ドーランが目にしみる 2010年10月 |
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祝、ドイツ統一二十周年。あの時、ボクもまだ二十代だったのだ。(ベルリンにて。撮影・三戸華之介) |
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10月30日(土曜日) 執筆中。 PHPで連載中の「川辺の町の物語」。 すでに発表した作品を来春発売の文庫本に向けて大幅に書き直している。 一度は世に出したものに 新たな息吹きを与え、 生まれ変わらせる、という作業。 こういうことを試みたのは初めての体験だが、 これがけっこうみずみずしく、面白い。 トライアルを通じて自分もまた新しくなっていくようで、 得難い時間である。 宮沢賢治は推敲に執着した人で、 どれが本当の作品なのかわからないほど、 各物語の生原稿には筆が入れられている。 (おびただしい再構築!) 一度出版した「春と修羅」でさえ、新たに筆を入れて出し直したほどだ。 その執念があって初めて、賢治は賢治になったのだろう。 重い病状を抱えて花巻に帰った時、 「子供を作る代わりにこういうものをこしらえた」と、 童話集がぎっしり入ったトランクを弟に手渡したのは有名な話だ。 自らの分身として彼は詩や童話を書いた。 もちろん、それが本当の人の子なら、 いくら我が子であったとしても、 親が執念をもって推敲を繰り返すことは道にはずれている。 子は親の持ち物ではないのだから。 でも、自らにはそれをやってもいいのではないか。 理想という言葉が青臭いのひとことで捨てられてもうずいぶんたつような気がする。 だけど様々な過剰な迷いは、それを置いてきてしまったからこその現れだとも言えそうだ。 他人に話す必要はまったくないし、他人もまたそれを望んではいないだろうが、 人知れず我が胸に理想を抱く季節は、また迎え入れてもいいと思っている。 |
10月29日(金曜日) 執筆中。 夜、アルルカンはん(半)が遊びにくる。 モツを焼いたりカキを焼いたり。 残っていた焼酎で夜更けまでやる。 これが年末までの飲み納め。 12月23日の「青い部屋」のライブまで、 11月中のたった一日の飲酒日を除いて 例年通り断ちます。 第四コーナーの追い上げとも言える力を これから出せるかどうか。 来年、皆さんが読んで良かったと心底思える本を仕上げたい。 今からの、理想を失わないファイトにかかっています。 そしてその一時間一時間が、 ボクにとっては楽しみでもあります。 |
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10月27日(水曜日) 沈思黙考中。 |
10月26日(火曜日) 本日よりミツ君、治療開始。 10日後には出られるそうです。 無事を祈りましょう。 |
10月25日(月曜日) 幻冬舎の「ゲーテ」で「ゲーテの言葉」を紹介しだしてもう三年になる。 ボクにとってはエッカーマンの三冊(岩波文庫)がとてもありがたかったのだが、 もちろんゲーテその人の著作も読みふけり、 今は「イタリア紀行」(これも三冊)を何度かひっくり返しているところだ。 超人的な知識欲、同じく超人的な行動力に、 それを保ち続ける人並ではないエネルギーを感じるのだが、 この人の場合、 基本として「俯瞰で大きく見ている」というベースがそこにあるような気がする。 いつもヨーロッパ全体、あるいは世界全体のなかでの「この視点」であり、 時間的にもギリシャ・ローマ時代からの流れがあって、 未来を見つめている。 そうしたなかでの旅であり、著作である。 宮沢賢治が銀河的広大さのなかでのイーハトーブや、 沖積世や洪積世という言葉を使って時間を表していたのに似ている。 (彼は「四次元的」という言葉を多用する) なにか大きな仕事を残す人というのは、 微細を見る顕微鏡のような目と、 一般人にはなかなか理解できない巨視の双方を持ち合わせているのではないか。 そうした方が気分も良さそうだし。 実際、週刊誌のネタ的な視野のみで生きるようには、 我々の感性はできていないような気がする。 |
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10月22日(金曜日) 新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブはいよいよ明日! さあ、明日は久々のライブですよ。 ミツ君に代わり、 半片ブラザースがアルルカンとして初参加です。 ライブ前半はこちらも初顔合わせの「ひとりTOMOVSKY」。 初初とくれば、きっとういういしいステージになること間違いなし。 天気もよいみたいだし、皆さんがいらして下さるのをお待ちしています。 |
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10月17日(日曜日)新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブまであと6日! 明け方、お金の夢を見た。 金属(硬貨)や紙(紙幣)ではなく、 ぼんやりと蛍のように光る、丸い珠のような存在。 それがどんどんボクのポケットに入り、 そしてまた暗がりの街へと飛んでいく。 やっぱりそうだ。 お金って、循環しなければいけないものだったんですね。 あれは溜め込んで自分のものだけにしようとすると、 きっと熱を帯びてきて焦げ付いてしまうのだと思う。 どんどん入ってこい。 どんどん出ていけ。 そんな心境の朝。 |
バカじゃねえの。
ここで顔を洗い・・・。 (翌朝)
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10月15日(金曜日)新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブまであと8日! そうそう。 昨日(14日)の日記で、 不安や哀しみに心をかき乱されないように、 ONE TIME, ONE THING のルールを徹底するといい といったようなことを書いたが、 これはちょっと、取りようによっては誤解を招く表現であった。 不安な時は思い切り不安でいいし、 哀しい時は涙腺が枯れるまで泣けばいいのだ。 そういうことがなきように、という意味ではない。 いたずらに不安だったり、 毎晩、何かの癖のように悲哀ばかりに押し込まれる場合は、 こんなやり方を思い出すといいよ、 少なくとも飲めない夜はね、という書き書きであった。 だって、何千色という絵の具を持ってボクらは生まれてきたんだもんね。 不安や孤独や悲哀がない人生なんて、 半分も色を使っていないのと同じ。 それはまたひどく質感がなく、 作品としての存在自体が危ういような気がする。 あらゆる色彩があって絵が成り立つのなら、 土星の輪に一人取り残されたような孤独な夜があっても、 それを何かに転化させるのではなく、 ただ真正面から受け止めた方がいい。 つまりやはりこれも、 ONE TIME, ONE THINGだ。 |
10月14日(木曜日) 新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブまであと9日! 「詩と朗読」のクラスで、 ここ十年ほどずっと実践している呼吸法の体操を前半の時間を費やしてやっている。 ・呼吸から声を捉え直す。 ・呼吸によりメンタルな部分での平安を得る ・体幹からの健康維持 ざっとそんなところを目標にあげているが、 呼吸なしでは生きていけないのが我々という存在なのだから、 これを適当にやっているか、 深く楽しんでやっているか、というあたりが、生命としてのかなりの分岐点なのだ。 ところで、 今お教えてしているのは体のひねり運動も含めて計三種類で、 合計十分ほどかかる。 これを毎朝やる。 なんということはなさそうだが、 毎日十分の呼吸トレをやり続けるというのは、 実は非常に・・・飽きてくるのである。 飽きてくると、人は色々やり出す。 単なる呼吸なのだから、 その間に本を読めばいいじゃないか、とか 英単語でも覚えればいいじゃないか、とかね。 ながら、というやつです。 ボクも実は二年間ほど、この呼吸トレをながらでやっていた。 すると、自分の弱さというものがよく見えてきた。 ながらでやると、呼吸トレも本を読むことも、みんな半端になってしまうのだ。 そして、たかだか十分の呼吸トレでさえ集中できないのかという、 自分に対する不快感のみが残ることになる。 人間は、一度にひとつのことしかできないのだなと思う。 そして、そのひとつのことを通じて、どれだけの集中力を持てるのか、 というあたりがもっとも肝要になってくるのだ。 ひとつのことに対する熱意と深まりである。 これが、仕事や生活を支えていく上での柱になる。 ながらのライフスタイルは、この柱を自分で砕いているようなものだ。 ONE TIME, ONE THING これが原則となる。 ただ、ONE DAY, ONE THING ではない。 仕事は多岐にわたっていていいし、趣味もたくさんあっていい。 しかし、ながらではなく、今目の前のものに集中すべきなのだ。 これがもうひとつ、大きな力を持つ時がある。 哀しみや不安に心を乗っ取られそうな時に利用すべき原則なのだ。 放っておけば不安で不安で仕方ないという時、 なにかひとつの作業に集中する。 ONE TIME, ONE THING なのだから、 行為に集中することで、不安を心から弾き出すことができる。 ある意味で、禅にも通じる考えだ。 |
10月13日(水曜日) 新宿LIVE FREAKの変則的アルルカン洋菓子店ライブまであと10日! CNNがチリの鉱山の救出風景をLIVE映像で流していて、 最初の人の救出風景と次の人のを見た。 思わず拍手となったのだが・・・ なぜ、いちいち大統領がしゃしゃり出てくるのだろう。 このカメラ目線の大統領が救出を待っていた家族よりも先に 助けられた人たちを抱きしめる。 それが、すごく嫌だった。 政治を抜きに社会は語れないが、 たとえ相手がどこの国の人間でも、 酒の席で政治家の話になると、 みんな一様に酸っぱい顔になる。 あるいは、朝からカツ丼を出されたような顔。 こういうのは生理的うんぬんもさることながら、 ある程度は経験からきた苦みなのだと思う。 男女は問わず、政治的人間はいるし、 政治家はよかれあしかれ必要である。 きっとそこで要求される品格のようなものがあるとすれば、 それは私がやりましたと表に出さないことと、 奉仕なのだと思う。 でも、そんなGRACEFULな人は政治の世界では生き残れないのかもしれない。 ことが人命救助なだけに、 なんだか引っ掛かってしまった次第。 |
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10月10日(日曜日) ボクらの胸の内側で輝く銀河は、 おそらく本当の物理的な、 四次元的存在としての宇宙につながっている。 人体は肌で閉じ、 その内側で開かれている。 つまりボクらは宇宙の端末で、 でも、時には大水を流すほどのチャンネルにもなり得る。 赤瀬川源平さんが、 缶詰の内側に印刷をして、 宇宙全体を入れ込んだ缶、 (外に向かって開きつつ、閉じている) というのを発表したことがあるけれど、 人間存在もそれに近いのだと思う。 ただ、ボクらは閉じながら開く。 このニュアンスこそ、信仰にも近い大きな力になり得ると思うのだけれど、 どうだろう? それで色々説明がつくことがあるのさ。 |
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なにしに生まれてきたと問われれば
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10月6日(水曜日) 今日は色々とやらなければいけないことがあったのだけれど、 そしてこれからもクヌギの森の葉の数ほども事実と煩悩があるのだけれど、 昼間、ちょっと小説の手直しをしたところで、 雲間から降りてきた光が金木犀の香りを撹乱させ、 静かに「区切りをつけよ」とささやいた。 区切り。 一昔前までなら海だった。 釣り竿を握ってビールを飲む。 だが、この時間から海というのはちょっと無理だったので、 海とは逆方面にペダルを漕ぐことになった。 ネズミが壁に沿って走るのは 常に注意を180度片側に集中したいからであって、 これは「視る」という防御である。 そういう意味ではボクは今日まったく逆の存在であり、 金木犀の香りを追うために360度の座標軸を漂い、 「嗅ぐ」という彷徨に身を浸した。 気付けば中央線を越え、 西武新宿線を越え、 西武池袋線も越え、 埼玉に入り込んでいた。 志木というところ。 雨が降りだした。 埼玉の雨だった。 香りに畑の土が混じっている。 おたまの霊も隠れている。 雨、どうするよ? すき屋発見。 松屋じゃないぞ、後払い、後払い、と自分で自分に教え、 「キムチ牛丼サラダセット」を頼む。 帰り。 武蔵野浄水場のところで何か撮影していた。 浄水場の門に真新しい表札(って言うのかな?)が架けられ、 「東京中央拘置所」となっていた。 刑事ものかな? 無心というわけではなく、 こういう意味のない自転車散歩でも考えることは多岐に渡る。 すると学生時代、 体育の授業でアメフトをやっていたグランドに偶然出くわした。 横に馬術部の馬小屋があり、そこから急な坂になっている。 そういえばあの頃も、あの先には行ったことがなかったなと思い、 自転車で駆け上った。 なんという光景。 武蔵野の畑が広がり、 大きな空に巨大な城が浮かんでいた。 七つに別れた光の柱が地表に注いでいる。 深く呼吸できた午後であった。 明日からまた歩いていけそう。 |
10月5日(火曜日) 今日から「詩と朗読」のクラスをアトリエで開講する。 過去のアトリエ講座や、朝カルでやってきたものと違い、 詩に純化した時間を創っていく。 詩作はどんどんやってもらうし、 とにかく心象スケッチに貪欲になってもらいたい。 それはつまり、 ボク自身もそうやってまた走り出しますよ、 ということ。 いっしょに並走してもらえる皆さん、 感謝しています。 でも、詩そのものを紡ごうとしなくてもいいのですよ。 そこから小説や写真や舞踏になっていけばいいのです。 そのデザインは各自が放埒に、確信的に、慎重にやればいい。 |
10月4日(月曜日) 海藻の卵炒め。アーモンドを砕いてささ身と和える。 昼は巨大なゴボウ天とうどん。カレー。 夜、再びカレー。玉葱とピーマンを山盛り。 そして今月もまた、PHP連載の短編小説が仕上がった。 新しい腕立て伏せの方法も考えた。 六十年代の日本のシャンソンも聴く。 自分の一日は自分でデザインする。 |
これが日本が初めて受けた空襲。 |
10月2日(土曜日) 吉本隆明、鶴見俊介、中村稔の三名が 「雨ニモ負ケズ」をどう思うか、というようなことで 宮沢賢治論を戦わせている(あるいはじゃれあっている)黄ばんだ頁がある。 賢治へのそれぞれのアプローチはひとまず置いておくとして、 吉本さんが御自身の方針として 「いわゆる文学から外れ続けること」と誓いを立てておられたのが 鮮やかな一撃であった。 文芸をやるものが、いわゆる文芸の殻のなかに入ろうとする時、 そこで失われるものは創作者の魂だけではなく、 なにかもっと長いものが、永々と続いてきた矢を射つ蛇のような命が断たれるのだろう。 実存として前に進むべきであった蛇のぶつ切り。 本来の蛇なら斬られてもしばらくは蠢くが、 文芸の蛇はそこで砂と化す。 だからボクはそろそろ闘わなければいけない。 まだなにもしていない。 本当になにひとつやっていない。 とぐろを巻く蛇を見つけるために、 四十八年という歳月を費やしてしまった。 |
10月1日(金曜日) 青い、黒い、温かい、跳ねてるブルース。 分岐点のように車が空に向かって走り出す場所。 すぎ丸バスなら停留所は「火の見櫓」。 GOKIGENYAは今夜も有志によるセッションが行われていた。 やる気があるから集まる客。 やる気のある人はやはり突き抜けてくる。 どんな技術もやる気の後に集積されるのかな。 赤い、暗い、硬い、吸いこむブルース。 木々が騒いで星を落とす場所。 京王線なら停留所は上北沢、あるいは桜上水。 |
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