいは、朝からカツ丼を出されたような顔。

 こういうのは生理的うんぬんもさることながら、
 ある程度は経験からきた苦みなのだと思う。

 男女は問わず、政治的人間はいるし、
 政治家はよかれあしかれ必要である。
 きっとそこで要求される品格のようなものがあるとすれば、
 それは私がやりましたと表に出さないことと、
 奉仕なのだと思う。

 でも、そんなGRACEFULな人は政治の世界では生き残れないのかもしれない。

 ことが人命救助なだけに、
 なんだか引っ掛かってしまった次第。



 10月12日(火曜日) 新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブまであと11日!

 「詩と朗読」焼酎クラスもついに始動。
 時間と空間を縦横無尽に越えていき、
 かつてこの星を歩き、心象に花を咲かせた人々に会いに行く。
 
 書斎やアトリエにいながらの、もっとも壮大な旅。

 人類がそれを本能とするまで培ってきたこと。
 旅だ。

 モンゴロイドの南北アメリカ大陸縦断やゲルマンの大移動、
 インド=ヨーロッパ語族の拡散。
 歩き回るのが我らです。

 だから何年も同じところにいると澱が溜まってくる。
 そんな時は言葉の蓄積のなかに旅を求めるのがいい。

  

 


 10月11日(月曜日) 新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブまであと12日!

 執筆と歌を交互に繰り返す毎日。
 本日はギターを背負って神代植物公園の空き地まで向かい、
 何曲か歌う。

 なぜ、何曲かですごすごと退散したのか。

 蚊がものすごかったのです。

 ピックを持った右手は一カ所も刺されず。
 しかし、コードを押さえる左手は十カ所以上刺された。
 腕を触ってデコボコと感じるほど。

 速弾きの人なら蚊もとまれないのだろうが、
 こちらただコードを押さえているだけですから、
 少なくとも二拍から四拍は蚊にとって絶好のチャンスがあるわけで・・・。

 しかし、真夏の方が蚊は少なかったなあ。
 ものすごいよ、今。

 あれだけの蚊が(メスが)満足して生を味わえるほど、
 我々は血を提供できるのだろうか。
 おそらく大半の蚊は吸えても一口ぐらいで一生を終えるのではないだろうか。
 ちょっとこう、不満が残るなあという感じで。
 なかなか何に生まれても困難は付き物なのだ。

 でも、突き抜ける一瞬もあるけどね。


 

 


 10月10日(日曜日)

 ボクらの胸の内側で輝く銀河は、
 おそらく本当の物理的な、
 四次元的存在としての宇宙につながっている。

 人体は肌で閉じ、
 その内側で開かれている。

 つまりボクらは宇宙の端末で、
 でも、時には大水を流すほどのチャンネルにもなり得る。


 赤瀬川源平さんが、
 缶詰の内側に印刷をして、
 宇宙全体を入れ込んだ缶、
 (外に向かって開きつつ、閉じている)
 というのを発表したことがあるけれど、
 人間存在もそれに近いのだと思う。

 ただ、ボクらは閉じながら開く。
 このニュアンスこそ、信仰にも近い大きな力になり得ると思うのだけれど、
 どうだろう?

 それで色々説明がつくことがあるのさ。




 10月9日(土曜日)

 PHP「川辺の町の物語」の文庫化に向けて、
 それなりの思惟に身を浸す日々。

 レギュラーでは12枚で一話を編んでいるが、
 これではどうにも書き足らず、
 すべて二倍から三倍の増量となりそう。

 つまり、これまでのものをまたゼロから書き直しています。
 ほとんど全部、新作書き下ろしの気分。

 来年春の発売予定です。

  


 10月8日(金曜日)

 カナダから、
 NHKの旅番組の撮影中に大変お世話になった方が見えた。
 年上の方ではあるが、
 敢えて「友あり。遠方より来る」と言わせてもらう。
 
 カメラマンやディレクターも含め、
 まるで同窓会のような空気になった。

 遥か遠い大地の向こうで握手をして、
 今またネオン輝く近隣で酌み交わす。
 
 互いに体が立っている。
 地球の雨後に生えたワライタケのように。
 
 いえ、もっと誠実な再会だったかも。
 せめてブナシメジ。
 いえ、フンギポルチーニ。

 濃厚な時間が流れました。
 ポルチーニ茸の味わいのように、
 記憶のなかでまだ旨味が続いています。


 

 
 


 10月7日(木曜日)

 金子光晴の詩 「反対」

 僕は、少年の頃
 学校に反対だった。
 僕は、いままた
 働くことに反対だ。

 僕は第一、健康とか
 正義とかが大嫌いなのだ。
 健康で、正しいほど
 人間を無情にするものはない。

 むろん、やまと魂は反対だ。
 義理人情もへどが出る。
 いつの政府にも反対であり
 文壇画壇にも尻を向けている。

 なにしに生まれてきたと問われれば
 躊躇なく答えよう、反対にしにと。
 僕は、東にいる時は
 西にゆきたいとおもい、

 きものは左前、靴は右左。
 袴はうしろ前、馬は尻をむいて乗る。
 人のいやがるものこそ、僕の好物。
 とりわけ嫌いは、気の揃うということだ。

 僕は信じる。反対こそ人生で
 唯一の立派なことだと、
 反対こそ、生きていることだ。
 反対こそ、じぶんをつかんでることだ。
                     (1917年)

 では、今の気分で・・・

 僕は、少年の頃
 学校で空想していた。
 僕は、いままた
 働くことを空想している。

 僕はしかし、健康とか
 正義とかは空想しない。
 正義と名のつく番組をやったこともあるが、
 すべては現実のオンパレードで
 空想が入る余地はなかった。

 むろん、やまと魂は棹を差す。
 義理人情も翼を奪う。
 政治家の言葉に創造性は感ぜられず、
 文壇画壇も尻そのものだ。

 なにしに生まれてきたと問われれば
 躊躇なく答えよう、空想しにと。
 僕は、東にいる時は
 西を空想し、

 きものは持たず、靴は道化師用の特大サイズ。
 おかまはうしろ前、尻を触るのは好きだ。
 人の考えつかないことこそ、僕の好物。
 とりわけ苦手は、「現実は」という人だ。

 僕は信じる。空想こそ人生で、
 唯一の呼吸できる場所だと、
 空想こそ、生きていることだ。
 空想こそ、じぶんをつかんでいることだ。

                   (2010年)


  

  

 


 10月6日(水曜日)

 今日は色々とやらなければいけないことがあったのだけれど、
 そしてこれからもクヌギの森の葉の数ほども事実と煩悩があるのだけれど、
 昼間、ちょっと小説の手直しをしたところで、
 雲間から降りてきた光が金木犀の香りを撹乱させ、
 静かに「区切りをつけよ」とささやいた。

 区切り。
 一昔前までなら海だった。
 釣り竿を握ってビールを飲む。
 だが、この時間から海というのはちょっと無理だったので、
 海とは逆方面にペダルを漕ぐことになった。

 ネズミが壁に沿って走るのは
 常に注意を180度片側に集中したいからであって、
 これは「視る」という防御である。
 そういう意味ではボクは今日まったく逆の存在であり、
 金木犀の香りを追うために360度の座標軸を漂い、
 「嗅ぐ」という彷徨に身を浸した。

 気付けば中央線を越え、
 西武新宿線を越え、
 西武池袋線も越え、
 埼玉に入り込んでいた。
 志木というところ。

 雨が降りだした。
 埼玉の雨だった。
 香りに畑の土が混じっている。
 おたまの霊も隠れている。
 雨、どうするよ?

 すき屋発見。
 松屋じゃないぞ、後払い、後払い、と自分で自分に教え、
 「キムチ牛丼サラダセット」を頼む。

 帰り。
 武蔵野浄水場のところで何か撮影していた。
 浄水場の門に真新しい表札(って言うのかな?)が架けられ、
 「東京中央拘置所」となっていた。
 刑事ものかな?

 無心というわけではなく、
 こういう意味のない自転車散歩でも考えることは多岐に渡る。
 すると学生時代、
 体育の授業でアメフトをやっていたグランドに偶然出くわした。
 横に馬術部の馬小屋があり、そこから急な坂になっている。

 そういえばあの頃も、あの先には行ったことがなかったなと思い、
 自転車で駆け上った。

 なんという光景。
 武蔵野の畑が広がり、
 大きな空に巨大な城が浮かんでいた。
 七つに別れた光の柱が地表に注いでいる。

 深く呼吸できた午後であった。
 明日からまた歩いていけそう。



 

 10月5日(火曜日)

 今日から「詩と朗読」のクラスをアトリエで開講する。
 過去のアトリエ講座や、朝カルでやってきたものと違い、
 詩に純化した時間を創っていく。

 詩作はどんどんやってもらうし、
 とにかく心象スケッチに貪欲になってもらいたい。
 それはつまり、
 ボク自身もそうやってまた走り出しますよ、
 ということ。

 いっしょに並走してもらえる皆さん、
 感謝しています。

 でも、詩そのものを紡ごうとしなくてもいいのですよ。
 そこから小説や写真や舞踏になっていけばいいのです。
 そのデザインは各自が放埒に、確信的に、慎重にやればいい。




 10月4日(月曜日)

 海藻の卵炒め。アーモンドを砕いてささ身と和える。
 昼は巨大なゴボウ天とうどん。カレー。
 夜、再びカレー。玉葱とピーマンを山盛り。

 そして今月もまた、PHP連載の短編小説が仕上がった。

 新しい腕立て伏せの方法も考えた。
 六十年代の日本のシャンソンも聴く。

 自分の一日は自分でデザインする。



 10月3日(日曜日)

 #3は「雨の朝パリに死す」
 またフィッツジェラルドだ。
 映画とはいえぷんぷん漂う彼の匂いがどうも苦手なのだが、
 この格安DVD集に関してはきちんと順を追って100本食うつもりなので、
 飛ばさずに観る。

 うーん。
 感想は個人的な映画日記に書くことにしよう。

 主演のヴァン・ジョンソンのあまりに哀しげな八の字眉毛に耐え切れず、
 同年(1954年)製作の「東京上空三十秒」をYoutubeで観る。
 この映画ではヴァン・ジョンソンが
 東京を初めて空襲したドウー・リットル隊、
 その爆撃機の機長を演じている。
 
 ドウー・リットル隊は空母ホーネットから飛び立った陸軍の爆撃編隊で、
 昭和17年に東京、川崎、横浜、名古屋、神戸を空襲している。

 これが日本が初めて受けた空襲。
 で、彼らはある種の特攻隊で、技術的にも物量的にも空母に戻ることはできない。
 爆弾を落とした後は日本海を越えて中国に着陸というシナリオだったらしいが、
 当時の中国はもちろん日本軍とレジスタンスが闘っている最中であったから、
 命の保証はどこにもないという攻撃であった。
 
 東京を爆撃してきた米軍兵士たちを中国人たちがかくまった、
 というのは史実らしいが・・・
 米兵たちが礼を言おうとする度に、
 「あなたたちは東京を爆撃したという素晴らしい行為をしたのだからそれで充分です」と、
 中国人はみなひれ伏す。
 なかには感動のあまり泣いちゃっているお婆ちゃんもいたりして。

 しかし・・・
 1954年と言えば昭和29年である。
 朝鮮戦争もあって、
 米兵は日本から出撃していったのにな。
 そこで闘った北朝鮮軍の後ろ盾は中共軍であったというのに。

 つまり、実際の政治に於いては、
 すでに日本はアメリカの敵ではなく、
 中共、そしてソ連との冷戦が始まりつつあった。
 でも、日本に対する怨念は映画のなかで思い切り炸裂していた。

 一度闘わば、どちらかの命は失われる。
 失われれば恨みは残る。
 許す、許さないではなく、それは残るのだ。
 
 きなくさい時代になってきたが、
 武力衝突以外の道をしつこく探るべきだと思うよ。


 
 

 
 


 
 


 10月2日(土曜日)

 吉本隆明、鶴見俊介、中村稔の三名が
 「雨ニモ負ケズ」をどう思うか、というようなことで
 宮沢賢治論を戦わせている(あるいはじゃれあっている)黄ばんだ頁がある。

 賢治へのそれぞれのアプローチはひとまず置いておくとして、
 吉本さんが御自身の方針として
 「いわゆる文学から外れ続けること」と誓いを立てておられたのが
 鮮やかな一撃であった。

 文芸をやるものが、いわゆる文芸の殻のなかに入ろうとする時、
 そこで失われるものは創作者の魂だけではなく、
 なにかもっと長いものが、永々と続いてきた矢を射つ蛇のような命が断たれるのだろう。

 実存として前に進むべきであった蛇のぶつ切り。
 
 本来の蛇なら斬られてもしばらくは蠢くが、
 文芸の蛇はそこで砂と化す。

 だからボクはそろそろ闘わなければいけない。
 まだなにもしていない。
 本当になにひとつやっていない。

 とぐろを巻く蛇を見つけるために、 
 四十八年という歳月を費やしてしまった。





 10月1日(金曜日)

 青い、黒い、温かい、跳ねてるブルース。
 分岐点のように車が空に向かって走り出す場所。
 すぎ丸バスなら停留所は「火の見櫓」。

 GOKIGENYAは今夜も有志によるセッションが行われていた。
 やる気があるから集まる客。
 やる気のある人はやはり突き抜けてくる。
 どんな技術もやる気の後に集積されるのかな。

 赤い、暗い、硬い、吸いこむブルース。
 木々が騒いで星を落とす場所。
 京王線なら停留所は上北沢、あるいは桜上水。


 
 


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